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第二十一話 優子の不満

 優子(ゆうね)は一般的な子供がそうであるように、両親からの深い愛情を注がれ続け、健全な成長を遂げながら女子児童として五年生を春を迎えることができていた。

 そのまま順調な心身の発達を果たせれば、その後の数か月の間にでも、自分のことや他人のことを十分に認めることのできる少女へ成長し、いずれは、自分を愛するように隣人を愛することのできる女性へと変貌を遂げていただろう。

 しかし優子は、五月の進学塾における歓迎会で、彼女の能力を遥かに超えた知性を持つ真司(しんじ)に出会ってしまった。

 十年と少しの期間、本能的な学習によって培ってきた優子の自分自身に対する尊厳の一角が、音を立てて崩れていったのである。

 拠点校のトップクラス、Sα十八名のうち、五月時点での優子の席次は三番だった。小学校では児童会長まで務めている。

 優子は自らの能力に自信を感じていたし、周囲からも同様の評価を感じていたはずだろう。

 自らの能力に及ばない他の児童に対して、優子は救いの手を差し伸べる優しさも兼ね備えていた児童だったとも言える。

 ただ、真司との五月の出会い以降、優子は自分の能力に不満と不安を感じ始めることとなった。

 同時にその時点から、優子の心の動きが優子の実際の行動と乖離する現象が見られ始めるようになった。

 自分に対する愛情が薄れ、優子の理想とする行動規範が実際の彼女の行動と一致しなくなっていたのである。

 夏期講習直前の月例テストで、優子の席次はトップクラス内の十三番にまで陥落した。

 そこでトップを独走する真司はもちろんのこと、次席に付く永井(ながい)、三位で追いすがる春香(はるか)にも大きく水をあけられるようになってしまった。

(あたし、何をやってもうまくいかなくなっちゃったなあ……)

 そんな彼女の不満は、夏休みの始まり頃に両親への反抗となって現れた。

 両親による塾の送迎を断って、電車による塾通いに切り替えたのである。

 見知らぬ大人に混ざって夜八時のホームに立つ優子は、ポツンと一人でテキストを読みながら、夏は身体にまとわりつく湿った暑さ、冬は身体に容赦なく吹き付ける北風に耐えていた。


 年の瀬も押し迫った暮れのある日、優子は普段通りに駅のホームで一人立ち、テキストを読みながら電車の到着を待っていた。

「お嬢ちゃん、一人かな。勉強しているの? 僕が見てあげるから、一緒に来てみないかい」

 身長百五十五センチの優子は黒いコートを着て、肩のあたりよりも少し下まで伸びたワンレングスの黒髪を風に泳がせながら、薄いメイクを施した涼しげな表情でその声の持ち主を確認した。優子の大きな瞳の位置だけが右斜め四十五度に変わっている

 容姿は小学校の五年生にはとても見えず、母親からよく注意を受けていたとは言え、優子自身にその自覚はほとんどなかったと言ってよいだろう。

 むしろその逆で、優子は心の内側に隠した不満や不安を打ち消さんと、心の外側にある自分の容姿だけでもより美しく見せようとする努力を惜しまなかったのだ。

 少し酒が入っているのだろうか、やや紅潮したその男性の吐息が優子の頬に触れたとき、優子はその男性に小さな恐怖と、自分自身の安い努力に大きな後悔を感じることになった。


 優子は無言で一歩、二歩と、その場から後ずさり、男性の間合いから逃れていく。

 男性はその距離を縮めながら、一歩、二歩と、その間合いを詰めてくる。

 読んでいた塾のテキストはそのままだ。周囲を見渡すも人影はまばらだった。

(仕方がないわ……)

 優子の視線が自身の利き手に移り、通塾カバンからあるものを取り出すため、脳からのその指令を利き手に伝達しようとした瞬間、音もなく背後から近寄ってきたもう一人の誰かから左手首を強く握られて、そのホームにあるソバ屋へと慌ただしく連れ込まれた。

「大丈夫だよ、優子(ゆうね)。もう大丈夫だ。安心していいぞ。追いかけてきたらおれが締め落としてやる。奥に行きな。おれは外の様子を確認する。隠れていろよ。いいな、優子(ゆうね)

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