第1話 冒険の書
「ねえ、あなた、ここにあった古本屋さんを知らない?」
聞き覚えのある若い女性の声に俺は振り返った。
それが、俺、嶺渡空央と石蕗沙生那との関わりの始まりだった。
◇ ◇ ◇
高校二年生になって間もないある日の放課後、俺はいつも通りさっさと席を立った。
他の生徒は賑やかに喋っているが、自他共に認める陰キャボッチの俺には関係ない。
その時の俺は、まだ知らなかった。この後、俺の高校生活が劇的に変わることを。
そんな俺の耳に、よく通る女子の声が聞こえてきた。
声の主はクラス委員長の石蕗沙生那。俺からしたら、それこそ雲の上の存在だ。
教室での余韻を引きずりながら帰り道を歩いていると、俺の視界にいつもとは違うものが入ってきた。
通学路にある商店街の外れに、見覚えのない狭い間口の古本屋を見つけたのだ。
不審に思いつつも、気がつくと俺はその古本屋に入っていた。
狭い店内の奥を見ると、店主と思しき中年の男性が机の向こうに座っている。
俺は入ってすぐの右側の棚に目をやった。一冊の面陳列されている文庫本が俺の注意を引いた。
表紙は【冒険の書】という横書きタイトルのみの、極めてシンプルなデザインだ。
その【冒険の書】を棚から取り出して開いて見ると、どうやらゲームブックのようだ。
俺はその本を持って奥にいる店主のところに向かい代金を払った。
店を出てしばらく歩いてから俺はふと我に返った。俺はなんでこんな本を買ったんだ?
釈然としないまま俺は自宅に戻り、自室で【冒険の書】を開いた。
だが中表紙をめくっても目次はなく、1ページ目に、
『冒険を始めますか?』
という言葉と、その下に【はい】と【いいえ】の文字が横に並べて書いてあるだけだった。
2ページ目以降は何も印刷されていない。どういうことだ?
俺は1ページ目の【はい】の文字に人差し指で触れてみた。
すると、いきなり自分が光に包まれたような気がして、反射的に目を瞑った。
再び目を開くと、俺は見たことのない部屋にいた。
「え……?」
俺は立ち上がって部屋を見回した。壁も床も木造で仄かに木の匂いがする。
座っていたのは木製のベッド。脇には木製の小さな四角いテーブルと丸椅子がある。
何が起こったんだと思い【冒険の書】を開いて1ページ目を見ると、
『冒険を終わりますか?』
と文が変わっていた。
俺は安心して、すかさず【はい】の文字に指を乗せた。
再び俺は光に包まれ、目を開くと自室に戻っていた。安心感から好奇心が沸いてきた。
再び先ほどの部屋に行くと、手にしている【冒険の書】が薄っすらと光り出した。
ページを開くと新たな文が表れていた。
『現在地 : アルスガルド、旅立ちの村、冒険者の宿』
『クエスト : ダークスライムを倒してレベルを上げましょう!』
どうやらこの【冒険の書】は、使用者がRPG的な異世界に転移することができる本らしい。俺は更にページをめくった。
【そらお】
『レベル1』
『HP : 10』
『MP : 0』
『経験値 : 0』
『ポイント : 0』
『装備 : ひのきのぼう、ぬののふく』
ポイントってなんだ?
次のページをめくると真っ白だった。
ベッド横のテーブルの上に白い棒が置いてある。これが【ひのきのぼう】だろう。
【ぬののふく】は見当たらない。ということは今着ている見覚えのない茶色い地味な服が【ぬののふく】か、などと考えながら俺は部屋を出た。
薄暗い廊下を明るい方へ歩いて行くと玄関ホールに出た。
カウンターには受付の、にこやかに微笑む若い女性がいた。
「お出かけですか?」
「は、はい……」
俺はこういうシチュエーションが苦手だ。お仕事で愛想よくしているだけなのだと分かってはいても、つい緊張してしまう。
「村の東側に出ればダークスライムがいますので、たくさん倒して経験を積んでくださいね」
「はい」
「ダークモンスターを倒して得た経験値がポイントとして使えます。宿代を払ったり、お買い物もできますよ」
さっきの『ポイント』はそういうことか。頑張ってダークモンスターを狩らなければ。
「ありがとうございます」
親切な受付さんに礼を言って、早速俺はダークスライム討伐に向かった。
村を出るとすぐに灰色のスライムに遭遇した。
灰色スライムを倒していくと濃い色のスライムが出てきた。どうやら色の濃さと強さが比例しているようだ。
反撃もされたが不思議と痛みはない。気を良くして戦ううちにレベル7まで上がった。
なんだか息が上がってきたな、思っていたところに新たなダークスライムが現れた。色の濃さからするとかなり強そうだ。
俺は、はあはあ言いながら【ひのきのぼう】を振るった。
すると、
ポキッ!
と【ひのきのぼう】が折れてしまった。
「なっ……!」
俺が動揺した隙をついてダークスライムが飛び掛ってきた。
「くそっ……!」
俺は、顔面めがけて飛び掛ってくるダークスライムに拳を打ち込んだ。
素手での攻撃は初めてだったが、しっかりとした手応えがあった。
これがとどめになって、ダークスライムは煙になった。だが、俺の疲労は半端ないものになっていた。
少し休もうと思い、俺はその場に寝転んだ……
…………
気がつくと、なぜか俺は冒険者の宿の部屋のベッドで寝ていた。
起き上がって冒険の書を見るとちゃんとレベル7になっている。
受付に行って聞いてみると、
「敵の攻撃を受けると痛みはありませんけど体力を消耗します」
と、受付さんがにこやかに教えてくれた。
先に教えてくれ、そういう大事なことは……
他にも、壊れた武器などは元通りに、戦闘不能後は始めの場所に戻り直近のレベルアップ後の経験値が0になる、と留意すべき点を次々と教えてくれた。
「ところで、経過時間は見ていますか?」
「経過時間? い、いえ、見てませんが……」
俺がキョロキョロして時計を探すと、
「【冒険の書】に表示されていますので確認してください」
【冒険の書】を開くと、
『経過時間 : 6分』
と表示されている。
「6分? もっと長くいたと思ってたけど」
「表示時間はあなたが住む世界の経過時間です。ここアルスガルドとは時間の流れが違うのです」
なるほど。体感的には十分の一といったところだろう。
まあ、色々と理不尽なところはあったが、いい勉強になったと思っておこう。
◇ ◇ ◇
次の日、俺は学校帰りに例の古本屋に立ち寄ろうとした。
だが、なぜか古本屋を見つけることができなかった。
不思議に思いつつも、俺はアルスガルドでの冒険にどんどんハマっていった。
そしてレベルも12になり新しいクエストが出てきた。
クエストタイトルは、
『スライムのお姫様を助けよう!』
とある。スライムにも姫がいるんだな。
そして次の行動目標も出ていた。
『スライム国に行ってスライム王に会いましょう』
ふむ、そうしたら明日はスライム国に行くとしよう。
そして次の日、俺は石蕗沙生那に呼び止められたというわけだ。
「ねえ、あなた、ここにあった古本屋さんを知らない?」
「えっと……知ってるというか、知ってたというか……」
いきなりのことで、しどろもどろになってしまう俺。
「あなた、私と同じクラスの嶺渡くんよね?」
「……はい、そう、だと思います」
なんとも煮え切らない答えになってしまった。
だが許してほしい、同級生の女子に声をかけられたのだ。緊張して当然ではないか。
しかも、その同級生女子は学年トップの秀才でクラス委員長、しかもとんでもない美少女なのだ。
「変な答えねぇ……もしかして私のこと知らない?」
「いいえ、知ってます、石蕗さん」
俺は慌てて答えた。
「そう、よかった。実はね、あなたが前に古本屋さんから出てきたのを見ているのよ」
俺が【冒険の書】を買ったあの日のことだろう。
「確かに、覚えは……あります」
沙生那は明らかに苛立っている様子で、
「もう、煮え切らないわね!」
と言ってカバンから一冊の本を取り出して俺に見せた。
「これよ!」
【冒険の書】だった。
「あ……」
予想外のことに俺は間抜けな声を出してしまった。
「あ、じゃないわよ!」
「ごめんなさい」
とりあえず謝っておくに越したことはない。
「やっぱり知ってるのね、この本のこと」
「ええ、まあ……」
俺はどこまで話していいのか迷った。
「その本は異世界に転移して冒険ができる本です」なんておかしなことを言ったりしたら……
「なら、私に教えてよ」
「え、でも……」
「でも、何よ」
「書いてあるとおりに進めば……」
まあ、俺はそうやってぶっ倒れてしまったけど。調子に乗りすぎて。
「書いてあるとおりにって言うけどね」
そう言うと沙生那は俺の方にグイッと近づいてきた。
「見てみなさいよ、これ!」
沙生那は【冒険の書】を開いて俺に見せた。
何も書いてない白紙のページしかなかった。
「こんなのでどうすればいいって言うのよ? 訊こうと思って来たらお店がないじゃない!」
怒りと困惑が混在した様子の沙生那。
だが、確かにおかしい。少なくとも俺の場合は1ページ目は現れてきた。
そんなことを考えながら、俺は半ば無意識に自分の【冒険の書】を取り出した。
「やっぱり、あなたも持ってるんじゃない」
「あ……はい」
やっぱりとは……?などということが頭をよぎったが、俺は【冒険の書】の1ページ目を開いた。
『冒険を始めますか?』【はい】【いいえ】のページだ。
沙生那はより一層近づいて、俺が開いた【冒険の書】をのぞき込んだ。
そして沙生那は、
「なんで、私と違うのよ!」
と間近に俺を睨んで言った。
「なんで、と言われても……」
俺は沙生那の剣幕と間近に迫る顔に恐れをなしてしまった。
「とにかく、私にも教えて!」
まるで俺に責任があるような言い方だ。そもそも、読み方と言われても、どう教えればいいのだ。
「あなたはいつもどこで読んでるの?」
「どこでって……自分の部屋、です」
「じゃあ、これから行きましょう」
「え、どこへ、ですか?」
「あなたの部屋よ、決まってるじゃない」
「え……?……ええ?」
俺は何か聞き間違えたのか?
石蕗沙生那が俺の部屋に?
なぜいきなりそういう発想になるんだ?
「あの、俺の家にって、ことですか?」
「そう言ったでしょ」
何度も言わせないでよという顔をしながらも、沙生那は周囲に目を配っている。
なるほど。俺と話している姿などを、誰かに見られたくないってことなんだな。
「分かりました」
「よろしくね、嶺渡くん」
それにしても、俺の部屋に来たいなんて、なんとも奇特な女子だ。
こうして、石蕗沙生那が俺の部屋に来ることになった。
お読みいただき、ありがとうございます!
もしよろしければ、ブックマークや評価をいただけると、とても励みになります!




