第66話:ミラの矜持
ミラは走り続けた。
広間の南側を駆け巡り、障壁を砕かれるたびに新しい障壁を張り、隙を見つけては攻撃魔法を叩き込む。足元の石が砕け、壁が崩れ、天井から破片が降り注ぐ。広間の南半分は、もはや戦場の様相を呈していた。
息が乱れている。魔力の消耗が激しい。杖を握る手が汗で滑る。
だが——まだ止まらない。
「しつこいですね。その執念は認めます」
ディアルが歩きながら、黒い魔力の弾を放った。一発一発が建物を崩すほどの威力。ミラの障壁を紙のように突き破る力。それを紙一重で避け、軌道を読み、障壁で受け流す。裂けたマントの裾が炎で焦げる。
「二年前——あなたはただ泣いていた。仲間を目の前で奪われ、何もできず。座り込んでただ泣いていた」
「黙りなさい」
「今は少しだけマシになった。六つの拠点を単独で壊滅させた実力は本物です。ですが——所詮はその程度。人間の魔法にできることなど、たかが知れている」
ディアルの義肢から巨大な魔力の槍が形成された。ユートを貫いた、あの時と同じ形。漆黒の、禍々しい光を帯びた槍。
ミラの体が硬直した。
(——ダメ。体が、動かない——)
あの日のフラッシュバック。血の色。崩れ落ちるユート。ユートの胸を貫く黒い腕。自分の叫び声。何もできなかった、あの無力。体が覚えている。この形の攻撃を見ると、体が勝手に止まる。
槍が射出された。
ミラは動けない——
『——トマト女!! 右だ!! 右に跳べ!!』
バルの怒鳴り声が、頭を貫いた。北側で戦っているはずのバルが——アルトの背中から、ミラの危機を感知して叫んでいる。
体が反射的に動く。右に跳ぶ。槍が左肩を掠め——焼けるような痛みが走った。
「ぅ——っ!!」
左腕がだらりと下がる。肩口から血が流れ、マントの赤い布地がさらに赤く染まっていく。だが——致命傷ではない。バルの声がなければ、心臓を貫かれていた。
『しっかりしろ! お前が倒れたら、あのノロマが一人で二人分やらなきゃならなくなる!! それでいいのか!? お前の矜持はどこに行った!!』
「……っ、うるさいわね……わかってるわよ……!」
ミラが杖を握り直した。右手だけで。
左腕は使えない。残った魔力も――多くはない。でも、ゼロじゃない。
だが。
「——ねぇ、ディアル」
ミラが息を荒げながら言った。血の味がする唇で。
「一つ聞いていい? あなたは——何のためにこんなことをしてるの? 封印を壊して、妖精の子供を攫って、仲間を人形にして。何がしたいの」
ディアルの目が、微かに細まった。
「何のため? ——決まっています。復讐です」
「復讐? 何に対して」
ディアルは一瞬、静かになった。義肢の指が、意味もなく開閉している。
それから——穏やかに、だが底冷えのする声で言った。
「あなたたち人間が、我々に何をしたか——知っていますか? かつてこの世界に、魔族と人間と妖精族が共に暮らしていた時代があった。そしてそれを壊したのは——人間です」
その声には、ただの怒りではない何かが滲んでいた。
長い時間をかけて積み重なった——深い、深い悲しみ。
ミラは答えられなかった。
だが杖は下ろさない。
「知らないわ。でも——それが、あの子を傷つけていい理由にはならない。リアラは何もしていない。ユートも何もしていない。あなたの怒りをぶつけていい相手じゃない」
「……そうでしょうね。あなたたちは、いつもそう言う。知らなかった、と。関係ない、と」
ディアルの魔力が膨れ上がった。冷たい怒りが、空間を歪ませる。
「では——終わりにしましょう」
黒い魔力が津波のようにミラに押し寄せた。
ミラは右腕だけで杖を構え、渾身の障壁を展開した。
砕ける。
再展開。
また砕ける。もう一度。
(もう……限界に近い。でも——)
ミラの視界の端で、北側の戦闘が見えた。
アルトが、ユートと渡り合っている。まだ——決着はついていない。あの子はまだ立っている。
(もう少し。あと少しだけ——!)
「——なめないでよ……二年間、帰ってこない一人の男を愛し続けた女を……!」
ミラの杖が、最後の力で燃え上がった。




