幕間 第1話:帰らぬ英雄たち
——あの子たちが街を発ってから、三ヶ月が過ぎた。
防塞都市コルンの復興は、驚くほど順調に進んでいた。
魔族の軍勢によって崩された城壁は修繕され、時計塔も骨組みだけは元の姿を取り戻しつつある。かつて焼け野原になった中央広場には新しい露店が並び、行き交う人々の表情に、あの夜の恐怖はもう見えない。
だが、騎士団隊長のガレスだけは、毎朝東門に立つ習慣をやめられなかった。
「隊長。今日も東門ですか」
部下の騎士が、朝食のパンを差し出しながら声をかけてくる。
ガレスは城壁の上から東の地平線を眺め、パンを受け取った。
「ああ。……まだ、帰ってこないな」
あの夜、街を救ってくれた四人の冒険者。
いや——三人と一つの黄色いバッグ。
ガレスは今でも鮮明に覚えている。正門に押し寄せていた魔物の群れが、突然糸が切れた操り人形のように一斉に崩れ落ちたあの瞬間のことを。
そして、戦いが終わった朝焼けの中、地下水道から泥と汚水まみれになって這い出てきたあの少年たちが——街を裏から操っていた上位魔族の残骸を無造作に放り出し、「勝ったよ」と笑ってみせたあの姿を。
街が救われたのは、紛れもなく彼らのおかげだった。
「東の廃墟に向かう……って言ってたっけな、あの少年は」
ガレスは呟いた。
古代魔道具の研究施設跡。あの手帳に記された場所。騎士団もその周辺の情報を集めてはみたが、あの一帯は魔力が淀んだ危険地帯として知られ、まともな調査隊すら近づけない場所だった。
「念のため聞くが……ギルドの方に、何か報告は?」
「いえ。依頼の完了報告も、帰還届も出ていません。ギルドの受付嬢も毎日気にしていましたが……」
ガレスは黙って頷いた。
三ヶ月。冒険者の世界では珍しくない期間ではある。だが、あの子たちが向かった先を考えると——嫌な予感が、日増しに大きくなっていた。
* * *
昼過ぎ。ガレスはギルドの支部に立ち寄った。
カウンターの奥で書類を整理していた受付嬢のエマが、ガレスの姿を見て小さく微笑んだ。その笑みに、隠しきれない不安が混じっていることにガレスは気づいていた。
「隊長さん。今日も……あの子たちのこと、ですよね」
「ああ。何か変わりはないか」
エマは首を振った。そして、カウンターの端に置かれた一枚の紙に目を向けた。
『捜索依頼:未帰還冒険者パーティ。最終確認地点——防塞都市コルン東門。リーダー:ユート(剣士)。構成員:アルト(冒険者)、ミラ(魔法使い)。同行品:黄色い大型バッグ(魔道具)。依頼状況:継続中』
その紙は、もう二ヶ月前に出されたものだった。端が少し黄ばみ始めている。
「……本当に、大丈夫なんでしょうか」
エマの声が僅かに震えた。
「あの子——アルトくんって言ったかしら。出発の前の日に、ここに寄ってくれたんです。『お世話になりました。きっとまた寄りますから』って。あまりにも普通に、当たり前のように言ってくれたから……わたし、つい『お気をつけて』しか言えなくて」
「……」
「馬鹿ですよね。もっとちゃんと引き止めればよかった。あの場所がどれだけ危険か、もっとちゃんと伝えていれば——」
「やめろ、エマ」
ガレスは静かに、だが強い声で遮った。
「あいつらは、引き止められて立ち止まるような連中じゃなかった。お前はよくわかってるはずだ」
エマは唇を噛んで、小さく頷いた。
「……はい。わかってます」
ガレスはカウンターに背を向け、ギルドを出ようとした。と、ふと足を止めて振り返る。
「……あの少年たちが美味い美味いって食ってた『ハチミツパン』の店、まだやってるか」
「え? ……はい。東通りの角のお店ですよね。まだ営業してますけど……」
「そうか。なら、まだ大丈夫だ」
意味のわからない言葉に、エマは首を傾げた。
「大丈夫って……何がですか?」
ガレスは答えず、小さく笑って東門の方角を見上げた。
「帰ってくる場所が残ってるうちは、帰ってくるもんだ。……俺たちの街を命懸けで守ってくれたあいつらが、こんなところで終わるはずがないだろう」
東門の向こうには、いつもと変わらない青空が広がっている。
彼らの姿は、まだ見えない。
だが、ガレスは明日もこの門に立つだろう。
あの少年たちが帰ってくる日を、この街だけは待ち続けると決めたのだ。
* * *
夕暮れ時。
東通りの角にある小さなパン屋の前を通りかかったエマは、ふと足を止めた。
店先のカゴの中に、いつものようにコルン名物のハチミツ練り込みパンが並んでいる。ふわりと甘い香りが鼻先をくすぐり、それだけで胸の奥がきゅっと痛んだ。
「……一つ、いただけますか」
エマは銅貨を払い、まだ温かいパンを受け取った。
そして、ギルドの受付に戻ると、自分のデスクでそれを少しずつ齧った。
口いっぱいに広がるハチミツの優しい甘さが——今の彼女には、少しだけ泣きそうになる味だった。
防塞都市コルンの空は、今日も穏やかに暮れていく。
英雄たちの不在だけが、静かに、確かに、この街に刻まれ続けていた。




