第38話 黒夢病
朝、目が覚めた瞬間に体の重さがわかった。
久しぶりだった。腕が重く、背中が張っていた。
葵はベッドの上でゆっくりと起き上がり、ブレスレットに触れた。
「サナティオ・ルクス」
光が手のひらから広がった。重さが少し、薄れた。
端末を開いた。神魔解析録を起動した。
数字が変わっていた。
ファントム、餓鬼、ウィルオウィスプ、ピシャーチャの4体の神魔の解析度が100%になっていた。
昨夜の夢の中で、相当激しい戦闘があったのかもしれない。
目が覚めると何も覚えていない。でも体がそれを知っていた。
新しい項目があった。
デュラハン——10%。
葵はその名前を少し見つめた。
夢の中で戦ったのだとすれば、初めて出会った何かだろう。どんな相手だったのかは、わからない。
画面をスクロールした。ウィルオウィスプ——100%。
幽鬼、怨霊、食人鬼、人魂——呼べるようになった神魔が増えた。
どれも気が進まない呼び名が並んでいる。
その中ではウィルオウィスプが一番ましだった。人魂なら、まだ話が通じそうな気がした。根拠はない。
散盟契約陣の生成を開始した。
アーデルが机で紙をめくる音がした。
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昼休みに、食堂の入口で声がした。
「葵さん」
リオだった。颯が隣にいた。
リオの顔色が、前と違った。顔に血が戻っている。目に光がある。
「元気になりました、それで報告に来ました」
颯が「こいつ、ずっと葵に会いに来たくてさ」と言った。
葵はリオを見た。
「よかった」
「……ありがとう、葵さん。助けてくれて」
「葵でいいよ」
「え」
「あと、もう友達なんだから、敬語じゃなくていい。葵で」
リオが少し目を丸くした。それから、小さく笑った。
「……うん、葵」
颯が「じゃあ今度休みに三人で遊ぼうぜ」と言った。
「行こう」と葵は言った。
リオが「うん」と頷いた。今度はもう少し大きく笑っていた。
廊下を歩きながら、葵は少し後ろを見た。
セレンがいた。
遠くから、こちらを見ていた。何かを確認するような目で。
葵が視線に気づくと、セレンは視線を外した。
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スタディホールの時間、Sクラスの教室にセレンが来た。
「話がある。ついてきて」
廊下の端の、人の少ない場所まで歩いた。
セレンが葵を見た。
「さっきの男子生徒——黒夢病にかかっていたように見えた。あなたが助けたの?」
「黒夢病って、何?」
「毎晩怪物に襲われる夢を見る」とセレンは言った。
「眠るたびに恐怖して、少しずつ衰弱して、最後には死ぬ。そういう病」
「……リオがそれだったの?」
「以前、颯とあの男子が症状について話しているのが聞こえた。
私は黒夢病だと思った。...それで、あなたが助けたの?」
「うん」と葵は言った。
「夢の中に入って、怪物を倒して助けた」
セレンはしばらく葵を見ていた。
「……そう」
短い言葉だった。でも何かを確認し終えた、という静けさだった。
葵は少し間を置いた。
「黒夢病について何か知っているの?」
「私たちはコルプスによる人類の間引きだと考えている」
今、「私たち」って
——葵は一瞬言葉を飲み込んだが、すぐに流した。
「間引きって——なんでそんなことを?」
「わからない」とセレンは言った。
「何らかの意図があるのかもしれない。少数の犠牲で多数を救うような計算が、コルプスの中にあるのかもしれない。でも」
セレンが少し間を置いた。
「あの男子生徒が死んで、世界に大きな影響を与えられるかと考えると——そこまででもない。だとすれば、もっと単純な理由かもしれない。獲物が恐怖しながら衰弱して死ぬ様子を、ただ観察しているだけかもしれない」
葵は何も言えなかった。
「コルプスがやっているという証拠はあるの?」
「……残念ながらない」
セレンの口調は変わらなかった。
「でもコルプスが管理する世界各国の都市で、同じ症状の人間が複数出ている。
コルプスの管理がない国では起こっていない。これはコルプスを疑うのに十分な理由にならない?」
葵はその言葉を聞いて考えた。
——あの機械の怪物が、一体だけとは限らない。
リオの夢にいたあの怪物が、別の誰かの夢にも送り込まれているかもしれない。
今もどこかで、同じことが起きているかもしれない。
それは葵の中だけに留めた。セレンはあの怪物の存在を知らない。
だが、別のアプローチからコルプスが関与しているという疑いは持っている——。
それだけじゃない。僕も毎夜の夢の中で、神魔たちに襲われたかのような痕跡が体と神魔解析録に刻まれている。
――僕もコルプスに狙われているのだろうか?
「……わかった」と葵は言った。
「教えてくれてありがとう」
セレンはそれだけ聞いて、また廊下を歩き始めた。
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放課後、葵は端末を開いた。
蒼玲にメッセージを送った。
「蒼玲先輩、少し聞いていいですか」
「なに」
「黒夢病って知っていますか」
少し間があった。
「知らないわ」
「毎晩怪物が襲いかかってくる夢を見て、衰弱して最後には死ぬという病気です。僕の友達がかかっていました」
「……続けて」
「こういう症状の人が、他にも出ていないか知りたいんです。コルプスが管理している都市で特に多いという話を聞いて」
また間があった。今度は少し長かった。
「あなた、私のことなんでもやってくれる優しい奥様だとでも思ってるの?」
「……すいません」
「まあいいわ。調べてあげる」
「ありがとうございます」
「その代わり、明日のスタディホールの時間を開けておきなさいよ」
「はい」
少し間を置いてから、葵はもう一度メッセージを送った。
「蒼玲先輩にはどうしても頼ってしまって、すいません」
返信が来た。
「頼られて悪い気はしないから、いいけど。明日また会いましょ」
葵は端末を閉じた。
窓の外に、夕方の光が伸びていた。
ライラが胸元で、温かく揺れた。




