【第百九十八話】思惑
【視点:リーバルト・ギリア】
ガタガタと揺れる場所で、柔らかい枕の感触を感じて、僕は目を覚ました。
あの幼女天使のいる白い空間でも、地獄でも、天国でもない。
よかった……死んでなかった。
僕はそう安堵しながら、周りを見渡す。
周りというか、視界の端から垂れていた緑色の糸のようなものがある方を、だが。
「……アディメさん」
「起きましたか? リーバくん」
彼女は僕に敬語を使って、優しくそう語りかけてきた。
「敬語はいいよ」
「じゃあアディって呼んでください。もう一度」
彼女はやはり天使のような優しい笑みを浮かべながら僕にそう言う。
その穏やかな表情からは、安心のようなものを感じる。だが、彼女の目元にはクマがあって、しばらく寝ていないことがわかる。
「じゃあ僕からは休んでほしいな、って要求もするよ、アディ」
僕がそう言うと、アディメさ……アディは満足げな表情を浮かべて、僕の頬にそっと手を乗せた。
「ずるいよ。いつもいつも」
彼女の瞼から、一粒の雫が落ちてきた。
「ごめんね」
僕はそっと左手で彼女の頭に手を伸ばして、そのサラサラとした手心地の髪を撫でた。
……左手?
「ね、ねぇアディ、僕の左手って……」
僕がそう喋った瞬間、彼女は僕の口を優しく塞いだ。
しかし、その表情は先程のような優しさの篭もったものではなく、それ以上はいけない。足を踏み入れるな。そんな警告まがいの感情が篭もっているような表情だ。
なぜ……なぜ僕の左手がある?
だって僕の左腕は勇者に切断されて……痛みもあった。完全に僕の左腕は僕本体から離脱していたはずだ。
なぜ……?
「……!? みんなは!?」
僕はそう叫んで、アディの膝から起き上がり、周りを見渡す。
どうやらここは馬車のようで、外は夜らしかった。
馬車の中で、スクリと、ハッセルが横になって寝ている。
──シビルがいない。
「あ、アディ。シビル……金色の目をした、黒髪の女の子はどこに行ったの……?」
まさか……いや……でも、だが……。
そういえば、あの手帳を返してもらってない……。
でも日本語はわからないはずじゃ……!
待て、でも僕のように、日本語がわかるような人間がこの世界に転生していたら……?
日本語から異世界言語である人間語に翻訳することも、できなくはないはずだ。
「その人は……えっと……」
アディメさんは言い淀んだ。
言いたくないことがあるのだろう。
彼女は何か誤魔化そうとしている素振りを見せている。
「別の馬車に乗ってて……」
「……僕の腕を治したのは、その子でしょ?」
内心、違ってくれと願っている僕がいた。
もしそうだとしたら、確実に、彼女はとんでもないことをしたのだから。
「…………はい」
アディメさんは後ろめたいことがあるような顔でそう返事をした。
シビルが何をしたのか、知っているのだろう。
『腕などの複雑な動作を可能とする部位の再生治癒には最低でも健康な成人30人以上が必要となる。
そして、治癒された部位が元のように動作する保証はない』
手帳の一部にそう書いてあったと僕は記憶している。
実際には、僕の左手は至って健康的に動くし、違和感もない。
つい数日前までの、まだ左腕を失う前の左腕と感覚は全く同じだ。
だが、そのためにシビルは30人以上の人間を用意して、僕の腕を治した。
今のホーラ、しかも王都で30人以上の健康な成人を見つけるのは、さほど難しくないだろう。
ただそこら辺の兵士なり、一般人なりを誘拐すればいいのだから。
戦争中で、しかも侵攻されている都の人間が行方不明やら死体になったとしても、シビルのやった行為がばれる可能性は限りなく低い。
「本当は、シビルはどこにいるの?」
「わかりません……大きくなった後、どこかに……」
……大きくなった後?
どういうことだ?
知らない情報が減っていくどころか、増えていっている。
「大きくなったって?」
「はい……あの人がリーバくんの腕を治した途端、いきなり成長し始めて……」
成長? シビルは確か体の成長は止まったって……。
情報の齟齬か?
いや違う。たしかにシビルは己の体の成長は止まったと、いつぞやに言っていた気がする。
嫌な予感がする。
まるで、これからとんでもないことが起こりうるような、そんな予感が……。
「アディメさん」
僕がそう呼ぶと、彼女の顔は少し動揺したものに変わった。
シビルに何もしなかったのを、咎められるのではないかとでも思ったのだろう。もしくは、アディという呼称からアディメさんに戻したのに反応をしたのか。
「もうしかすると、今後いつか危ない所へ行くかもしれません」
僕はそうアディメさんに告げた。
シビルの考えが全く読めない。
僕の腕が復活したところで彼女には全くメリットがないはずなのに、なぜ僕の腕を再生させたのか。
そもそも、30人以上の健康な人間を見つけ出すのにはかなり時間を要するはずだ。
僕のあのときの出血量を考えると、30人を見つけ出せる時間などあるはずがない。最初から用意されていたものと考えてよいだろう。
とすると、彼女は僕に治癒魔法を掛けることで、自身の体が成長する事を知っていたかのようじゃないか。
もし、本当にそうだとしたら、彼女の体が成長するのになんのメリットがある?
「いつ……いつですか!?」
アディメさんが取り乱して僕にそう言った。
「さぁ……でも、必ずどこか危険な所へ行く。そんな時が来る気がする」
僕でもあまりに信憑性の無いように感じる予感だった。
だが、なんとなく、そんな気がする。
この予感はどこから来るものだろうか。
しかし、シビルの性格上、どことなくとんでもないことをしでかす気がするのだ。
規模はどれぐらいだろう。
ホーラ王国内で済むだろうか? それともフリル大陸中? 下手をしたら世界規模にまで問題が広がるかもしれない。
飛躍のし過ぎだし、まだそうとも確定しているわけでもないのに、こんな心配がどうしても起きてしまう。
不安だ……。
僕はとんでもないものをシビルに渡してしまったのではないか?
彼女は魔王で、しかも憎悪の魔王と来ている。
魔人を迫害する人間を限りなく恨み、殺しさえしてしまう。
その瞬間、僕の頭の中で、現状で最も思い出したくない知識を思い出してしまった。
魔力量は術者が成長していくのに比例して増加していく。
僕が幼い頃に見ていた、魔術書入門という本に書かれていた言葉だ。
そんなのがシビルに適応されていたら?
ただでさえ魔力量が常人のそれとは桁違いな彼女の体だ、これ以上成長してしまったら、もはや手がつけられなくなってしまう。
「また……私の目の前からいなくなるんですか?」
アディメさんがそう言った、
彼女の目からはいつの間にか光が消えてしまっている。
「アディメさん……?」
彼女の様子がおかしい。
「いつも私を置いていって……リーバくんは、私は1人でも大丈夫とでも思ってるんでしょう?
……私は1人じゃ何もできないんですよ? 私1人だけでは何もできない、私はグズです。そんな私を置いていかないでくださいよ。
そんなんだから私はリーバくんが嫌いなんです、大嫌いです。どうにもしなくてよくて、どうにでもできなくて、どうかしたくなる、そんな風にさせてくるリーバくんが、大好きで、大嫌いなんですよ」
彼女は僕の肩を掴んできた。
彼女の腕を払うことが出来ない。力が強い。まずい。
「お、落ち着いて……疲れてるん──」
「落ち着けると思いますか!? ──誰がこんなふうにしたんですか!? 私はもう我慢はしないって決めたんです! 言いましたよね!? 『そんなに思い詰めてたら、いつかは壊れるかもしれない。だから壊れる前に思い詰めてるもの全てを放棄してでも、自由に自分のしたいことをしてみたほうが良い』って!」
アディメさんが怒るようにそう言った。
確かに僕は彼女に一度、そう言ったのを覚えている。
「リーバくんが悪いですからね。私をこんなにした、リーバくんが……」
直後、アディメさんは突然電源のスイッチが切れたように、僕に倒れ込んできた。
まるで中が空洞になっているのかと思えてしまうほど、軽い体重が僕にのしかかってくる。
……疲れていたのだろう。
彼女の目の下のクマからしばらく寝ていなかっただろうし、最後は感情の制御もできていなかったし。
「……リーバルトさん」
スクリの声が聞こえた。
僕は咄嗟に彼女の方を振り返ると、彼女はまだ寝ていた。
いや、寝ているふりをしているだけか……。
「私もシビルさんが何をするつもりなのか、なんでそうしたのかはわかりません。
……ただ言えるのは、シビルさんが単なる情や義理で元仲間の腕を再生させる訳がない、何か裏がある。それだけです」
彼女は最後に「カップルも大変ですね」と言って、黙ってしまった。
僕はアディメさんと付き合っているわけではないのだけれど……。
しかし、スクリのその考えだけは、僕と共通していた。
シビルは何を思って、僕の左腕を再生させたのだろう。




