第89話:九州平定と元春の死
第89話:九州平定と元春の死
天正十四年、秋。上方の気配は、関白・豊臣秀吉の発した新たなる天下平定の大動員令により、かつてない殺気と熱気に包まれていた。
九州の地に君臨し、破竹の勢いで大友氏を圧迫して九州ほぼ全土をその手中に収めようとしていた薩摩の雄・島津義久、義弘兄弟に対し、秀吉は自ら二十万を超える膨大な全軍を率いて出陣する「九州平定」の大号令を下したのである。
秀吉は、西国の絶対的な盟友となった毛利家に対し、豊臣軍の先陣・主力としての大規模な出兵を命じたのだった。
当主・毛利輝元、ならびに小早川隆景率いる山陽の軍勢が直ちに出陣の構えを整える中で、関白秀吉から、一通の特別な召喚状が安芸の毛利本国へと届けられた。
秀吉が名指しで参陣を強く求めたのは、隠居して久しかった山陰の巨頭・吉川元春その人であった。
『毛利の武名の象徴たる吉川元春殿が陣頭に立たれてこそ、九州の島津も我が豊臣の威光にひれ伏そう。元春殿、老骨を惜しまず、我が先陣として九州へ出陣されたし』
秀吉の狙いは明白であった。
かつて織田家に猛烈に反抗し、毛利の「武」の象徴として天下に聞こえた吉川元春を自らの軍陣に従わせることで、毛利家が完全に豊臣傘下に収まったことを天下に見せつけ、自らの権威を不動のものとしようとしていたのである。
されど――その頃、山陰の隠棲地(出雲)において病床にあった吉川元春の身体は、すでに重い病魔(癌とされる内臓の病)に激しく冒されていた。
数えで五十七。かつて山陰の不敗の名将として勇名を馳せた屈強な体躯は見る影もなく痩せこけ、肌は土色に変色し、激しい痛みのために食事すら喉を通らぬ状態に陥っていたのである。
病床で秀吉からの参陣の命を聞いた元春は、痩せた拳で床几を叩き、激怒して叫んだ。
「断るッ! 秀吉の小童の顎で使われ、あやつに頭を下げて九州へ赴くなど、武門の恥辱なり! 腹を切ることはあっても、秀吉の天下のためにこの老骨を晒す気など毛頭ないわ!」
元春の拒絶は、生涯を武士の誇りと義理に生きてきた男の、最後の意地であった。
さきの備中高松城での屈辱、清水宗治や吉川経家を死に追いやった秀吉に対する激しい憎悪が、病む老将の胸の中で激しく燃え盛っていたのである。
されど、元春が出兵を拒めば、秀吉は「毛利は豊臣の命に従わぬ不義の家」として激怒し、毛利家全体が再び滅亡の危機に晒されることは火を見るより明らかであった。
この毛利家の危急を受け、小早川隆景と安国寺恵瓊の二人は、直ちに元春の臥所へと駆けつけた。
暗く薬の匂いが立ち込める館の奥間において、横たわる元春の前に、隆景と恵瓊は静かに膝をついた。
「兄上……お願いにございます」
小早川隆景は、畳に深く平伏し、声を詰まらせて乞い願った。
「お身体の辛さは重々分かっておりまする。されど……いま兄上が出陣を拒まれれば、秀吉殿はこれを毛利の謀反と見なし、輝元様と毛利の家そのものを叩き潰しにかかりましょう。どうか……どうか毛利の家のために、最後の力を貸してくだされ……!」
恵瓊もまた、隆景の傍らで泥に額をすりつけるようにして平伏した。
「吉川様……お聞きくだされ! さきに当主・輝元様が、涙を流して『毛利の家を残すためなら喜んで泥をかぶる』とおっしゃったあのご覚悟を、どうか無駄にしないでくだされ! 吉川様が陣頭に立たれることこそが、毛利四万の家臣の心をひとつに繋ぎ止め、秀吉の牙から毛利を守る唯一の盾となるのです!」
恵瓊の目から、溢れ出る涙が畳へ落ちた。
自分たちの保身のためではない。ただただ毛利の家を守り、数万の家臣と領民の命をつなぐために、病身の老将に頭を下げているのだ。
元春は、じっと天井を見つめたまま、長い沈黙を守っていた。
その呼吸は浅く、激しい痛みに肩が微かに震えていた。
やがて――元春は深く、長く息を吐き出すと、ゆっくりと身体を起こした。
その痩せた顔には、自らの誇りを殺し、毛利の未来のために命を投げ出すという、静かで凄惨な覚悟が宿っていた。
「……隆景。安国寺……。頭を上げよ」
元春の声は、擦れていたが、どこまでも優しかった。
「わかった……。輝元を困らせるわけにはいかん。毛利の家が残るのならば……この元春の老骨、九州の地に晒してこようではないか」
元春は自らの意思で病床を立ち上がり、重い具足を身に纏うと、息を荒げながら馬に乗り、九州征伐へ向けて出陣したのである。
毛利の家を残すため、己の最後の命を薪として燃やし尽くす覚悟の出陣であった。
天正十四年、十月。毛利軍三万は関門海峡を渡り、豊前国(福岡県東部)へと上陸した。
小早川隆景と吉川元春の指揮のもと、毛利軍は豊前の要衝・小倉城や香春岳城を怒濤の勢いで攻略し、豊臣秀長率いる本軍と合流して、九州平定の先陣として目覚ましい武功を挙げたのである。
されど――豊前小倉城に入った直後、吉川元春の病状は、ついに限界を迎えた。
出陣の緊張感によってかろうじて保たれていた生命力が途切れ、元春は小倉城の陣屋において激しい吐血とともに倒れ伏したのだった。
急報を受けた恵瓊は、直ちに小倉城の元春の臥所へと駆けつけた。
暗い部屋の奥で、元春は布団に横たわり、途切れがちな息を繰り返していた。
枕元には、弟の小早川隆景と、嫡男の吉川元長が、涙を流して付き添っていた。
恵瓊が枕元に膝をつくと、元就はかすかに目を開け、恵瓊の法衣の袖へ向けて、痩せた手をゆっくりと伸ばしてきた。
恵瓊はその手を両手で固く包み込んだ。その手は、かつて太刀を振るっていた頃の面影を残す武骨な手であったが、驚くほど冷たく、軽くなっていた。
「……安国寺か……来てくれたか……」
元春の声は、風前の灯火のように細かった。
「吉川様……恵瓊でございます。よくぞ……よくぞここまで毛利をお導きくだされました……」
恵瓊は涙を抑えることができず、元春の手を固く握りしめた。
元春はかすかに頬を緩め、途切れ途切れに最後の言葉を漏らしたのだった。
「安国寺……。わしは最後まで……秀吉という男が好きになれんかった。……昔気実の武士のやり方が……通じぬ世になったのだな……。されど……お主や隆景……輝元が……毛利を守ろうと泥をかぶって足掻いてきたことは……わしも、良く分かっておる……」
元春の目が、最後の強い光を放ち、恵瓊の目をまっすぐに見つめた。
「毛利を……頼むぞ、安国寺……。輝元を……毛利の家を……頼んだぞ……」
「ははっ……! 承知仕りました! この恵瓊、命に代えましても、毛利の家と輝元様を死に物狂いでお守りいたしまする……!」
恵瓊が声を上げて平伏した瞬間、元春の手からゆっくりと力が抜け、その瞳が静かに閉じられたのだった。
天正十四年(1586年)十一月十五日。
毛利元就の次男であり、「生涯無敗の猛将」と称えられた吉川元春は、九州小倉の陣中において、静かにその波乱に満ちた生涯を閉じたのである。
享年、五十七。
武門の誇りを胸に抱きながらも、最後は毛利の家を守るために命を投げ打って去っていった、誠に見事な最期であった。
元春の亡骸を前に、恵瓊は両手を合わせ、声を限りに引導の経を唱え続けた。
隆景も元長も、号泣しながら兄であり父である老将の冥福を祈ったのだった。
元春の死によって、毛利家を支えてきた毛利元就の三人の息子(隆元、元春、隆景)のうち、長男の隆元、次男の元春の二人が世を去り、残されたのは三男の小早川隆景ただ一人となった。
毛利の一時代を築き上げた偉大な巨木たちが、一人また一人と去り、歴史は完全に「豊臣秀吉の天下」という新しき時代へと移り変わっていたのである。
元春の死を乗り越え、毛利軍と豊臣軍は九州を怒濤の勢いで南下し、天正十五年五月、薩摩の島津義久を降伏させて、九州平定を完全に完遂したのだった。
九州の平定を見届けたのち、恵瓊は関門海峡の丘の上に立ち、遥か安芸の方角を見つめていた。
初夏の強い海風が、恵瓊の黒い法衣を激しく揺らしていた。
元就公が逝き、隆元様が去り、そして元春様も散っていった。
知っている歴史の年表通りに、偉大な旧世代の人々が去っていくことへの深い寂しさと、取り残された己の肩にかかる重圧の深さ。
されど――安国寺恵瓊の瞳に、迷いはなかった。
「元就公……元春様……。貴方方が命を賭して遺されたこの毛利の船を、私は何があろうと沈ませはいたしませぬ」
恵瓊は胸の前で固く数珠を握りしめ、力強く足元の土を踏みしめた。
秀吉の持つ巨大な権力と、三成の冷徹な理、そして迫り来る新しき時代の波の中で、毛利の家を守り、人々の命を繋ぐための外交僧・安国寺恵瓊の抗いは、ここからさらに深く、不退転の領域へと突き進んでいくのであった。




