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史実を知る僧は、歴史を変えようとした  作者: チャプタさん


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第94話:聚楽第行幸

第94話:聚楽第行幸


 天正十六年、四月。平安の都・京都は、これまでの長い戦乱の歴史の中で誰も目にしたことのない、空前の熱狂と眩いばかりの権力の光に包まれていた。

 京の町の中央、内裏の西側にそびえ立つ関白・豊臣秀吉の豪華絢爛たる邸宅「聚楽第(じゅらくだい)」において、天皇を直々にお迎えする国家的一大行事「聚楽第行幸」が挙行されたのである。


 後陽成天皇を乗せた黄金の鳳輦(ほうれん)を中心に、数千人に及ぶ公家や門門、武家の格調高い装束の列が、新しく整備された朱塗りの広小路を静かに進んでいった。

 沿道は京都の町衆や諸国から集まった群衆で埋め尽くされ、誰もが息を呑んで、天下人となった豊臣秀吉の絶大な威光を仰ぎ見ていたのだった。


 関白秀吉は、朝廷の最高権威である天皇を自らの屋敷へ招き入れ、五日間にわたって和歌や雅楽、能の宴を催すことで、「天子を敬い、自らが天下を治める正統なる主である」ことを、全国の大名と民に向けて力強く示してみせたのである。


 聚楽第の広大な大広間において、この歴史的行事の式典の差配に当たっていたのは、毛利家の最高外交僧たる安国寺恵瓊であった。

 恵瓊は、関白秀吉から賜った最高位の金紋の袈裟を身に纏い、諸国から集まった数十家の大名たちの席次を取り整え、儀式が滞りなく進行するよう、不眠不休で走り回っていたのだった。


 されど、恵瓊の胸の中にあったのは、単なる大行事の差配の忙しさだけではなかった。

 この日に向けて、安芸の本国から上洛してくる一人の男の到着を、祈るような思いで待ち続けていたのである。


 毛利宗家の当主・毛利輝元であった。


 さきに安芸の吉田郡山城において、恵瓊が正論を並べ立てて諫言した折(さきの出来事)、輝元は重圧と恐怖のあまり「余は元就公でも両川の叔父上たちでもない!」と涙を流して激高し、自室に閉じこもっていたのだった。

 当主としての孤独と、失敗への恐怖に苛まれていた輝元が、果たして無事に上洛を果たし、天下人・秀吉の前に立つことができるのか――。

 恵瓊は自らの過信を恥じ、輝元が自らの足で立ち上がるのを、深い祈りとともに待ち続けていたのである。


 そして――輝元は、やって来たのだった。


天正十六年四月初旬、毛利輝元は数千の精鋭を整然と率い、堂々たる足取りで京都へと上洛を果たしたのである。


聚楽第の絢爛たる大広間において、関白・豊臣秀吉と毛利輝元の直接の面会が執り行われた。


輝元は、関白秀吉の前に進み出ると、一切の躊躇なく畳に平伏し、自らの血判が捺された起請文を両手で恭しく差し出したのだった。

毛利家が豊臣政権下において、天下の法に従い、西国十カ国の領国を治める「盟友」として完全に服属することを、正式に表明した瞬間であった。


秀吉は大喜びし、輝元の手をとって引き上げると、破顔一笑の笑みを浮かべて大声をあげた。

「おおッ! 輝元殿! よくぞ、よくぞ上洛してくださった! わしは其方の到来を、首を長くして待っておったぞ!」


秀吉は即座に、輝元に対して豊臣政権下における破格の重用を下したのである。

輝元に対し、豊臣の苗字である「豊臣」の姓と「羽柴」の苗字、さらには「従三位・参議(羽柴安芸守)」という公家の高官の官位を与え、徳川家康、織田信雄、前田利家らに並ぶ、豊臣政権の最高幹部(のちの五大老の主軸)として遇することを天下に宣言したのだった。


毛利家は、関白秀吉のもとで「西国筆頭・百二十万石の絶対的な大名」としての立場を、揺るぎないものとして確立させたのである。


されど――この聚楽第行幸の宴において、恵瓊を最も驚かせ、そして深く感動させたのは、当主・毛利輝元の見せた、驚くべき変貌と成長の姿であった。


聚楽第の大広間においては、連日のように天皇を囲んでの盛大な饗宴が催されていた。

そこには、徳川家康、前田利家、上杉景勝、宇喜多秀家、伊達政宗といった、日本全国から集まった名だたる大大名たちが、豪華な衣装を纏って居並んでいた。


かつて、祖父・元就や両川(元春・隆景)の偉大な面影と比較され、己の不甲斐なさに怯えて酒に逃げていたあの輝元の姿は、そこにはどこにもなかった。


輝元は、最上格の席において背筋をピンと伸ばし、落ち着き払った面立ちで徳川家康や前田利家らと酒杯を交わし、優雅に談笑してみせていたのである。

その身のこなしには、不必要な卑屈さも、から威張りの誇示もなく、西国十カ国を束ねる太守としての、堂々たる品格と威厳が満ち溢れていた。


宴の合間、恵瓊が廊下の陰で輝元にお茶を差し出した折、輝元は穏やかな笑みを浮かべ、恵瓊の顔を見つめたのだった。


「恵瓊……驚いたか」

「……輝元様。誠に見事なご姿勢にございます」

恵瓊が深々と頭を下げると、輝元は遠く聚楽第の庭園を眺め、静かに語り始めたのだった。


「さきに安芸でお前に声を荒げて泣いた時……余は吹っ切れたのだよ。余は元就公にはなれぬし、両川の叔父上たちのようにもなれぬ。されど、余は毛利輝元として、この毛利の家と家臣たちの命を守るために、泥をすすってでも生き抜く覚悟を決めたのだ」


輝元の声には、自らの弱さをすべて受け入れた者だけが持つ、揺るぎない芯の強さが宿っていたのだった。


「秀吉殿に頭を下げることは、恥ではない。毛利の家と民が生き残るためならば、余はいくらでも頭を下げよう。……恵瓊、お前が正論を説いてくれたおかげで、余は自分の足で立つ覚悟ができたのだ。感謝しておるぞ」


その言葉を聞いた瞬間、恵瓊の目からボロボロと温かな涙が溢れ落ちたのだった。


(輝元様は……お立ちになられたのだ……。元就公や両川の影を追いかけるのではなく、毛利輝元という一人の当主として、毛利の未来を背負う覚悟を固められたのだ……)


かつて己の正論が空回りし、輝元を傷つけて深く絶望した日々。

されど、自分の発した言葉は、無駄ではなかったのだ。

輝元は自らの恐怖と向き合い、苦悩の末に己の力でその暗闇を乗り越えて、真の大名へと成長を遂げたのである。


恵瓊は泥に平伏し、「ありがたき幸せにございます……!」と涙を流して感謝を述べたのだった。

さきの不退転の対話と忍耐が、いま、最高のかたちで結実した瞬間であった。


されど――。


聚楽第行幸の最後の夜、大広間で繰り広げられた絢爛豪華なる能の宴の只中において、恵瓊は不気味な寒気を覚える光景を目撃したのである。


高座の上において、純金の酒杯を掲げ、後陽成天皇や公家、そしてひれ伏す諸大名たちを見下ろしていた関白・豊臣秀吉――。


酒に酔い、満面の笑みを浮かべる秀吉のその双眸の奥底に、恵瓊はこれまでに見たこともない「狂気じみた異様なる光」を読み取ったのだった。


天下のすべてを手中に収め、公家と武家の頂点に立ち、天皇すらも自らの屋敷へお迎えしてひれ伏させた秀吉の全能感は、いまや人間の理性の枠を完全に踏み越え始めていたのである。


秀吉の瞳に宿っていたのは、かつての親しみやすい愛嬌でも、合戦での神速の合理性でもなかった。

自らが神のごとき存在となったという、底知れぬ「全能の傲慢」と、国内の平定を終えた先にある、さらなる肥大化した恐ろしい野望の影であった。


宴の席上、秀吉はふと目を細め、高座から諸大名に向かって大声をあげて言い放ったのだった。


「見よ! 日本国中、わしに平服せぬ者は一人もおらん! この日本の地は狭すぎるわ! 近く東国の北条を叩き潰したのちは……わしは海を渡り、明国(中国)と朝鮮を我が手に収めて、アジア全土の王となって見せようぞ!」


秀吉の口から漏れ出たのは、正気を疑うような「海外征服」の野望であった。

居並ぶ徳川家康や前田利家らは一瞬息を呑み、不気味な沈黙を守ったのだった。


さらに、秀吉の傍らに控えていた茶人・千利休や、側近の石田三成らに対しても、秀吉はわずかな気に入らぬ態度があれば、刺すような冷酷な殺気を向け始めていたのである。


恵瓊は末席で身体を震わせ、金箔の柱の陰から秀吉の姿を見つめていた。


(秀吉殿の目が……狂いはじめている……)


天下人となり、あまりにも巨大な権力を握りしめた男は、自らの内に潜む暴走を止める術を失いつつあったのだ。

聚楽第の絢爛豪華なる栄華のすぐ真裏において、豊臣政権を内側から崩壊させていく恐ろしい破滅の種が、静かに芽吹き始めていたのである。


輝元の成長という大きな歓喜と、天下人・秀吉の帯び始めた不気味な狂気の兆し――。


安国寺恵瓊は、胸の前で固く数珠を握りしめ、冷ややかな春の夜風の中で深く合掌した。

毛利の家を守り抜いた安堵の向こう側に、さらに巨大で、さらに暗い時代の嵐が迫りつつあることを、恵瓊の魂は静かに感じ取っていたのだった。

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