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第18話:罅(ひび)

 妖精の隠れ里を後にしてから三日が経っていた。

 四人はグランディスへ戻るための街道を歩いていたが、その足取りは重い。ディアルという名の圧倒的な絶望を味わってから、パーティの空気は目に見えて変わってしまっていた。


 以前のような軽口は消え、道中で交わされる言葉は必要最低限の連絡事項だけ。

 ミラの杖を握る指先がかすかに震えていることに、アルトは気づいていた。そして自分の足が、戦いの気配を感じるたびにほんの一瞬だけ止まってしまうことにも。


 ——あの男の背中が、まだ目に焼き付いて離れない。


「……前方に魔物。一体だ」


 ユートが低く告げた。

 街道の脇にある岩場の影から、中級の魔物——牙の生えた二足の蜥蜴リザードウォーカーが一体、獲物を探すようにこちらを見つめている。

 グランディス周辺で何度も倒してきた種だ。四人で連携すれば、三分とかからない相手のはずだった。


「ミラ、先制の炎を。アルト、右に回り込んで——」


 ユートがいつもの指示を出す。だが。


「——っ」


 ミラが杖を構えた瞬間、詠唱が途切れた。声が出ない。

 頭では分かっている。たかがリザードウォーカー一体。ディアルとは比べ物にならない、ただの中級の魔物だ。

 なのに、杖を向けた先にあの男が立っているように錯覚して、指が凍りつく。


「ミラ!」


「ご、ごめ——っ」


 ミラの先制が不発に終わった隙に、リザードウォーカーが地を蹴って飛びかかってきた。

 アルトは反射的にバルから武器を引き抜こうとしたが、ここでも判断が一瞬遅れた。どの武器がいい、どう動けばいい——いつもなら瞬時に組み立てられる思考が、恐怖という名の泥に足を取られて回らない。


「くっ——」


 結局、ユートが一人で前に出て、リザードウォーカーの突進を受け止め、返しの一太刀で首を刎ねた。

 あっけない幕切れ。だが、ユートの左腕には浅い裂傷が走っていた。一人で受け止めた代償だ。


「……ユートさん、腕……!」


「大したことはない」


 ユートは表情を変えずに傷口を布で巻いたが、アルトの胸には鉛のような罪悪感が落ちてきた。

 いつもなら、あの程度の敵で怪我などさせなかった。自分が右から回り込んで注意を引き、ミラが先制で動きを止め、ユートが仕留める。そんな完璧な連携が——あの日以来、まるで噛み合わなくなっている。


「……ごめんなさい。私のせいで……」


 ミラが杖を握りしめたまま、うつむいた。声が震えている。

 彼女は自分の不甲斐なさに怒っているのだ。最強の炎を誇る魔法使いが、たった一体の中級魔物を前に固まってしまった現実に。


「気にするな。俺たちは今、調子が悪いだけだ。少し休もう」


 ユートの声は変わらず冷静で、穏やかだった。

 だが、アルトの観察眼は見逃さなかった。ユートの剣を持つ手が、鞘に収める時にほんの一瞬だけ強張っていたことを。

 彼だって恐怖を感じているのだ。ただ、それを表に出すことを自分に許していないだけで。


『…………』


 バルは、珍しく黙っていた。


---


 それから半日ほど歩いた頃、街道の先から悲鳴が聞こえた。


「助けて! 誰か——!」


 荷馬車が横転し、散乱した荷物の影で、行商人らしい男とその妻、そして小さな子供が魔物に追い詰められていた。

 角の折れた低級の魔物が二体。先ほどのリザードウォーカーよりさらに弱い。


「——行くぞ」


 ユートの声に、今度はアルトもミラも遅れなかった。

 弱い相手だと頭で理解できたからだ。理屈で恐怖を押さえ込める程度の敵。

 それでも連携は雑だった。ミラの炎は少し狙いがズレて荷物を焦がし、アルトは武器選択に迷って最適解を出せなかった。ユートが二体とも仕留めたようなものだ。


 だが——命は救えた。


「あ、ありがとうございます! 危ないところでした……!」


 行商の男が何度も頭を下げる中、その陰に隠れていた小さな子供——五歳くらいの女の子が、おずおずとアルトの前に出てきた。


「お兄ちゃんたち、ぼうけんしゃさん?」


「え? あ、うん……一応」


「すごいね! まものやっつけたんでしょ? かっこいい!」


 女の子の目が、キラキラと輝いていた。

 戦闘は雑で、連携はバラバラで、一人前の冒険者とは程遠い様だった。

 なのに、この子の目には「すごい」「かっこいい」と映っている。


 アルトの胸の奥で、何かが小さく軋んだ。


 ——そうだ。僕たちはまだ、誰かを助けることができる。


 完璧じゃなくても。あのバケモノには手も足も出なくても。目の前で困っている人の命を救うことは、今の自分たちにだってできるのだ。


 行商一家と別れた後、アルトはしばらく無言で歩いていた。

 ミラも同じだったのだろう。先ほどまでの暗い顔が、ほんの少しだけ和らいでいた。


---


 日が暮れて、四人は街道脇の林の中で野営の火を囲んだ。

 スープを温めながら、しばらく沈黙が続いた。


 最初に口を開いたのは、意外にもユートだった。


「……俺の故郷は、数年前に魔族に襲われて壊滅した。大切な人をさらわれて、取り返したくて一人で旅に出たが……当然、すぐに行き詰まった。魔物の群れに囲まれて死にかけたところを、一人の剣士に助けられたんだ」


 アルトとミラが顔を上げた。ユートが自分の過去を語ることは、ほとんどなかった。

 焚き火の爆ぜる音だけが響く中、ユートは淡々と続けた。


「その人は、むちゃくちゃに強かった。俺なんか足元にも及ばない。なのに、何でも一人でやろうとするタイプじゃなかった。馬鹿みたいにお人好しで、困ってる奴を見ると放っておけなくて、道中で世話焼きすぎて日程が遅れるような、そういう人だった。……その人と、しばらく一緒に旅をした」


「ユートさんの師匠みたいな人……ですか?」


「ああ。剣も、魔力の基礎も、全部あの人に叩き込まれた。——勇者だよ」


 その一言に、アルトとミラが息を呑んだ。


「ゆ、勇者……って、あの……!?」


「嘘でしょ……? 世界を救って、そのまま姿を消したっていう……」


「ああ。世間じゃ御伽噺みたいに語られてるが、実物は本当にただのお人好しだった」


 ユートがかすかに目を細めた。懐かしむような、それでいて痛みを堪えるような表情だった。


「……なるほどね。あなたがこれだけ強いわけだわ。伝説の勇者に鍛えられてたなんて……」


 ミラが小さく息を吐いた。驚きの中にも、どこか納得したような声だった。


「そっか……。じゃあ、あの剣も……」


 アルトの視線が、ユートの腰に差された直剣に落ちた。

 ユートは答えなかったが、その沈黙が何よりの肯定だった。


 しばらく焚き火の音だけが響いた。


「その人がこんなことを言っていた。『廃山脈の奥に、古い遺跡がある。あそこの仕掛けは容赦ないが、あそこを超えた奴は必ず一つ上の階段に立てる』と。いつか俺をそこに連れて行こうとしていた。……結局、その前に別れてしまったがな」


 ユートの声に、いつもの冷静さの奥にある、かすかな痛みが滲んでいた。

 あの人と剣を交し合い、ときに背中を預け合い、夜営の火を囲んで語り合った日々。あの時間が永遠に続くと思っていたのに、ある朝目覚めたら、そこにはもう誰もいなかった。


「ユートさん」


 アルトが口を開いた。


「行きましょう、その遺跡に」


「……アルト?」


「ディアルを倒すためとか、そんな大きなことじゃなくて……。さっきみたいに、目の前の人をちゃんと助けられるようになりたいんです。今日の僕たちは、ダメダメでした」


 アルトは自分の両手を見つめた。あの子供の輝く目が、まだ胸に残っている。


「あの子が『かっこいい』って言ってくれたけど、全然かっこよくなかった。もっとちゃんと、みんなで助けたかった。……だから、もっと強くなりたいです。一つ上の階段に、登りたい」


 まっすぐな言葉だった。

 ディアルへの復讐でも、世界を救う大義でもない。ただ、目の前の命を守れる自分になりたい。それだけの、小さくて真っ直ぐな決意。


 ユートが少しだけ目を見開き、それから——ディアルと遭遇してから初めて、口元に笑みを浮かべた。


「……ああ。ダメダメだったな、確かに」


「私も行くわよ。……正直、今日の自分が情けなくて死にたいくらいだもの。あんな雑魚相手に固まるなんて、師匠に知られたら破門じゃ済まないわ」


 ミラが杖を握り直し、ふっと鼻を鳴らした。

 その目には、先ほどまでの自己嫌悪を塗り替えるような、静かな闘志が灯っている。


『フン! ダメダメなのは今に始まったことじゃねぇだろ! ノロマどもが! ……だが、古い遺跡ってんなら、年代物の魔石がゴロゴロしてるかもしれねぇな。俺様の腹を満たせるなら、付き合ってやらんこともないぜ!』


 バルがいつもの調子で毒づく。

 その声を聞いた瞬間、アルトの肩から少しだけ力が抜けた。


「決まりだな。ここから北西、グランディスの先の廃山脈だ。物資を補充してから向かおう」


 ユートが立ち上がり、地図を広げた。

 その横顔はもう、焼け野原で呟いていた時の暗さを纏っていなかった。


 ——恐怖は消えていない。

 あのバケモノを思い出すだけで、全身が凍りつきそうになる。

 だけど、もう立ち止まることはしない。立ち止まっていたら、目の前で差し出された手すら握り返せなくなってしまうから。


 アルトはスープの残りを一気に飲み干し、観察ノートの新しいページを開いた。

 そこに書いたのは、魔物の弱点でも武器の特性でもなく——たった一行の走り書きだった。


 『つぎは、ちゃんと助ける。みんなで。』

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