第四十八話 宿題
時刻は午前十一時。
レストランに父の修司と母の真夏を残し、真司は貰った一万円札を財布に入れて鼓門の前に再び立った。
帰りの交通費は家族カードで支払うし、修司と真夏を離れての個人行動はいつものことで気にはならない。
まず観光を考えたが時間が中途半端過ぎて、せっかくの金沢がもったいない。金沢が逃げていくことはないのだから、次の機会にしようと決めた。
次に小松空港へ立ち寄ってみようかと考えたが、光野三佐に出くわしてしまっては昨日の今日でお互いに気まずい。これもまた基地への招待を受けているのだ。楽しみはできるだけ残しておきたいところだ。自衛官の人事発令時期を真司は調べることにした。光野三佐が小松基地から異動になってしまっては、せっかくの約束がフイになってしまうためだ。
(観光地に来ても、こうなると意外にやることねーな……)
この地にしては珍しく、今日も空は晴れ渡っている。雪のある京都などと言われているが、実際に来てみると印象は違ったものだ。
カメラを数回頼まれた後、真司は再び駅に向かいチケットを買って構内の喫茶店で腹ごしらえを済ませた。
今からでも塾に向かえば優子がいる。真司の選択は優子だった。
新幹線を含む電車を乗り継いで約三時間、塾では日曜の受験対策授業が行われている。テキストなど一切持ってきていなかった真司は、受付でテキストの貸し出し手続きを済ませると、六年生のトップクラス、Sαの教室に向かった。
塾の座席は成績順で、真司は常に一番の席、教卓の目の前に座っている。なので、クラス内で授業中の真司の顔を見た者は一人もいない。優子の席は二列目だが、男子クラスメイト間のランキングは一列目中央、センターだった。
ノックをして教室に入ると、
「遅いぞ真司。なんだその荷物は? 上遠野の優子ちゃんと駆け落ちか?」
授業を中断し、講師の日村が尋ねてきた。優子の顔もあり、そこからウィンクが飛んできた。真司も優子に手を振る。クラスメイトは二人を茶化しながらにやけ顔だ。
教卓の脇には、宿題と思われる大きな段ボール箱が五つあった。
「すみません、たったいま、金沢から戻ってきたばかりです」
「そうかー、金沢かー」
算数の授業であったが、日村は金沢の歴史について語り始めた。
この日村という男、国語算数理科社会英語数学の全科目を担当できる珍しい講師で語り口調がおもしろく、生徒にも父兄にも人気がある。算数が日本史になったことに文句を言う生徒は一人もいなかった。ちなみに、このクラスの平均偏差値はこの進学塾の全国模試で七十六だ。
日村は一時間後に授業を終え、
「あー、みんなともあと数か月だよ。アンビリーバボーだよ。塾を卒業しても遊びに来てくれよ。冬期講習は二十六日から、この宿題は二十六日まで、風邪ひかないでちゃんと来いよ、サボんなよ。じゃあなー」
と言って段ボール箱の中から大量の宿題を取り出して生徒に課すと教室を出て行った。
「おい真司、金沢って今頃なんだよ? 雪だろ」
「帰ってくんなよ真司。せっかく上遠野たちを飯に連れ出す作戦立ててたのによお」
遠山春香がその上遠野優子を連れて男子生徒の輪の中に割り込んできた。
「真司、あんた何よ? 余裕で金沢旅行とか楽しんでいたのね」
「春香、違うわよ。真司君は新しい妹に会いに行ってたのよ」
優子の言葉にクラスメイトが逆上した。
「おい真司。上遠野だけじゃなくて新しい妹だと……?」
「てめーは主人公気取りか? で、で? どんなだった?」
「え、普通に可愛かったぞ。十歳だが早生まれで五年生が二人だ。あ、でも背が高い、おれの母さんと同じくらいだった。あとはな……」
「おい、そいつらここに連れてこい! 見学とか言って連れてこい! 頼むよ真司」
「ちょっと真司、優子はどうなんのよ? 二人って何? 双子ってこと? 二人も新しい女なんか連れ込んだら優子が困るじゃない」
真司の予想通りにこの方向だった。まずは優子に詳しいことを話したかったが仕方ない。真司は教壇に立ちクラスメイト全員を着席させて説明した。
「見たかったら受験後にでもウチに来い。いいか、いっぺんに来んなよ。五、六人のグループにしろ。クリスマス明けに二泊する予定だ。その時は優子だけ来ていいぞ」
「真司きさま、そんなこと言って妹をダシに上遠野を上手いこと家に連れ込むんだなおい?」
(くっそ正解だ……)
「とにかく見たかったら受験後に来い。ほら散れ、宿題すっげえぞ」
クラスメイトは宿題を手に話し合い始めた。
「よし、手分けしようぜえ。分担を決めるぞ。真司、お前はいつも通り、算数と理科のエグイやつな。みんなの解けなかった問題番号を俺がまとめてイブにメールで連絡する。解き方はスカに上げといてくれ。他のみんなで残りは分担だ。二十五日、自習室で答えを合わせよう」
リーダー格の永井があみだくじを黒板に書いて宿題分担の指揮を執る。こうなることも塾側はお見通しだ。それを踏まえての大量の宿題だった。
分担を終えたクラスメイトはそれぞれ迎えの車に乗り込んでいった。真司と優子はいつも通りに電車だが、今日は日曜日、例のソバ屋の日ではない。
真司は優子の最寄り駅で電車を降りて、タクシー乗り場で優子を見届けた。
別れ際のキスの前、優子から嬉しい言葉を聞かされた。
「今日会えてよかったよ、真司君」
上機嫌で帰宅した真司を待っていた真夏が出迎えた。
「あら? 塾行ったの? 今日くらい休んでもいいのに、変なところで真面目だね。あ、そっか優子ちゃんかあ……ふふふ」
「……そうだよ」
「ふふ、幸せな優子ちゃん。……仲良くね。さ、ご飯にしよ!」
真司に渡されていた一万円札は、その日のうちに真夏の財布へと帰って行った。




