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第二話 単身赴任

 真司(しんじ)が七歳の春。

 真司は前座ともいえる(おびただ)しい枚数のプリント教材をすべて終え、ようやくたどり着いた二項定理の文章題を自室で楽しんでいた。

(やっぱこの記号を考えた人に会ってみたいなあ……)

(ビックリマーク)を階乗記号に使う』

 この発想は天才のものに違いない。

 小学一年生の冬から始めたその教材プリント学習は、内容別に細かく区分され、その区分ごとに十枚から数百枚のテスト用紙が用意されている。

 真司は、教材の配達日のうちに、そのテストをすべて終えてしまうため、母親の真夏(まなつ)に頼み込んで、その分量を()()()に増やしてもらい、それでも足りなくなって、

「さらに倍!」

 と、真夏が教材の出版社に赴いてくれた日の、約二か月後の出来事である。

「真司、来い。大事な相談だ」

「あいよ」

 部屋のドアホンに、父・修司(しゅうじ)が映っている。

(相談……?)

 階乗記号の発明者を百科事典で調べようと、真司が腰を上げたところだった。

 この時の真司は二年生である。十月の誕生日で八歳だ。

 この年齢の息子に修司が何を相談するのか、真司には見当もつかない。

 付箋に『階乗記号・発明者』とメモをすると、真司は二階にあるリビングへと階段を下りて行った。

 リビングでは、母親の真夏が手で顔を覆って泣いている。修司の表情も厳しい。

(離婚かな……?)

 一瞬、そんな発想が頭をよぎったが、すぐに真司は否定した。

 父親の修司は、母親の真夏を溺愛している。

 十歳差のこの夫婦は、息子である真司から見てもバカップルそのものだ。

 父・修司はこのとき三十六歳。警察庁人事課の課長補佐を務めていて、警視の階級にある警察官である。

 母・真夏はこのとき二十六歳。出身大学の附属病院に研修医として働いている。

 修司の話を簡単にまとめると次の通りだ。

 ワシントンの書記官に欠員が出た。その穴を修司が埋めることになった。

 修司の言う『相談』とは、真司が日本とアメリカ、どちらで暮らしたいかという内容である。

 真夏は修司と離れて暮らすこととなり、それが理由でわんわんと泣いているわけだ。

 研修医の段階で日本を離れるということは、自身のキャリアをそこで終えることにもなりかねない。

「真司。どうしたい?」

「アメリカで暮らす」

 即答だった。

「そうか。問題ない」

 真夏の泣き声が聞こえなくなったので、真司がそちらに顔を向けると、真夏が()()()()な表情を作って真司を(にら)んでいた。

 普段はにこやかで、携帯の絵文字のように笑う真夏だが、こうやって睨まれると、

(あんなに目が開くなら、いつもそうしてればいいのにな……)

 こんな感想を抱かずにはいられない。もちろん、真司は口にしなかった。

「……じゃあ行ってきなよ。二人で。仲良く。楽しく。面白く。いいもん。実家行くし。由美ちゃんと遊ぶし。はい終わり。真司、準備しといてね」

 実際、ワシントンでの真司の生活は、真夏の言う通り、忙しくも楽しく面白いものとなった。

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