第16話:死闘、対魔族戦
「ユートッ!!」
ミラの絶叫が響く。彼女は即座に自分のすべてを込めて特大の魔法を放った。
「燃やし尽くせ、クソ悪魔! 『爆ぜる熱波』!」
巨大な炎の球が魔族——ディアルの部下へと真っ直ぐに飛んでいく。漆黒猿を一瞬で怯ませたほどの火力だ。
だが、魔族は表情一つ変えなかった。
「……五月蝿い女だな」
彼が再び青白い指先を軽く振ると、ミラの生み出した業火は、魔族の周囲に展開された見えない壁(魔力障壁)に衝突し、まるで水たまりに落ちた火の粉のように「ジュッ」と音を立てて掻き消されてしまった。
「嘘……私の最大火力が、まったく効いてない……!?」
魔法使いであるミラにとって、それは理解が追いつかない現象だった。
魔族は自らの魔力を一切の媒介なしに直接操ることができる。人間が魔道具(杖など)を通して構築する魔法など、彼らにとっては児戯に等しいのだ。
「次は貴様だ、赤い女」
魔族の指先から、再び無数の黒い針が生成される。
ミラが防御魔法を展開するよりも早く、死の雨が彼女へと降り注ごうとした——その瞬間。
「ミラさん! しゃがんで!!」
アルトが叫びながら、ミラの前に飛び出した。
彼の手には、バルから弾き出された『ひどく歪んで、刃の半分が極端に分厚くなった盾のような大剣』が握られていた。
ガガガガガッ!!
黒い針が分厚い大剣の腹に激突し、アルトは激しい衝撃に後ろへ吹き飛ばされそうになる。
「ぐぅっ……!」
「アルト!」
『フン! ノロマのくせにいい壁になりやがる! だがいつまでも耐えられると思うなよ! あいつの魔力は濁りすぎてて、盾ごと腐らせちまうぞ!』
バルの警告通り、アルトの持つ大剣は黒い針を受けた部分からドロドロと溶け始めていた。魔族の魔力は、触れるものを物理的に腐敗・崩壊させる性質を持っているのだ。
「……ほう。ただのガラクタだと思ったが、面白い魔道具を持っているな」
魔族が初めてアルト——正確には背中のバルへと興味を示した視線を向けた。
「その黄色い袋、只者ではない魔力を孕んでいる。なかなか興味深い。」
「バルは渡さないっ……!」
アルトが痛む腕を庇いながら睨みつけると、ユートが血を流しながらも立ち上がり、再び魔族へと肉薄した。
「よそ見をしている余裕があるのか」
「……しぶとい剣士だ」
ユートの剣撃と魔族の魔法による、次元の違う高速戦闘が繰り広げられる。
だが、圧倒的な実力差は誰の目にも明らかだった。ユートの剣は魔力障壁に弾かれ続け、魔族の放つ腐食の魔法や見えない衝撃波が、確実にユートの体力を削っていく。
(このままじゃ……ユートさんが殺される!)
アルトは、ユートと魔族の間に絶望的な力の差があることを肌で感じ取っていた。
魔族の見えない壁は、魔法を撃つ瞬間だけ、ほんの少し防御が薄くなる。アルトは目を凝らしてその一瞬の隙を見つけたが、ユートが踏み込むには遠すぎた。
力押しじゃ絶対に勝てない。強大な魔力を持つあいつを倒すには、魔法を撃つ瞬間、その魔法ごと邪魔するしかないんだ。
「バル! あいつの『魔法』を邪魔できるような……何か変な武器はない!?」
『あぁん? 俺様の力をアテにするとは生意気なノロマだ! だが、あの不味い魔力を見せつけられるのは不愉快だぜ。……ほらよ、とっておきの【得物】だ!』
アルトがバッグから引き抜いたのは、見たこともない奇妙な形状の『槍』だった。
穂先がパラボラアンテナのように奇妙に反り返り、持ち手にはいくつもの穴が空いている。一見するとただのガラクタだが、アルトの直感が、この武器の『本当の使い道』を閃かせた。
「ミラさん! 次にあいつが魔法を撃つ瞬間、全力で僕の『槍の穂先(反り返った部分)』に向けて炎を放ってください!」
「はぁ!? あんたの武器を燃やしてどうするのよ!」
「いいから! 信じてください!」
アルトの声には、迷いがなかった。
ミラは一つ舌打ちをすると、「外したら燃やすわよ!」と叫んで杖を構えた。
「ユートさん! 少しだけ距離を取って、奴を『正面』に誘い込んでください! 一撃だけ、絶対に隙を作ります!」
血まみれのユートはアルトを振り返ることなく、だが確かにアルトの指示に従い、後ろへ跳躍して魔族から距離を取った。
「逃げるつもりか? 無駄な足掻きを」
魔族はユートを追いかけ、正面から特大の魔法——周囲の空間を腐食させる『黒の波動』を放とうと、両手を前に突き出した。
魔力障壁が展開から攻撃重視へと切り替わり、一瞬だけ防御が薄くなる、そのコンマ数秒。
「今です!!」
アルトが奇妙な槍を魔族に向けて突き出す。
同時に、ミラが杖から放った渾身の『炎弾』が、槍の反り返った穂先に激突した。
——ズドォォン!!
すり鉢状になった穂先の中で、ミラの爆発的な炎の魔力が圧縮され、乱反射した。
そして、持ち手の穴から『強烈な不協和音を持った魔力の風』が前方へと吹き荒れた。そればバルの「魔力を喰らって変換する変な力」が、ミラの魔法を『指向性を持った魔力かく乱波』へと歪ませた結果だった。
「……なっ!?」
放とうとしていた『黒の波動』が、かく乱波に相殺され……いや、文字通り「グチャグチャに掻き回され」て霧散した。
絶対の自信を持っていた直接魔法の行使を、こんな原始的で歪な方法で邪魔されたことに、上位種である魔族の思考が一瞬だけ完全にフリーズする。
「——そこだ」
致命的な隙。
距離を取っていたはずのユートが、すでに魔族の懐へと滑り込んでいた。
魔族が慌てて魔力障壁を再展開しようとするが、ユートの動きはそれよりも速かった。
「秘剣——『月影』」
ユートの研ぎ澄まされた直剣が、冴え冴えとした銀光の軌跡を描き、魔族の首を完璧に両断した。
「ばか……な……人間、ごときに、……私が……」
ゴトリ、と。
人間の言葉を解す恐るべき魔族の首が地面に落ち、その身体は黒い灰となってサラサラと崩れ去っていった。灰の中から、赤黒く濁った魔石がコロリと転げ落ちる。
「……はぁ……はぁ……」
ユートがその場に膝をつき、剣を杖代わりにして荒い息を吐いた。
ミラも魔力切れで座り込み、アルトは震える手で奇妙な槍を取り落とした。
勝った。
四人の力をすべて結集し、ギリギリの、本当に紙一重の死闘の末に、彼らは理不尽なまでの強さを持った『魔族』を打ち倒したのだ。
「や……やったぁっ……!」
「ああ。みんな、よくやってくれた……アルトの指示がなければ、全滅していた」
互いの無事を喜び合い、安堵の空気が焼け焦げた里の跡地を包み込む。
この勝利は、最弱の初心者と、厄介な魔法使い、過去を背負う剣士、そして口の悪い魔道具というデコボコな四人が、本物の『最強のパーティ』になったことを証明するものだった。
——だが。
彼らがその勝利の余韻に浸れたのは、ほんの数秒だけだった。
「…………ふむ」
廃墟の奥から——いや、虚空から直接響くような、甘く、冷たく、底知れない声がした。
気がつけば、崩れた古木の家の上、月明かりを背にして『誰か』が座っていた。
いつからそこにいたのか。アルトの観察眼も、バルとミラの魔力感知も、ユートの剣士としての直感も。誰も、彼がそこに現れるまでの一切の気配を感じ取ることができなかった。
漆黒の髪。端正で美しい、だが感情の抜け落ちた顔。
その男は、虫の死骸でも見るような退屈そうな真っ赤な瞳で、眼下で灰になった部下を見下ろしていた。
「……使えない駒ですね。ここで壊れる程度の道具ならば、用済みだ」
男がポツリと、眼下で灰になった部下を見下ろして吐き捨てた。
怒りも悲しみもなく、ただ壊れた玩具を捨てるような無機質な声。それが空気を震わせただけで、アルトたちの——グランディスで漆黒猿を倒し、今しがた上位の魔族すら退けた百戦錬磨の四人の——全身の毛穴が開き、本能がかつてないほど狂った警告を鳴らし始めた。
(違う……さっきの奴とは、比較にならない)
アルトは息の仕方すら忘れ、カチカチと鳴る自分の奥歯を止めることすらできなかった。
本能が、喉の奥で『声を出せば死ぬ』と叫んでいる。
(こんな奴勝てないわ……。逃げることすらできない)
圧倒的。理不尽。
自然災害が服を着て歩いているかのような、次元の違う『死のプレッシャー』にミラも指一本動かせないでいた。
「……あいつは」
ユートが震える手で、再び剣を構える。警戒心を剥き出しにするユートたちに対し、男は初めて、酷薄な光を宿した瞳を向けた。
「使えない駒を殺したくらいで私を警戒するなど、烏滸がましい。路傍の石は石らしく、黙ってじっとしていなさい。」
復讐にも、部下の死にも一ミリの興味がない。ただ自分が探し求める『何か』の回収という目的だけに関心があり、アルトたちはその道を塞いでいなければ認識すらされない「石ころ」なのだ。
男は退屈そうにため息をつくと、パチン、と指を鳴らした。
直後、男の背後の空間が歪み、闇色の扉のようなものが現れる。男は武器を構えるアルトたちをそれ以上一瞥することもなく、その歪みの中へと姿を消した。
圧倒的な強者——のちの魔王復活の鍵を握る上位魔族、ディアルとの最初の遭遇。
彼らは攻撃すらされずに見逃された。
だが、その『無関心』こそが「もし攻撃されていれば間違いなく全滅していた」という事実を何よりも残酷に証明し、アルトたちの心に埋めようのない深い恐怖と無力感を刻み込んだのだった。




