第4話:ハズレ武器の使い方
西の森は、昼間でも鬱蒼と茂る樹冠に陽の光を遮られ、薄暗く湿っていた。
落ち葉を踏みしめる音さえも異常に大きく響く静寂の中、アルトは息を殺して木陰に身を潜めていた。
(……いた。ゴブリンだ)
視線の先、十メートルほど離れた獣道に、緑色の肌をした不気味な小鬼がいた。
身長はアルトの胸の高さほど。腰には不潔な毛皮を巻き、手にはひどく錆びついたナタのような刃物を握っている。しきりに周囲の匂いを嗅ぐようにして、何か獲物を探しているようだった。
『おい、ノロマ。見つけたならさっさと行け』
背中のバルが急かすように囁く。
「ま、待ってよ。落ち着いて……一匹だけみたいだけど、油断したらやられる」
アルトの手のひらは汗でびっしょりと濡れていた。心臓の音がうるさいくらいに耳の奥で鳴っている。
深呼吸を一つ。
アルトはそっと背中のバッグを胸の前に回し、大きく開いた黒い口の中へ、震える右腕を突っ込んだ。
(頼む、ちゃんとした武器を出してくれ……!)
冷たい暗黒の空間を探ると、ぬるりとした魔力の感触の先に、硬い柄のようなものが触れた。それを力任せに引き抜く。
シュァァァッ!
青白い光の粒子とともに暗闇から現れたのは――一本の『剣』だった。
だが、剣と呼ぶにはあまりにも頼りない。
「……なにこれ」
アルトが思わず絶句したのも無理はない。
刃の長さはアルトの腕の半分ほどしかなく、柄の木材も安っぽくて軽い。全体的に薄っぺらく、叩けばすぐにへし折れそうな『ただの安物の短剣』だ。
『チッ……! だから言ったじゃねぇか。スライムの薄っぺらい魔力じゃ、ロクなもんが出ねぇってな!』
「そ、そんなあ……!」
バルの文句に泣きそうになっている暇はなかった。
アルトの呟きと、武器を引き抜く際の光に気づいたゴブリンが、こちらを振り返ったからだ。
「ギャギィィッ!」
耳障りな金切り声を上げ、ゴブリンが濁った瞳に明確な殺意を宿して突進してくる。
錆びたナタが、容赦なくアルトの頭をかち割りに来る。
「ひぃっ!?」
アルトは反射的に、手にした「安物の短剣」を横に突き出してナタの軌道を逸らした。
ガァンッ! と手首にしびれるような衝撃が走り、頼りない剣の刃先が微かに欠けた。
ゴブリンは体格こそ小さいが、その腕力は十三歳のアルトを凌駕している。押し負けそうになり、アルトは必死で後ろへ飛び退く。
『おい! 何逃げてんだ! 刺せ! 殴れ!』
「だ、だめだ! この剣、軽すぎるし短すぎる……まともに打ち合ったら折れちゃうよ!」
素人のアルトでもわかる。こんな薄っぺらな剣でゴブリンのナタを受け続ければ、数秒で武器を失うことになる。
「ギャヒィッ!」
追撃とばかりに、ゴブリンが飛び上がりながらナタを振り下ろす。
アルトの目に、ゴブリンの動きがスローモーションのように映った。
(右肩が下がった……次は下から斬り上げてくる!)
相手の筋肉のわずかな強張りから、アルトは直感的に次の動きを予測していた。
だが——目は追いついていても、アルトの身体が、それに全くついてこなかった。
「ああっ!?」
避けようと足に力を入れた瞬間、もつれて無様に尻餅をついてしまう。
完全に無防備になったアルトへ、ゴブリンがゲラゲラと醜く嗤いながら、全身の体重を乗せてナタを振り下ろそうと踊りかかってきた。
「や、嫌だぁぁぁッ!!」
アルトは恐怖で目を瞑り、手にした安物の短剣を、祈るように両手で顔の前に突き出した。
「ギャッ……!?」
直後、生暖かい液体がアルトの顔に降りかかった。
ゴブリンは、勢いよく飛びかかってきた自らの体重と加速によって——アルトが偶然、そして必死に突き出していた短剣の刃に、自ら首の急所を深く串刺しにしていたのだ。
「ギャ、ぐるゅ……」
ゴブリンは数メートルほど吹き飛ばされ、幹に激突して痙攣し……やがて動かなくなった。
静寂。
アルトの手の中から、役目を終えた安物の短剣がボロボロと砂となって崩れ落ちていく。
「……はぁ、はぁ……た、倒した……」
その場にへたり込みそうになるアルトに対し、胸の前のバッグが、ニィッと口の端を歪めるように(見えたのは気のせいだろうか)震えた。
『……ハッ。ただのビビリかと思えば、少しは頭が回るじゃねぇか、アルト。悪運の強い野郎だ』
「えっ……今、名前……」
『うるせぇ! だったらさっさとその肉塊をこっちに寄越しな! 鮮度が落ちるだろうが!』
照れ隠しのように怒鳴るバルに急かされ、アルトは呆れ半分、安堵半分でため息をついた。
ゴブリンの死体にバルを近づけると、ズボォォッ! といういつもの凄まじい吸引力とともに、緑色の肉体が空間の奥底へと吸い込まれ、ゴパァッという消化音が森に響いた。
『ククッ……スライムよりはずっとマシな味だ! さあ、この調子で次を探すぞ!』
「もう勘弁してよ……」
恐怖と疲労で泣き言をもらしながらも、アルトはゴブリンの右耳(バルが吸い込む前に慌てて切り取った討伐証明部位)を一つ、しっかりとポケットにしまった。
相変わらず重さの変わらない、けれど初めて自分の名前を呼んでくれた不思議な相棒を背負い、アルトは次の獲物を探すため、おっかなびっくり森の奥へと足を踏み入れた。




