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第21話:汝に足りぬもの(後編)

アルトの試練


 光が収まった時、アルトは真っ暗な空間に立っていた。


 闘技場でも道場でもない。目の前にあるのは、石造りの長い廊下と、そこに張り巡らされた無数の仕掛けだった。

 床の一部が不自然に浮き上がり、壁からは金属の棒や歯車がむき出しになり、天井からは重りのついた鎖が何本も垂れ下がっている。まるで、巨大な時計の内部に放り込まれたかのようだ。


「……魔物はいない……のかな?」


 アルトは恐る恐る周囲を確認した。ミラやユートのように戦闘型の敵が出てくる気配はない。代わりに、足元の石畳に矢印が刻まれ、奥へと進む道順だけが示されている。


『おい、ノロマ。敵の気配はないが、仕掛けだらけだぞ。ヘタに踏んだら串刺しってとこだな。ヒヒッ、お前にピッタリの試練じゃねぇか。力比べじゃなくて、頭の勝負だ』


「……うん。やってみるよ」


 最初の仕掛けは比較的簡単だった。

 床に描かれた模様を読み解き、正しい順番で石畳を踏めば壁の扉が開く。間違えれば壁から石の矢が飛んでくるが、アルトの観察眼があれば踏んではいけないタイルは判別できた。


 二つ目の仕掛けは、天井から垂れ下がる重りの付いた鎖と、壁から飛び出す金属の棒を組み合わせて、離れた場所にある石のスイッチを押すパズルだった。


「バル、何か長くて曲がるものを!」


『チッ、注文が多いぜ! ほらよ、【曲がった鉄棒】だ! 使いどころのない駄武器だが、お前なら何か考えるだろ!』


 バルが出した武器は、確かに戦闘では使いようのない歪んだ鉄棒だった。だがアルトはそれを鎖に引っ掛けて梃子にし、重りの位置をずらして滑車を回し、連動した仕掛けでスイッチを押した。


「やった! 開いた!」


『フン、くだらねぇ遊びだ。だが……まあ、手際は悪くなかったな』


 三つ目、四つ目と仕掛けは複雑さを増していった。アルトは汗だくになりながらも、バルの武器を道具として駆使しながらパズルを一つずつ解き進めていく。


 だが、五つ目の仕掛けで、アルトは完全に行き詰まった。


 巨大な石の扉の前に、十数本の鎖と歯車が複雑に絡み合った機構がある。どの鎖を引けばどの歯車が回るのか、見た目だけでは全く判断できない。組み合わせのパターンは膨大で、一つ間違えれば仕掛けがすべてリセットされる構造だ。

 アルトは何度も挑戦し、何度もリセットされた。


「くっ……全然分からない。見ただけじゃ、どの鎖がどこに繋がっているのか……」


 五回目のリセットで、膝から力が抜けそうになった。

 ユートさんなら力技で突破できるかもしれない。ミラさんなら魔法でなんとかするかもしれない。でも、僕にはどちらもない。


 ——いや。諦めるな。僕には『観る』ことしかできない。なら、もっとちゃんと観ろ。


 アルトは歯を食いしばり、仕掛けの一本一本に目を凝らした。

 鎖の太さ、歯車の歯の数、錆の付き方、摩耗の具合。何でもいい、何か法則性が——


 ——その時だった。


「……え?」


 視界の端で、何かがうっすらと光った気がした。

 鎖の一本——左から三番目の鎖の表面に、かすかな、本当に目を疑うほど微かな光の筋が走っている。


「バル……あの鎖、光ってない? 左から三番目」


『はぁ? 光ってねぇぞ。どこが光ってんだよ。お前、疲れて頭いかれたか?』


「いや、でも……確かに、何か……」


 目を凝らすと、やはりうっすらと光っている。三番目の鎖から、奥の七番目の歯車まで、淡い光の線が繋がっているように見える。さらにそこから五番目の鎖へ——。


『だから光ってねぇって。錆びた鎖しか見えねぇよ俺には』


 バルの声は本気だった。つまり、この光が見えているのはアルトだけだ。

 気のせいかもしれない。疲労で幻覚を見ているだけかもしれない。

 でも——他に手がかりは何もない。


「……信じてみる」


 アルトは三番目の鎖を掴み、引いた。

 ガチャン——七番の歯車が回った。

 続けて五番目の鎖を解放する。


 ガチャン、ガチャン、ガチャン——と、歯車が正しい順序で噛み合い、巨大な石の扉がゆっくりと開いた。


「……できた」


『……マジかよ。おい、なんで正解が分かった?』


「分からない。でも、光の筋が繋がってるのが見えたんだ。……本当に光ってなかった?」


『光ってなかったっつってんだろ。俺様の目で見えないもんが、お前に見えたってことだ。……気味悪ぃな』


 アルトは自分の手を見つめた。まだ指先がうっすらと震えている。

 何が起きたのか、自分でもよく分からない。


「……なんで僕にだけ、あんなのが見えたんだろう」


『しらねぇよ。……んでもあれだ。ここの空気、魔道具の中みてぇに魔力が詰まってやがるだろ。お前は普段から俺様っつう極上スペシャルな魔道具に触れてんだ。知らず知らずのうちに、こういう濃ぃ魔力に慣れちまってんのかもな。……じゃなきゃ、お前みてぇなノロマに何かが見えるわけねぇし』


「……バル。それ、褒めてる?」


『褒めてねぇよ! 俺様が凄いって話だ! さっさと出口行けノロマ! 俺様は腹が減ってんだ!』


 アルトは小さく笑って、開いた扉の先へと足を踏み出した。


---


 扉を抜けると、石造りの広い空間が広がっていた。

 そして——


「アルト! 遅かったじゃない!」


「ミラさん! あれ、ユートさんも!?」


 ミラが手を振り、その隣ではユートが壁にもたれて静かに待っていた。よく見ると二人ともボロボロだ。ミラのローブは焦げて煤だらけ。ユートは全身に汗を滲ませ、剣を杖代わりにして体を支えている。


「最後に入ったユートさんが、なんで最初にいるんですか?」


「俺にも分からん。出口を抜けたら誰もいなかった。しばらくしたらミラが出てきて、それからお前が来た。……試練の難度や内容は、人によって違ったようだな」


「ユートは自分の試練が簡単だったって言いたいんでしょ? 私は大変だったんだから! 炎が全部吸い取られて——」


「簡単とは言っていない。……で、二人はどうだった」


 ミラが自分の試練の顛末を早口で語り(「師匠の教えを思い出して氷を使ったの!」)、ユートは静かに「技だけでは勝てない相手だった」とだけ言い、アルトは「パズルだったんですけど、途中で何か変なものが見えて……」と戸惑いながら説明した。


「変なもの?」


「うまく言えないんですけど……仕掛けの中を流れる光みたいなものが見えたんです。バルには見えなかったらしいんですけど、その光を辿ったら鎖の正しい組み合わせが分かって……」


 ユートが僅かに目を細めた。だが、何かを思い出しかけたような表情は一瞬で消え、代わりに穏やかな微笑みが浮かんだ。


「面白い力だな。お前にしかないものだ。大事にしろ」


「はい……」


---


 合流地点の先には、さらに下層へ続く通路が待っていた。

 最初の一歩を踏み出した瞬間——天井と床が『反転』した。


「きゃあっ!?」


 四人の体が宙に浮き、次の瞬間、天井に「着地」した。重力が反転しているのだ。しかもそれだけではない。下方——本来の床のほうから、数秒おきに炎の柱が噴き上がっている。


「ちょっと! 天井歩いてて下から火が上がってくるとか、何の罰ゲームよ!」


 ミラが悲鳴を上げる中、アルトは目を凝らした。個別試練で開き始めた「あの感覚」がうっすらと戻ってくる。


「……あの赤っぽいタイル、嫌な感じがします。さっきの試練の時にも似たようなのが見えて——あのタイルだけ避ければ、たぶん安全です。でも飛び飛びで、直接は渡れません」


「さっき言ってた光が見えるってやつ? ……信じるわよ、それ」


「はい、でもまだぼんやりで……。ミラさん、さっきの試練で氷が使えるようになりましたよね? 安全なタイル同士を氷の橋で繋げませんか?」


「やってみるわ! ——『氷壁』!」


 ミラの杖から不格好な氷の橋が伸び、安全なタイル同士を結んだ。だが下からの熱気で、みるみるうちに表面が溶け始めている。長くは保たない。


「急げ! アルト、ミラ、先に渡れ!」


「で、でもユートさんは——」


「俺は最後でいい。早く行け!」


 アルトが先に駆け抜け、ミラが悲鳴を上げながら続く。二人が対岸のタイルに飛び移った時には、氷の橋は半分以上が溶け落ち、もはや人ひとり渡れるかどうかも怪しかった。


「ユートさん! 早く!」


「……っ」


 ユートの足元の氷が、べきりと音を立てて亀裂を走らせた。もう一歩も踏み込めない。


 ——だが、この一瞬だけ。


 ドクン、と心臓が一拍。さっきの試練で掴んだ感覚を、もう一度。

 ユートの両足にかすかな光が走り——崩れ落ちる氷の破片を蹴り飛ばすようにして、一瞬で対岸に着地した。


「ユートさん!」


「立ち止まるな! まだ火柱が来る!」


 着地したユートがそのまま二人の背を押し、三人は火柱の間を縫うようにして走った。最後のタイルを飛び越え、全員が通路の奥の安全地帯に転がり込む。


「はぁっ……はぁっ……!」


 しばらく荒い息をつきながら、三人は天井——いや床を見上げていた。


「はぁ……はぁ……! もう服がボロボロよ……!」


「だが全員無事だ。上出来だろう」


「ユートさん、今の最後の跳躍、すごかったです……! 足が光ってませんでした?」


「……ちょっとした、コツを思い出しただけだ」


 ミラが不格好な氷壁の残骸を見て、ぽつりと呟く。


「さっきの私、結構カッコよくなかった? 氷壁、初めてにしては上出来でしょ」


「ああ。見事だった。……正直、炎しか撃てない女だと思っていた」


「殴るわよ」


『ハッ! トマト女が氷を張るとか、世も末だぜ。次は何だ、花でも咲かせるのか?』


「トマト言うな! っていうかあんたまでからかうの!?」


『事実だろうが! お前の髪の色はどう見てもトマ——』


「それ以上言ったら凍らせるわよ! 今の私は氷も使えるんだから!」


『おーおー怖い怖い! 一回使えたくらいで調子に乗んじゃねぇよ冷凍トマト!』


「冷凍トマトって何よ!! もうっ!!」


 ミラとバルがギャーギャーとやり合うのを、ユートが呆れ顔で眺めている。

 その横で——アルトが、静かに笑っていた。


『……おい。なに笑ってんだノロマ。人の揉め事を高みの見物か?』


「……ううん、ごめん」


 アルトは、自分の両手を見つめた。


「あの魔物と戦った時のこと、思い出してて。帰り道で、中級の魔物一匹に手も足も出なくて、ユートさんに怪我までさせて……あの時は怖くてバラバラだったのに」


 顔を上げて、煤だらけの仲間たちを見回す。


「今はこうやって、みんなで笑い合えるのが、すごく嬉しいなって」


 一瞬、静かになった。

 炎の罠の熱気がまだ肌を焼いていたが、それすら心地よく感じるような、柔らかい沈黙だった。


「ああ。俺たちは変わった。……この迷宮のおかげだな」


 ユートが静かに言った。

 ミラが「ちょっと、いい話風にまとめないでよ。私の怒りはまだ収まってないんだから」と頬を膨らませつつも、その目尻は少し赤くなっていた。


 四人は短い休息を終え、迷宮のさらに深い層へと足を踏み入れた。

 この先に何が待っていようと、もう大丈夫だ——そう思える自分たちがいることが、何よりの証だった。

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