第3話:銅貨六枚の日常
街で一番の敷地面積を誇る『冒険者ギルド本陣』。
その巨大なホールの片隅にある換金カウンターで、アルトは小さな革袋を受け取っていた。
「スライム三体分の討伐証明ですね。はい、本日の買取価格で銅貨六枚です。お疲れ様でした」
事務的な笑顔を向ける受付嬢にペコペコと頭を下げて、アルトはそそくさとカウンターを離れた。
銅貨六枚。
街の物価からすれば、安い屋台の串焼きが二本買えるかどうかの金額だ。命懸けで泥まみれになった対価としては、あまりにも心許ない。
「……はぁ。やっぱり、スライムじゃ全然稼げないや」
冒険者の証である一番下の『木札』ランクの従軍タグを握りしめながら、アルトは重いため息をついた。
ギルドの中央には巨大な掲示板があり、そこには高ランク冒険者向けの「飛竜討伐」やら「古代遺跡の探索」といった、金貨数十枚が動くような華やかな依頼書がひしめいている。
だが、今のアルトには縁のない世界だ。
『おい、ノロマ。いつまでこんな埃っぽい場所に突っ立ってんだ。さっさとメシにしろ』
背中から、唸るような低い声が響いた。
バルだ。街の中やギルド内で不用意に喋らないようきつく言い含めてはいるものの、この我儘な相棒は腹が減るとすぐに文句を言い始める。
「わ、わかってるよ。今行くから」
周囲のいかつい冒険者たちに怪しまれないよう、アルトは小声で答えつつギルドを後にした。
* * *
大通りの外れにある、すきま風だらけの安宿の裏路地。
アルトは木箱に腰掛け、手の中にあるものを見つめていた。カッチカチに冷え切った黒パンと、具らしい具が入っていない塩味だけのスープだ。これで銅貨四枚。残金は銅貨二枚しかない。
「……いただきます」
ガリッ、と顎が外れそうな音を立てて黒パンを囓る。硬い。そしてパサパサだ。スープで流し込まないと喉を通らない。
それでも、昨日から何も食べていないアルトにとっては大事な栄養源だった。
『……おい。なんでオマエだけ食ってんだ。俺の分はどうした』
床に置かれた黄色いメッセンジャーバッグのバックル部分が、まるで口のようにパクパクと動いて不満を漏らした。
「君の分って言われても……君、人間の食べ物は食べないでしょ?」
『当たり前だろ! あんな泥の塊みてぇな物体を口に入れるか! 俺が食うのは純度の高い「魔力」だけだ!』
「だよね。でも、街の中に魔物はいないし……魔力を含んだ魔法石なんて、僕の稼ぎじゃ一生かかっても買えないよ」
アルトが困ったように肩をすくめると、バルは舌打ちをした。
『チッ……使えねぇヤツだ。いいか、武器を一本創り出すのには、相応の「魔力」を消費するんだ。昨日のスライムのパサパサな魔力なんかじゃ、もう底が尽きかけてる。いざって時に武器が出せねぇぞ』
(……お腹が空くと何も出せないってことか)
アルトはため息をつきつつ、最後の一切れの黒パンを飲み込んだ。
たしかに、バルの言う通りだ。この理不尽な相棒の胃袋に魔力を『貯金』しておかないと、いざ森に入った時に丸腰で魔物と対峙することになる。あの恐怖はもう二度と御免だった。
「わかったよ。じゃあ、もう少し実入りのいい依頼を探してみる」
『フン。当然だ。なるべくデカくて、魔力がたっぷり詰まったヤツを攫ってこい』
横柄な態度でふんぞり返る(ように見える)バルを背負い直し、アルトは再びギルドへと足を向けた。
* * *
ギルドの『初心者向け掲示板』の前で、アルトは数枚の羊皮紙を睨みつけていた。
(スライムや角兎の討伐じゃ、また銅貨数枚だ……これじゃ食べていけないし、バルの魔力も足りない……)
視線を少しだけ横へ移す。
そこには、木札(一番下)の少し上に位置する『銅札』向けの依頼が貼られているエリアがあった。木札から数えても上に十以上の階梯がある中で、駆け出しを卒業したばかりの者が受ける難易度だ。本来ならアルトが一人で受けるべきではないが、背に腹は代えられない。
【討伐依頼:西の森のゴブリン排除】
・報酬:ゴブリンの右耳一つにつき銀貨一枚
・推奨ランク:銅札以上
・備考:最近、西の森の浅い階層までゴブリンが降りてきている。単体なら非力だが、群れると厄介。見つけ次第、数を間引いてほしい。
(……銀貨一枚。スライム十匹分以上の価値だ。これなら……)
アルトはごくりと唾を飲み込み、その依頼書に手を伸ばした。
ゴブリン。
子供ほどの背丈しかない醜悪な小鬼。知能は低いが残忍で、錆びた剣や棍棒などの粗末な武器を扱う。単体なら農民でも追い払えると言われているが、素人のアルトにとっては十分に命を脅かす存在だ。
(でも、僕にはバルがいる。バルの力があれば……)
昨日のスライム戦。バルが空間ごと魔物を吸い込み、そこから抽出した魔力で武器を生み出した光景が脳裏に蘇る。
『おい、ノロマ。なんだその汚らしい緑のチビの絵は』
背中からバルが小声で聞いてきた。
「ゴブリンだよ。スライムよりはずっと手強いし、魔力も持ってるはずだ」
『ほう……? スライムよりはマシな味がしそうじゃねぇか。よし、そいつに決まりだ! さっさとその森とやらへ案内しろ!』
バルのイケイケなどこか楽しげな声に背中を押されるようにして、アルトは震える手で依頼書を剥がし、受付へと向かった。
これが、最弱の少年と口の悪い魔道具による、初めての「本格的な魔物討伐」の始まりだった。




