第1話 お嬢様、家を再興するそうです
朝食の後片付けをしていると、リビングから盛大な物音が聞こえた。
皿を落としたような音ではない。何か重いものを床に置いた音だったので、手を拭いて様子を見に行くと、十六夜紅羽お嬢様がローテーブルの上に登山用の大型リュックを置き、その横で満足そうに腕を組んでいた。
嫌な予感がした。
「征司、準備ができたわ」
「何のですか」
俺が聞くと、お嬢様は待っていましたとばかりに顎を上げた。
十六夜紅羽お嬢様は、小柄な身体つきに似合った可愛らしい顔立ちをしている。長い銀白の髪は丁寧に整えられ、紅い瞳はぱっと見には愛らしいのに、機嫌がいいときも悪いときもどこか勝ち気だった。
誰もが守ってあげたくなるような美少女だが、本人は昔からそう扱われるのをあまり好まない。背丈の分まで気の強さで補おうとするせいで、顎を上げて偉そうにしていることも多いのだが、いかんせん小柄なので威厳より可愛げの方が先に立つことも多かった。
「十六夜家再興の準備よ」
「海外へ行くんですか」
「どうしてそうなるのよ」
お嬢様のご両親は現在、日本にはいない。数年前に国内事業の整理を始めた後、残った資金を元手に海外で新しい商売を始めており、俺の両親もその手伝いをしている。
かつてなら使用人が何人もいたこの家も、今では住んでいるのは俺とお嬢様だけだ。
もっとも、十六夜家が明日にも路頭に迷うほど困窮しているわけではない。古いとはいえこの屋敷は残っているし、お嬢様が大学を卒業するまで生活する程度の金も用意されている。
ただし、昔の十六夜家を知る人間に言わせれば、これでも立派な没落らしい。
「海外の事業を手伝うのでなければ、何をするんです?」
「ダンジョンよ」
予想していなかった単語が出てきたせいで、俺はテーブルの上のリュックを見直した。
なるほど。側面から剣の柄らしきものが覗いている。
「却下です」
「まだ何も説明していないでしょう!」
お嬢様が不満そうに頬を膨らませたが、説明を聞かなければ判断できないほど難しい話でもない。
紅羽お嬢様は、昔から思い立ったらまず動く。行動力があると言えば聞こえはいいものの、本人の頭の中では途中の工程がかなり省略されている場合が多い。
幼い頃から付き合ってきた俺には、その程度のことは分かる。
「お嬢様が探索者になる。そういう話でしょう」
「正確には少し違うわ。私はダンジョン配信者になるの」
「もっと駄目です」
「なんで悪化したみたいな反応なのよ」
ダンジョンといっても、今では世間から隔絶された未知の場所というわけではない。内部にはモンスターが生息しているものの、探索者制度が整備され、一般向けにも情報が公開されているため、危険性を理解したうえで足を踏み入れる人間はそれなりにいる。
探索者になるだけなら、資格を取ったうえで浅い階層を歩く程度なら高校生でも珍しくはない。ダンジョン内ではリターンシールドの装着が義務付けられており、シールドエネルギーが尽きれば強制的に入口へ戻されるため、昔ほど死亡率の高い仕事でもなくなっている。
それでも安全な遊びではないし、配信まで始めるとなれば話は別だった。
「理由を聞いても?」
「もちろん。十六夜家を再興するためよ」
そこまでは最初に聞いた。
「ダンジョン配信で人気になるでしょう。そうすれば私の名前が広まる。十六夜家の名前も広まる。結果として十六夜家が復活するわ」
「その間がかなり抜けていませんか」
「細かいところは、人気になってから考えるのよ」
思っていた以上に何も考えていなかった。
俺が黙っていると、お嬢様は自信満々だった表情を少しだけ崩した。自分でも多少の無理があるとは理解しているらしい。
十六夜家には、俺の家が長く世話になってきた。
祖母の代にも、母の代にも、返しきれない恩があると何度も聞かされている。だから俺一人がお嬢様の身の回りを任されたときも、不満に思ったことはない。
しかし恩があるからこそ、思いつきでダンジョンに入ろうとする人間を笑顔で送り出すわけにもいかなかった。
「せめて計画を立ててください。有名になって、その後で何をするのか。そのためにどれくらい金が必要なのか」
「それはこれから考えるわ。でも、何もしなければ何も変わらないでしょう?」
お嬢様はそう言ってから、少しだけ視線を落とした。
「お母様たちに全部任せて、私はこの家で帰りを待つだけなんて嫌なの。私だって十六夜家の人間なんだから、私にできることで取り戻したいのよ」
こういうところが厄介だった。
単なる思いつきなら、俺も力ずくで止めればいい。しかし本人なりに考えた末で、不器用でも前へ進もうとしているのなら、頭から否定する気にはなれない。
俺はテーブルのリュックを開け、中身を確認した。
飲料水、携帯食、救急用品、予備バッテリー。最低限は揃っている。底から出てきた新品の配信機材を見なかったことにすれば、素人が準備したにしては悪くない。
「リターンシールドは?」
「もちろん買ったわ。昨日届いたもの」
お嬢様が腰元を示したので確認すると、小型の発生装置がすでにベルトへ固定されていた。
一般的な探索者用の製品だ。ダンジョン内ではこれがモンスターの攻撃を代わりに受け、残量が尽きれば使用者を入口へ強制帰還させる。
便利な装置だが、万能ではない。
何より、このシールドを着けている限り銃や弓のような飛び道具は使えない。高速で身体から離れた物体をシールドが弾くため、探索者の武器は必然的に剣、槍、斧といった近接武器が中心になる。
お嬢様が用意している細身の剣を見て、俺は眉を寄せた。
「これを使うつもりですか」
「格好いいでしょう?」
「選んだ理由を聞いています」
「格好いいからよ」
やはり一人で行かせる選択肢は消えた。
「分かりました」
「そう。だから明日の放課後から――」
俺がリュックを持ち上げると、お嬢様が途中で言葉を止めた。
「俺も行きます」
「征司が?」
意外そうな顔をされたことの方が意外だった。
「当然でしょう。お嬢様がダンジョンに入るのに、従者が同行しない理由がありません」
「でも、あなた男でしょう?」
それは俺も知っている。
今の日本では若い世代の男女比はおよそ一対九。男が危険な場所へ出ることを好まない人間も多く、男性探索者となればさらに数は減る。
まして世間で好まれる男というのは、細身で物腰が柔らかく、女性の後ろで大人しく守られているようなタイプだ。
鏡を見るまでもなく、俺はその基準からかなり外れている。
昔からの訓練で肩や腕には余計な筋肉がついているし、愛想がいいとも言われない。男が珍しいからといって、俺まで当然のように守られる側として扱われるとは思っていない。
「男でも、従者は従者です。護衛もできます」
「そういうところなのよね」
なぜかお嬢様が嬉しそうに笑った。
次の瞬間には俺の腕へ両腕を絡め、肩に頬まで寄せてくる。
「それじゃあ征司も一緒ね。私の最初の配信なんだから、ちゃんと格好よく映りなさい」
「俺は映りませんよ。主役はお嬢様でしょう」
「もう、本当に分かってないんだから」
昔からお嬢様は距離が近い。
俺が小さい頃から十六夜家に出入りしていたせいだろうが、高校生になった今でもこの調子なので、外では少し控えてほしいとは思う。世間では男に不用意に触れる女はあまり行儀がいいとは見られない。
俺は腕にぶら下がったお嬢様をそのままにして、リュックの中身をもう一度確認した。
行くと決めた以上、止める話ではなく安全に帰す方法を考えるべきだ。
「明日は無理です。まず俺も探索者登録をします。それから装備を見直します」
「明後日なら?」
「講習と審査次第です」
「なら急ぎなさい。十六夜家再興の第一歩なんだから」
「お嬢様はその間に、再興までの第二歩くらいは考えておいてください」
俺が言うと、お嬢様は露骨に嫌そうな顔をした。
どうやら家を再興する具体的な方法については、本当にこれから考えるつもりらしい。
今日の俺としては、ダンジョンへ入る前に配信機材の使い方くらいは覚える必要があるので再興についてはお嬢様に考えていただこう。
俺は夕食までにやることを頭の中で組み直しながら、まだ腕に抱きついているお嬢様を連れて自室へ向かった。
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