【第四百七十八話】魔女の誕生秘話
世界的な魔術師に囲まれて耐えきれなくなった僕は、トイレと言って部屋から抜け出してきた。
「やぁ、腹痛は収まった?」
僕が教室の扉から少し離れた位置に立っていると、部屋から出てきたメッダルが僕にそう話しかけてきた。
「えぇ、まぁ」
「はは! 実際はトイレに行く気なんてなかったくせに」
「……」
どうやらバレてたらしい。
やっぱり魔王は侮れないな。
メッダルは僕に向かって「隣いいかい?」と言ってきたので、僕は渋々「いいですよ」と答えた。
……というより、あまり恐怖を感じてないな……?
「あの、恐怖の力って……」
「弱めてるよ? ここで全開放しちゃうと大量に死人が出るからね。イルモラシアとイルジーが黙ってない」
恐怖の力って弱められるんだ……。
僕はそんなことを思いながら、メッダルが隣で立ったのを横目で見た。
……やっぱり少し怖いわ。
魔王の力を完全になくすことはできないらしい。
僕がそんなことを思っていると、メッダルがぽつりと、何か独り言を発すように言った。
「イルモラシアは元々、捨て子だったんだ」
「……え?」
イルモラシア校長が……捨て子?
「だいたい今から一二〇年ぐらい前かな? あの頃に、僕とイルジーが森の中で彼女が捨てられているところを見つけた」
一二〇年ぐらい前……。
やはりエルフと言うべきだろうか。一二〇年前という言葉がぽろっと出てくるのは、時間感覚が普通の人間の僕にとっては、少し不思議な感じがした。
「それって、大丈夫だったんですか? その……恐怖の力とか」
「あぁ、そのときはまだ僕は魔王じゃなかったよ。同じように、イルモラシアも魔女じゃなかった」
メッダルがそう言って、壁にもたれかかった。
「当時の僕とイルジーの関係は謂わば仕事仲間でね。いろいろな人間から依頼される仕事をこなして小銭を稼ぐっていう生活をしてたんだ」
そんな中で、まだ五つにも満たない彼女を見つけたんだ。とメッダルが言った。
昔のイルジー・クラサとメッダルが冒険者をしていたとは。
少し意外に思いながらも、その二人ならどんな依頼でもこなしてくれる信頼感がありそうだと僕は感じた。
「僕はそのとき、教会にでも放り込もうと思ってたんだ。子供を育てられるほどの余裕は僕たちにはなかったからね。でも……」
メッダルが顔を下げて、耳に赤いピアスが揺れた。
「イルジーが言ったんだ、『育てよう』って」
「育てる……」
「僕たちには育児の経験なんてなかった。僕はエルフだから繁殖行動にはあまり感心がなかったし、イルジーだって魔法一筋で伴侶の一人もいなかったんだ」
それなのに、二人は幼いイルモラシア校長を育てようとしていたのか。
仕事仲間でもあるのと同時に、信頼しあっていた関係だったのがわかる。
「それで、まぁ、最初はドタバタしたよ。何を食べるか分からなかったし、言葉も上手く喋れなかった。何もかもが未体験で、僕もイルジーも常に疲れてたね」
メッダルは口では嫌な経験のように話しているが、その口元は少しだけ持ち上がっていた。
その反応を見ると、真っ当な親代わりをしていたのだろう。
「それでも僕たちが仕事でヘマをすることはなかったし、育児も徐々に安定してきてね……まぁイルモラシアが七歳の頃には慣れてきたわけだ」
でもそこからだった。とメッダルの声がワントーン下がった。
「イルモラシアがイルジーと距離を置きはじめたんだ。まるで苦手な相手と接するみたいにね」
メッダルは苦笑いをしながらそう言った。
これが本当にあの恐怖の魔王か?
そんなふうに思えるほど、今のメッダルの姿は魔王のメッダルの姿よりも随分と柔らかい印象を受けた。
「その分、彼女は僕に懐いてね。姉のように思ってくれてたんだろう。今はあんな暴君だけど」
イルモラシア校長がメッダルのことを姉のように接している場面が想像できない……。
本当にあった話なのだろうか? それは。
「それで、いつだったか魔法学校に行きたいってイルモラシアが言い出してね」
「魔法学校に……ですか? イルジーさんかメッダルさんに魔法を教わればよかったのに」
「育ての親に教わるよりも学校の先生に……っていう考えだったんだろうね。僕たちが魔法学校の話をしてすぐにそう言ってきたし。まぁ、特に反対する気も無かったし、ツテで身分を作って、イルモラシアをホーラ魔法学校にぶち込んだ」
言い方……。
というかツテで身分を作ったってなんだ?
「彼女はどうやら魔法にすごい才能があったらしくてね。イルジーとまでは行かなくても、魔王になる前の僕を越すぐらいはすぐだった」
メッダルが魔王になる前の強さがどれほどだったのかは知らないが、それでも魔法学校に通っただけでそこまで成長をするのは、流石イルモラシア校長としか言いようがない。
「それで、魔法学校を卒業したイルモラシアは今度はイルジーに教えを請いたいと言ってきたんだ」
「えっ、でも……」
イルモラシア校長はイルジー・クラサに対して苦手意識を持っていたのでは?
そう思っていたのをメッダルは察してか、すぐに言葉を放った。
「どうやら尊敬してたっぽいね。まぁ、あれは尊敬っていうより、偏愛な気もするけど」
「と言うと?」
「イルジーと一緒の布団で寝ようとしたり、イルジーをバカにするやつは半殺しにしたり……あとは」
「もういいです」
「そう? もっと聞きたくな──」
「ないです」
僕がそう言うと、メッダルはあっそうと返した。
なんか……キツイ。
イルモラシア校長がそんなことをしていたとは知りたくなかった……。
「んでまぁ、その後もイルモラシアがバカやって魔女化したときには、角を消したりなんかのことをしたわけだ」
さらっとイルモラシア校長が魔石を粉末状にして吸った話が端折られてる……。
いや特に話すような内容ではないことは知っているのだが、できればそこをもう少し知りたかった。
「んで、ここから、イルモラシアとイルジーの仲が気まずくなった理由の話だ」
メッダルはそう言って、僕の腕を引っ張って、体を引き寄せた。
いくら恐怖の力を抑えているとはいえ、直に触られると流石に体がすくんでしまう。
彼女が僕の耳に口を近づけ、小声で話し始めた。
「他言はしないでね?」
メッダルがそこまで言うということは、それほど知られたくない情報なのだろう。
僕はその言葉に小刻みに震えながら「はい」と答えると、彼女はよしと再び壁にもたれかかった。
恐怖にも慣れてきたな。
「あれはある日の朝のことだった──」
まるで物語の始まりのように、メッダルが話し始めた。




