第37話 守れる力
日曜日の朝、端末に茜からメッセージが来ていた。
「今日、時間ある?」
葵は少し考えてから、アーデルの部屋のドアをノックした。
「先生、少しいいですか」
「何だ」
「今日、中心街に行こうと思っているんですけど。先日のことがあったので……安全か確認したくて」
アーデルは書類から顔を上げなかった。
「中心街か」
「はい」
「治安維持部隊が常時警備している。上級傭兵であっても、あそこで動くのは困難だ」
「……どのくらい困難ですか」
アーデルは少し間を置いた。
「難易度で言えば、この学園の寮を正面から襲撃するのと同じくらいだな」
葵はそれを聞いて、少し安心した。
「わかりました。ありがとうございます」
「気をつけろ」
それだけだった。アーデルはまた書類に視線を戻した。
葵は部屋を出た。
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中心街は、いつもと変わらなかった。
光の建築群。空中モノレール。魔法と科学が融合した街並みが、朝の光の中で輝いていた。
茜が葵の隣を歩いていた。黒髪が光を受けて艶やかに揺れる。地味に振る舞っているのに、すれ違う人が振り返ることがある。
「葵、こっち」
茜が葵の袖を引いた。雑貨の店の前だった。
葵は茜について入った。
——コルプスの目があるかもしれない。
頭の片隅でそう思った。治安維持部隊の管理区域だから、別の意味で監視の目は多い。今日ここに来たことを、誰かが記録しているかもしれない。
でも——それを茜に言う必要はなかった。茜を不安にさせることはない。
「葵、これどう思う?」
茜が小さな置物を手に取っていた。光の石でできた、鳥の形をしたもの。
「綺麗だね」
「……うん」
茜はそれをそっと棚に戻した。買わなかった。でも葵の顔を見て、少しだけ口元が緩んだ。
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昼を過ぎて、二人は屋外のテラスで休んでいた。
テーブルの上に飲み物が二つ。茜は自分のグラスを両手で包んで、遠くを見ていた。
「葵」
「うん」
「最近、忙しそうだね」
葵はグラスから顔を上げた。
茜がこちらを見ていた。葵の名前を呼ぶときと同じ目だった。
「……そうかな」
「そうだよ」と茜は言った。「葵……危ないことやってるんじゃない?」
葵は少し間を置いた。
気づいたら、話していた。
リオが昏睡状態になったこと。夢の中に怪物がいたこと。その怪物は自然に生まれたものではなく、人工的に作られた可能性があること。企業が関与しているかもしれないこと。
話しながら、葵は少し不思議だった。
——なぜ話しているんだろう。
茜は黙って聞いていた。
話し終えると、茜は少し間を置いてから言った。
「……葵には、危ない目に遭ってほしくない」
「うん」
「個人の力では、どうしようもないことってあると思う。そういうことは、他の人に任せた方がいいんじゃないかな」
正しい言葉だった。
「……茜の言う通りかもしれない」と葵は言った。
茜が少し、表情を緩めた。
「葵……」
「でも」
茜の表情が止まった。
「リオと同じことが——茜に起きるかもしれない。生徒会のみんなに。アーデル先生に」
葵はグラスを両手で包んだ。
「そうなったとき、何もできないのは嫌だ。守れる力が欲しい」
茜はしばらく何も言わなかった。
「……葵」
「うん」
「無理しないで」
「うん」
葵は頷いた。でも、心の中では——決まっていた。
守れる力が欲しい。そのためなら、動ける。
茜が視線を遠くに向けた。グラスを持ったまま、何かを考えているような顔だった。
それがどんな考えなのか、葵にはわからなかった。
ライラは、揺れなかった。
悪意はなかった。茜が葵を心配しているのは、本当のことだった。
でも——話した後に残った引っかかりが、少しだけあった。
なぜ話したのか。なぜ茜に、あんなにすらすらと。
葵はそれを、うまく言葉にできなかった。
「葵、そろそろ行こうか」
茜が立ち上がった。
「うん」
二人で歩き始めた。
中心街の光が、午後の角度で降り注いでいた。




