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第5話:森の奥、限界の先

 その後、なんとかゴブリンを三匹ほど狩り、アルトの懐には『討伐証明の右耳』が三つ収まっていた。

 ギルドへ戻って換金すれば、数日は硬い黒パン以外のまともな食事ができる。早く帰路につこうとしたアルトだったが、背中のバルがそれを許さなかった。


『おいノロマ、どこへ行く気だ。もっと奥に入れ!』


「もう十分だよ! ゴブリン三匹も倒せたなんて奇跡に近いんだってば! ほら、もう夕方だし……」


『奇跡じゃねぇ! ゴブリン三匹ぽっちじゃ、俺様の胃袋の底すら濡れねぇんだよ! いいか、さっき食った三匹目のショボい魔力も、次に武器出したら一瞬で使い切っちまうんだぞ!』


「だ、だから今日はもう無理しないでおこうよ……帰ろう?」


『バカ野郎! まだまだ食い足りねぇ! もっと奥に進んでデカい獲物を探せ!』


 相変わらず食欲旺盛なバッグと言い合いをしながら、渋々森の奥へ向かって歩いていた時だった。


 ズウン。

 木々を揺らすような、重く鈍い足音が響いた。


「……えっ?」


 全身の産毛が総毛立つような、圧倒的なプレッシャー。

 アルトが息を殺して木陰から覗き込むと、そこにはゴブリンとは比較にならない巨体が立っていた。

 人間の大人を優に超える二メートル近い巨躯。豚のような鼻から荒い息を吐き、手には丸太のような太さの棍棒を握りしめている。


(オー、ク……!?)


 ギルドの図鑑で見たことがある。この辺りの浅い森には絶対に出現しないはずの上位魔物、オークだ。

 その巨体に詰まった筋力と凶暴性は、初心者冒険者が小隊を組んで挑んでも全滅するほどの脅威として知られている。

 不運なことに、風向きがアルトの背中からオークへと吹いていた。


「ブモォォォォォォッ!!」


 匂いで獲物の存在を察知したオークが、血走った目をアルトに向け、地響きを立てて突進してくる。


「ひぃっ!?」


 木陰から飛び出し、アルトは半泣きになりながらバッグの口に手を突っ込んだ。


「バル! 武器! とにかく一番デカくて硬いやつ!」


『だから言ってんだろ! ゴブリンの泥臭い魔力はスライムよりマシだが、まだ足りねぇってな! これで最後だ!』


 ズボァッ!

 アルトが暗闇から引き抜いたのは、先ほどゴブリンを倒した時と似たような、薄っぺらく頼りない『安物の鉄の剣』だった。

 オークの突進速度は体格に合わず速い。逃げる暇もなく、丸太のような棍棒が、アルトごと周囲の木々を粉砕しようと振り下ろされる。


(防ぐしかっ……!)


 アルトは咄嗟に、手にした安物の剣を両手で持ち上げ、防護姿勢をとった。

 ガァァァンッ!!

 凄まじい衝撃。アルトの体は吹き飛ばされてはいない。しかし。


「――えっ」


 パチンッ、という甲高い音とともに、アルトの手の中にあった鉄の剣が、飴細工のようにあっけなく粉砕され、バラバラになって宙を舞った。

 二メートルの巨漢が振り下ろす丸太の一撃を、魔力も薄い安物の剣が受け止めきれるはずもなかったのだ。


 防ぐ術を失い、完全に無防備になったアルトの頭上へ、再びオークの丸太が振り上げられる。


(死ぬ……!)


 アルトが身をすくめ、ぎゅっと目を閉じた、その瞬間だった。


「――そこまでだ」


 落ち着いた、しかしよく通る滑らかな青年の声が森に響いた。

 次の瞬間。


 ズパァァァンッ!!


 突風が吹き荒れたような甲高い音とともに、アルトの頭上から『降ってきた』のは、一筋の銀色の閃光だった。

 いや、閃光ではない。

 それは、ただの一振りの『剣戟』だった。


「……え?」


 アルトが恐る恐る目を開けると、目の前に迫っていた2メートルのオークが、ただの一撃で、綺麗な袈裟斬りに両断されて崩れ落ちていくところだった。

 けたたましい音を立てて倒れる巨体。

 その後ろに、ゆっくりと剣を振り抜いた姿勢のまま着地する青年の姿があった。


「怪我はないか、君」


 振り返った青年は、アルトよりいくつか年上に見えた。

 整った顔立ちに、優しげだが芯の強そうな黒い瞳。そしてその手には、月明かりすらない暗い森の奥でも浮き上がって見えるほど白く澄んだ、一振りの美しい直剣が握られていた。


(……すごい……一撃で……)


 アルトはへたり込んだまま、ただ呆然とその青年と、彼が放った人間離れした一撃の余韻を見つめることしかできなかった。

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