第26話:防塞都市の戦い Ⅱ — 葬送の指揮者
地下水道の最深部は、それまでの狭い通路とは様相が違っていた。
天井の高い、広場のような円形の空間。
かつては地下水道の集積所だったのだろう。壁には朽ちた水門の残骸が並び、中央には巨大な排水溝の蓋が苔むしたまま残されている。天井からは、隙間の多い石組みを伝って、チョロチョロと汚水が滴り落ちていた。
そして——その奥に、「それ」がいた。
燕尾服のような漆黒の衣装を纏った、細身の男。
人間に似ているが、人間ではない。耳は尖り、肌は月明かりのように蒼白い。右手には、歯車のような模様が刻まれた細い杖——いや、指揮棒のようなものを手にしている。
男の周囲では、残りの鉄鱗蜥蜴が行儀よく整列しており、その赤い目が一斉にアルトたちを捉えた。
「おや、おや」
男が——魔族が、感心したように拍手した。
「地下水道をここまで突破してくるとは。……やはり、コルンの騎士団ではなかったか。あの計画は完璧だったんですけどねぇ」
「お前が、魔物を操っていた張本人か」
「操る、というと語弊がありますね。私は指揮者ですよ。楽団を率いる指揮者。……ああ失礼、名乗っていませんでしたね」
男が指揮棒をくるりと回した。
「『葬送の指揮者』とでも呼んでください。ご主人様——ディアル様の、しがない配下の一匹です」
ディアル。
その名前を聞いた瞬間、アルトの背筋を冷たいものが走った。妖精の里で感じた、あの圧倒的な絶望の気配。瞬きの間に何もかもを置き去りにして消えていった、あの存在。
「ディアルの手下か。なら、お前にはいくつか聞きたいことがある」
ユートが剣を構え直した。
「ほう。それは交渉の提案ですか?」
「交渉するつもりなんて、ないんだろう?」
「ふふふふふふ。——では、お相手しましょうか」
葬送の指揮者がにやりと笑い、指揮棒を振り上げた瞬間——その姿がフッと掻き消えた。
「消え——っ!?」
アルトが反応するより先に、ユートの背後に男の姿が現れた。
「油断大敵」
指揮棒の先端から放たれた闇色の稲妻が、ユートの背中に突き刺さる。
「ぐっ……!」
ユートが前に吹き飛ばされたが、受け身を取りながら即座に振り返り、斬り上げた。
——空を切る。
既に葬送の指揮者は別の場所に移動していた。今度はミラの真横。
「綺麗な顔ですねぇ、お嬢さん。でも——痛い目見ますよ?」
「このっ——!」
ミラが反射的に炎弾を放つが、それが着弾する前に男は再び転移していた。通路の天井付近に。
「短距離転移……! しかも連続で使えるの!?」
「ご明察。時間と空間の狭間を渡るのが、私のちょっとした特技でしてね。……さて」
指揮棒が振られると、整列していた蜥蜴たちが一斉に動き出した。四方から挟み撃ちにする陣形。同時に、葬送の指揮者自身が転移を繰り返しながら闇の稲妻を見えない角度から撃ち込んでくる。
「くそっ、こいつ一人でも厄介なのに、魔物と同時に攻められたら——!」
アルトがバルから引き抜いた短槍で蜥蜴を突き刺しながら叫ぶ。
ユートは蜥蜴を薙ぎ払いつつ本体を追うが、転移の速度が速すぎて捉えられない。ミラは魔法で援護しようにも、味方に当たらない角度を探している間に的がいなくなる。
一撃離脱。姿を現した瞬間に攻撃し、反撃が届く前に消える。
完璧な戦術だった。
「……っ!」
アルトは歯を食いしばった。
このままでは埒が明かない。正面から追いかけても絶対に追いつけない。なら——
目を閉じた。
円形の空間に満ちた魔力の流れを感じ取る。蜥蜴たちの雑多な魔力。石壁に染み込んだ地下水の残留魔力。その中を縫うように——葬送の指揮者の冷たい魔力が、不規則に明滅している。
消える、現れる。消える、現れる。
一見ランダムに見えるその動きの中に、アルトの感覚は微かなパターンを掴み始めた。
——転移する直前に、移動先の座標に一瞬だけ魔力が「凝縮」する。
転移のための「受け口」を先に作っている。それはほんの一瞬——おそらく0.5秒にも満たない時間だが、確かに存在していた。
「見えた……!」
アルトが叫んだ。
「ユートさん! ミラさん! あいつは転移する前に、移動先に一瞬だけ魔力が集まります! 今そこに集まってます——右の壁際、水門の前!」
「ミラ!」
「分かった! 『氷壁』っ!!」
ミラの杖が唸りを上げ、水門の前の空間に分厚い氷の壁が生成される。
直後——葬送の指揮者がその場所に転移した。
「なっ——!?」
転移した瞬間、目の前に出現した氷の壁に正面衝突する。衝撃で一瞬動きが止まった。
「もらった!」
ユートが地面を蹴った。身体強化を脚に集中させた爆発的な加速。氷壁に叩きつけられた魔族に向かって、一直線に突進する。
「こ、の……! 侮るな!」
葬送の指揮者が指揮棒から闇の稲妻を放とうとした、その瞬間。
ピキンッ。
彼の足元の水が凍結していた。ミラが、氷壁と同時に足元も凍らせていたのだ。逃げようとした足が氷に捉えられ、転移の直前の集中が乱される。
「二度も——!」
「三度目はないわよ」
ミラが追い討ちの炎弾を放ち、回避ルートを塞ぐ。
そして——
「秘剣——『烈風』」
ユートの直剣が、身体強化の全力を乗せた渾身の横薙ぎを放った。
葬送の指揮者は指揮棒で受け止めようとしたが、ユートの一撃はそれごと弾き飛ばし、男の胸を深く斬り裂いた。
「がはっ……!」
黒い血が噴き出し、葬送の指揮者が膝をつく。指揮棒が手から落ちた瞬間、残っていた蜥蜴たちの目の光が一斉に消え、操り糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちた。
「お、お前たち……人間の分際で……ッ!」
「人間だから勝てたんだよ」
アルトが、いつの間にかバルから引き抜いていた短剣を構えながら言った。
「一人じゃ絶対に見抜けなかった。ユートさんの剣がなければ届かなかった。ミラさんの魔法がなければ止められなかった。バルの武器がなければ戦えなかった。僕たちは四人でひとつなんです」
葬送の指揮者はアルトの顔を見上げ——そして、ゆっくりと笑った。
「ディアル様に報告しなければなりませんねぇ……。路傍の石にしては、なかなか面白い光り方をする」
「報告なんかさせないわよ」
ミラが杖を向けた。だが、葬送の指揮者の体は既にもうもうと黒い煙を噴き出し、崩壊しつつあった。魔族は肉体が限界を迎えると、自ら消滅する。
「ご忠告を一つ……。あなたたちが今持っている自信。それが足枷になる日が……必ず来ますよ。ディアル様は——」
言葉は最後まで紡がれなかった。
黒い煙が風に溶けるように消え、燕尾服の残骸だけが、濁った水の上に浮いていた。
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ミラが炎で照らす中、ユートが魔族の残留品を調べた。
燕尾服のポケットから出てきたのは、使い古された手帳だった。
「これは……地図と場所の記録だな。あちこちの遺跡や廃墟が記されている」
ユートがページを捲る。その中の一か所に、赤いインクで大きく印がつけられていた。
東の湿地帯の奥——『古代魔道具の研究施設跡』。
「あの地下水道の魔族が持っていた地図に、赤い印がある施設。ディアルが部下に探させていたものだとすると……」
「あいつの目的に関わる場所、ってことね」
ミラの目が真剣になった。
「行くか」
ユートの問いに、全員が頷いた。
地上に戻ると、正門での戦いも終結していた。騎士団が魔物の群れを退けたのだ。
夜明けの空に朝焼けが広がり始めている。汚水と泥にまみれた四人を、温かい朝の光が照らしていた。
「……勝ったな」
「勝ったわね」
ユートとミラが小さく笑い合い、アルトは泥だらけの顔のままへにゃりと笑った。




