【第二百十七話】魔王の計画
「うっ……はぁ、痛……」
僕は何かの店の壁にもたれかかり、左脇腹を抑える。
僕はあの後、リンチを受けた。
髪を掴まれたと思ったら顔面を殴られたり、腹を何回も殴られたりと……いろいろだ。
お陰で色々な箇所で未だに激痛が走っている。どこかしらの骨が折れているのだろう。
正直、こうやって壁にもたれかかっていても辛い。魔法杖で体を支えなければ歩けないほどだ。
「これはこれは、こてんぱんにやられたな。あざだらけじゃないか」
僕が目を瞑って痛みに耐えていると、黒いロングマント……シビルが僕の目の前に現れた。
満月が彼女の背後に陣取り、フードの下にあるシビルの顔は暗くてよく見えない。
だが、気味の悪い笑みを浮かべていることは不思議とわかる。
「笑いに来ただけか……?」
僕は痛みに悶えながらシビルにそう訊いた。
悪趣味なことをするものだ。
「まさか。もう一度聞きに来ただけだ。
お前さん、我と協力しないか?」
「……協力って?」
僕がそう言うと、シビルは僕の顔を下から覗き込んだ。
彼女はやはり気味の悪い笑みを浮かべていて、その金の瞳孔は大きく開いている。
「簡単だ。最初に会ったときを覚えているか? リーバルトよ」
最初に会った時……確かモルセラの街でシビルが登場で、変に格好を付けて失敗していた記憶がある。
その時は確か……面白いだの、配下になるかだの言っていたな。
「配下にはならない」
「そうか? 今度こそは巨万の富も授けられるが? なんだったら我の計画が成功した暁にはどこかの小国一つの領地を与えてやっても良い」
後者はともかく、前者は金がない僕にとってはそれなりに良い条件ではある。
おそらく僕が彼女に加勢したら、彼女は僕に本当に巨万の富か領地を与えるだろう。
だが、そのために死のリスクが膨大な作戦に僕は加担したくない。
「僕は金持ちになる予定も、王様になる予定もない」
「ふむ……お前さんには有効ではないか……」
シビルは何か考える仕草をした後に、何かを思いついたような顔をした。
そして彼女は10本の指を僕の目の前に開いて突き出す。
「10人。お前さんの好きな10人の人間を我の人間の奴隷化計画から見逃してやろう」
「……は?」
何を言っているんだ? こいつは。
「もともとは3人だけにしてやろうと思ったが、ここは寛容に10人でいいぞ」
そう言っていかにも我は寛大であるとでも言いたげな笑みを浮かべているシビルに、僕は無性に腹立たしい気持ちになった。
「それで僕が喜ぶとでも思ったのか……!?」
僕は怒りのまま激痛が体中に走っているのすら忘れて彼女の胸ぐらを掴んだ。
胸にズキズキとした痛みが走るが、そんなものにはかまっていられない。僕は顔をしかめたまま彼女を睨みつける。
「……どうやら我とお前さんは根本的に考えが違うらしい」
「今更そのことに気がついたのか!」
僕はそう怒鳴って彼女の体を左腕の力だけで持ち上げた。
火事場の馬鹿力とも違うのだろうが、痛みの走る中でよくこんなにも力が発揮できるものだ。
「先程人間に嬲られてどう思った」
「悲しかったし、痛かったさ! でもあれは僕が客の料理を蹴散らしたせいで、魔人であることが直接の原因ではなかった!」
「魔人だからそれほどにまで痛めつけられたのだぞ?」
「魔人だったとしても魔人じゃなかったとしても、僕があの場で何もしなければあの人達は何もしなかったっ!」
僕は叫びすぎたせいかむせてしまった。
彼女は僕を心底つまらなそうな目で見つめ、のたまう。
「我は生まれつきの魔人だ。後天性の魔人であるお前には我がこの31年で何を受けてきたか知らんだろう」
シビルはそう言って僕の左腕を右腕で掴んだ。
彼女の鋭く伸びている爪が僕の腕に食い込んでいく。
「もう一度この腕を失いたくないなら、今すぐ我を離せ」
僕はシビルにそう言われて、彼女から手を離した。
僕が手を離すと同時に彼女の右手も僕の左腕から離れ、シビルは静かに地面に着地した。
「手帳の礼だ、殺しはせん。次は…………いや、そういえば手帳の言語を解析してもらった時に教えてもらった言葉がある。
『仏の顔も三度まで』我は魔王だが寛容だ。二度目までは許してやろう」
そんな言葉を教えてもらう状況が思いつかないが、少なくともあと1回はシビルと会う機会ができるらしい。
「二度とも会いたくないけどな」
「我もだ」
シビルはそう言って踵を返した。
どこへ行くというのか。
「どこに行くつもりだ」
「拠点探しだ。何事も安心できる場所が必要だろう?」
今から人間を不安のどん底に落とそうとしている奴が何を言っているのか。
僕はそう思いつつ、杖を彼女に向ける。
「殺せるのか? せめて傷が癒えてからにしろ」
シビルは僕の方を振り返ることもせず、そのままどこかへと歩みを進めている。
「ガードリアでの用も済んだ。我は次へと行く」
シビルはそう言って街の門がある方角へと去っていってしまった。
僕は結局魔法を発動することもできずに、ただただ杖を前に突き出しているだけである。
「痛た……」
僕は痛む胸元を押さえてその場にへたり込む。
流石にこれは助けを呼ばないと不味いかな……。
でも助けてもらうあてもないし、先程の怒鳴りで大声を出せる気力もなくなってしまった。
このまま僕の泊まっている宿へと向かうしかほかはないだろう。
「……はは、帰れるかなこれ……」
とりあえず、帰ったらアディに謝らなければ……。
僕はそう思って、宿へと頼りない足取りで向かった。




