第1話:呼ばれた気がした
「坊主、冒険者になりたいのか? ならこの剣なんかどうだ。歴戦の騎士が使ってた業物だぜ!」
王都の隅に広がるガラクタ市。むせ返るようなホコリの匂いが混ざる中、恰幅の良い商人が大仰な身振りで長剣を差し出してきた。
十三歳になるアルトは、怯えたように一歩下がりながら、首を横に振った。
「い、いや……いいです」
剣のことはよくわからないが、柄の根元に不自然なガタつきがあることくらいは見えた。一度でも硬いものを斬りつければ、間違いなく折れるだろう。
何より、商人が「業物」と言った瞬間に目がわずかに泳いだのが気になった。
「なんだよ、金がないなら冷やかさないでくれ!」
商人の怒鳴り声にビクッと肩をすくませ、アルトは逃げるように人混みの中へと早歩きで離れた。
(やっぱり、ちゃんとした武器なんて買えない……)
両親を病で亡くし、身寄りのないアルトが一人で生き抜くためには、冒険者の下働きのような依頼を受けるしかなかった。
しかし手元にあるのは皮袋に入ったなけなしの銀貨数枚だけ。魔物と戦うための武器どころか、自分の身を守る防具すら買えない。
焦燥感と不安が胸を押し潰しそうになる。
街の大人たちは冷たく、子供一人が生きていくにはこの世界はあまりにも厳しい。
どうすればいいのかわからず、歩き疲れて俯き加減になっていた時だった。
『……おい』
ふと、微かな掠れ声がアルトの耳を打った。
アルトはビクッと立ち止まり、周囲をキョロキョロと見回す。
行き交う人々は誰もアルトのことなど見ていない。
『おい、そこの……』
気のせいではない。確かに、何かが語りかけてくるような奇妙な感覚。
アルトは声のした方、ガラクタ市のさらに外れにある薄暗い露店へと、吸い寄せられるように歩みを進めた。
埃を被った奇妙な品が積まれた山。その頂上に、それは置かれていた。
分厚い黄色の革で作られた、少し大きめのメッセンジャーバッグ。
真鍮のバックルが鈍く光り、太いベルトが垂れ下がっている。小柄なアルトが背負えば、お尻まですっぽり隠れてしまうくらいには大きい。
「おや、そいつに興味があるのかい?」
いつの間にか目を覚ました店主が、胡散臭い笑みを浮かべて擦り寄ってくる。アルトは肩を震わせた。
「そいつはちょっとした『いわくつき』でね。中に物を入れるとなぜか消えちまうんだよ。ジョークアイテムとしては面白いだろう?」
消えてしまうバッグ。実用性など皆無だ。
アルトもそれは分かっていた。だが、じっとその黄色いバッグを見つめていると、どうしようもなく奇妙な感覚に囚われた。
ただ……なぜだろうか。一人静かに積まれたそのバッグから、どうしようもない「孤独」のようなものが発せられている気がしたのだ。
(……変だな。ただの革のバッグなのに)
頭ではそう思っているのに、なぜか目を離すことができない。心細さが、そのバッグの孤独と共鳴しているような気さえした。
「……これ、いくらですか?」
気がつけば、アルトは震える手で、手持ちの銀貨をすべて差し出していた。
* * *
午後、王都周辺に広がる「静寂の森」。
「……ハァ、ハァ……」
アルトは、買ったばかりの黄色いバッグを背負いながら、薄暗い森の中を怯えながら歩いていた。
バッグは確かに大きかったが、革自体の重さくらいで、背負って歩けないほどではない。
結局、全財産をバッグに使ってしまったアルトは、森の入り口で拾った「太く硬い樫の木の枝」を杖のように力強く握りしめていた。
初心者向けの「太陽草」を十本集めるだけの簡単な依頼。森の浅い場所なら魔物も出ない、とギルドの受付で言われたから来たものの、木々が風に揺れる音だけでも、アルトはビクビクと肩を震わせていた。
(早く、早く集めて帰ろう……)
そう思って早歩きになった時だった。
カサッ……ゥウウウ……。
風の音ではない。低い、獣の唸り声。
アルトは心臓が跳ね上がるのを感じて、ピタリと足を止める。
茂みの奥から現れたのは、血走った眼を持つ狼型の魔物――「ホーンウルフ」だった。
額に生えた鋭い角が、真っ直ぐにアルトに向けられている。
「ヒッ……!」
アルトは恐怖で足が竦み、一歩も動けなくなった。
両手で樫の枝を握りしめるが、ガチガチと歯の根が合わず、腕の震えが止まらない。
来る。狙われている。
ホーンウルフが後ろ脚にギュッと力を込めるのが見えた。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ……!)
頭では痛いほど分かっているのに、恐怖で体が硬直してまったく言うことを聞かない。腰が抜けそうになり、そのままズルズルと地面にへたり込んでしまった。
「ああ……あ……!」
狼が地を蹴り、無防備なアルトの顔面めがけて一直線に飛びかかってくる。
強靭な顎が大きく開き、鋭い牙と生臭い息がすぐそこまで迫った。
もうダメだ。食われる。
アルトがギュッと目を閉じ、両腕で顔を覆おうとした、まさにその時。
ガキンッ!
アルトの背後――袈裟懸けに背負っていた黄色いバッグの重厚なバックルが、ひとりでに勢いよく弾け飛んだ。
『俺を開いて、あの犬っころに向けろォォッ!!』
突然、耳元でつんざくような大音量の怒鳴り声が響いた。
あの掠れた声とは全く違う、野太く暴力的な声。
「えっ!?」
恐怖とパニックで思考が真っ白になっていたアルトは、あまりの急展開に悲鳴を上げる暇すらなかった。
だが、体が勝手に動いた。生存本能がそのあり得ない命令に従えと叫んでいた。
アルトは無我夢中でバッグのフラップ(上蓋)を両手で掴み、自分を守る盾のようにして、前へガバッと大きく広げた。
飛びかかってきていたホーンウルフにとって、それはアルトの顔面を覆い隠す巨大な「穴」だった。
空中に飛び出していた狼は、軌道を変えることなどできない。
ズボォォォォンッ!!!
「ギャッ……!?」
アルトの身体を突き飛ばすような強烈な衝撃。
だが、牙が肉に食い込む鋭い痛みは来なかった。
恐る恐る目を開けると、広がったバッグの口の奥――不自然なほど真っ暗な深淵の中に、ホーンウルフの前半身が突っ込んでいた。
『しゃらくせェ! 丸呑みだ!』
アルトの腕が弾かれ、バッグの口が自らの意思を持つようにバクンッ!と閉じる。
中でウルフがドタバタと暴れるような強烈な振動がアルトの背中と胸に伝わってきたが、それも数秒のことだった。
ゴキリ……メキバキィッ……!
およそ革製のバッグから鳴るとは思えない、骨と肉を無惨に噛み砕く、身の毛のよだつような咀嚼音が森の中に響き渡る。
アルトはへたり込んだまま、目の前の現実が全く理解できず、ただパクパクと口を開閉させることしかできなかった。
森に静寂が戻る。
魔物を丸呑みにし、言葉を叫ぶ、奇妙な黄色いバッグ。
震えるアルトの胸元で、バッグは満足そうに小さくブルッと身をよじった。




