第58話:操り人形の涙
ユートの身体が、一歩踏み出した。
その動きには一切の躊躇がなく、かつてのユートの剣捌きの美しさだけが残酷に残されていた。流れるような足運び。最小限の動きで最大の効果を生む、あの洗練された剣技。ユート自身が磨き上げた技を、今は魔核が勝手に揮っている。
「ユートさん! 待って——!」
アルトの叫びは届かない。
ユートの黒い剣が、凄まじい速度で振り下ろされた。
ガキィィン!!
アルトの直剣が、ギリギリでそれを受け止めた。が、衝撃で両腕が痺れ、足が後方に滑る。石板が砕け、砂埃が舞い上がった。
(重い……ッ! 二年前より、ずっと——!)
魔核に強化された身体。人間の限界を超えた膂力と速度。かつてのユートの技術に、魔族の力が上乗せされている。技は人間のもの。力は魔族のもの。その組み合わせが、これほどまでに凶悪だとは。
「アルトッ!」
ミラが杖を構えた。だが——撃てない。
目の前にいるのはユートだ。二年間想い続けた、あの人だ。この杖で、あの人に魔法を撃てというのか。
「ミラさん! 援護を!」
「……っ!」
ミラの手が震える。杖を向けることができない。照準を合わせようとするたびに、かつてのユートの笑顔がフラッシュバックする。一緒に旅をした日々。背中を見て追いかけた日々。あの人の笑顔を守りたくて、魔法を磨いてきたのに——
ユートに魔法を撃ち込む。それは、二年前のあの日に壊れたすべてを、もう一度壊すことと同義だった。
「ミラさんッ! 今のユートさんは——ユートさんじゃない! 身体を操られてるだけだ! ユートさんを助けるためだと思って!」
アルトが叫びながらユートの連続攻撃を凌ぐ。
ユートの剣は冷酷に正確だ。横薙ぎ。突き。切り上げ。アルトの急所を的確に狙い、防御の隙間を容赦なく突いてくる。一撃一撃が重く、速く、無駄がない。
だが——アルトの観察眼が、異変に気づいた。
(……おかしい。ユートさんの剣は、急所を狙ってるのに——着弾点が、ほんの数ミリだけズレてる)
紙一重の差。他の誰にも気づけない、微かなブレ。だが、アルトの観察眼はそれを見逃さなかった。ミラの魔法のパターンを0.1秒単位で記録していた目は、ユートの剣筋の中にある「不自然な揺らぎ」を、正確に捉えていた。
(首への斬撃が、僅かに左に逸れた。心臓への突きが、ほんの少しだけ浅くなった。致命的な角度から、わずかにズレている。……これは——ユートさんの意志だ。身体を操られながらも、致命傷だけは避けようとしてる……!)
あの街の証言が蘇る。「急所を外してある」「わざとそうしているかのように」——ユートは今も、ずっと抵抗し続けていたのだ。
「ユートさん……! あなた、まだ戦ってるんですね——!」
返事はない。ユートの空洞の目は何も語らない。
だが、剣の軌道が、確かに——揺れた。
* * *
戦闘は熾烈を極めた。
アルトは魔法剣を発動し、ユートの攻撃を凌ぎながら反撃の機会を窺う。青白い光を纏った刀身で、黒い剣を受け、弾き、かわす。だが、ユートの剣技は圧倒的だ。二年前の時点でアルトより遥かに格上だった剣が、魔核の強化でさらに上を行っている。
アルトの腕に浅い切り傷が走る。頬を刃が掠める。一歩間違えば致命傷の連続。
『おいノロマ! あいつの振りの後、〇・三秒の隙がある! 右の横薙ぎの戻りが遅ぇ! そこだ! ……いや来てるぞ左から——! クソッ、速ぇ!! しゃがめ!!』
バルが必死で気配を読み、アルトに伝える。武器は出せなくても、バルの支援は確実にアルトの生存率を上げていた。バルの警告がなければ、何度か致命的な一撃を受けていただろう。
「ミラさん! お願い! 足止めだけでいい! ユートさんの足元に氷を!」
ミラが歯を食いしばった。
涙が頬を伝うのを止められない。だが——杖を向けた。震える手で。それでも、向けた。
「……ごめん、ユート……ッ!」
ミラの杖から放たれた氷の魔法が、ユートの足元を凍結させた。精密な制御。ユート本体には一切触れない、足元の地面だけを凍らせる氷魔法。ミラの二年間の成長が凝縮された一撃。
一瞬の隙。ユートの動きが僅かに鈍る。
その瞬間——ユートの目に、光が戻った。
「バルを……渡す、な……」
搾り出すような声。
自分の身体を止めるために、すべての意志を集中させた一瞬の自我の回復。額に血管が浮き出るほどの抵抗。全力で、自分の身体に抗い、たった一言を絞り出した。
そして、その光は——すぐに消えた。
魔核の赤黒い脈動が激しくなり、ユートの身体が氷を砕いて再び動き出す。
だが、アルトはその一言を聞き逃さなかった。
(バルを渡すな。……ユートさんは、ディアルの命令で僕たちの前に出てきたんだ。おそらくバルの回収のために。そしてその命令の隙間で、僕たちに警告しようとしてくれた)
——この人は、操られながらも、まだ仲間を守ろうとしている。
自分の身体が仲間を傷つけるのを止められないことを苦しみながら、それでも——一言だけ、伝えようとしてくれた。
「……ユートさん。僕はあなたを取り戻します。絶対に」
アルトの魔法剣が青白く輝きを増した。
覚悟が決まった。
「ミラさん! 合わせて! ユートさんを傷つけずに、動きを止める方法を考えて!」
「言われなくても! ……拘束結界、いくわよ!」
ミラの杖が、魔力の鎖を編み上げる。アルトが前衛でユートの攻撃を受け流しながら、ミラの拘束魔法の範囲内にユートを誘導する。一歩ずつ、ミラの魔法陣が展開された地点に追い込んでいく。
だが——。
「残念ですが、そこまでです」
冷酷な声が、空から降ってきた。




