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第29話 リオの夢

 生徒会への入会が決まってから、数日が経った。


 今のところ、生徒会の仕事はないが、剣術部の稽古は続いている。


 アーデルの部屋に移ってからは、夜に机の向こうで紙をめくる音を聞きながら眠るのが当たり前になっていた。


 朝の体の重さは、相変わらずだった。


―――――――――――――――――――――


その日の朝、廊下でリオを見かけた。


遠目から見ても、わかった。顔色が悪かった。普段から線が細く存在感を抑えた立ち方をする子だが、今日はそれが違った。立っているのに、どこか——崩れかけているような。


颯が横を歩きながら、気づいたように言った。


「リオ、最近ずっとあんな顔してるよな。体調悪いのかな」

颯はそう言って、でもすぐに前を向いた。


「……うん」


葵は答えながら、胸元のライラの気配を確かめた。


ライラが、小さく揺れていた。


傭兵のときとは違う揺れ方だった。あのときは鋭く反応した。今は——じわりと、重たく揺れていた。怒りでも警戒でもない。もっと底の方にある何かを感じ取っているような揺れ方だった。


「ライラ」


小さく、声に出さずに問いかけた。


しばらく間があった。


「……怖い、じゃない」


ライラが答えた。「諦めてる感じ」


葵はその言葉を聞いて、立ち止まりそうになった。


颯はすでに前を歩いていた。


―――――――――――――――――――――


昼休み、葵は一人でリオを探した。


颯には「ちょっと用がある」とだけ言った。颯は「わかった」と言って、他の男子のテーブルに向かった。


リオは食堂の端の席に一人で座っていた。トレーに食事を乗せたまま、ほとんど手をつけていなかった。


「隣、いい?」


リオが顔を上げた。葵を見て、少し驚いたような顔をした。


「……はい」


葵は向かいに座った。しばらく、何も言わなかった。急いで聞き出す必要はないと思った。


リオが先に口を開いた。


「生徒会、入ったって聞きました」


「うん」


「……すごいですね」


言葉は短かったが、嫌味ではなかった。本当にそう思っている声だった。


「リオ」


「はい」


「最近、眠れてる?」


リオが少し固まった。


答えるまでに、間があった。


「……眠れては、います」


「夢は?」


また間があった。今度は少し長かった。


「見ます」


「どんな夢」


リオはトレーの端を指で触りながら、少し俯いた。


「……怪物に、追われる夢です」


葵は何も言わなかった。続きを待った。


「暗い場所で。出口が見えない。逃げても逃げても追いつかれて——必ず、死にます」


「毎晩?」


「毎晩」


リオは静かにそう言った。感情が乗っていなかった。慣れてしまったような——そういう声だった。


「怖くないの?」


「最初は怖かったです。でも最近は……」


リオが少し間を置いた。


「なんか、死ぬのが当たり前みたいな気がしてきました。夢の中で、もう何度も死んでるから」


葵はその言葉を聞いて、胸の奥が静かに冷えた。


当たり前、という言葉が引っかかった。怖いとか辛いとかではなく——当たり前。


「そんなことない」


言葉が、口から出ていた。


「当たり前じゃない。夢は夢だよ」


言いながら、その言葉が自分にも刺さった。


葵も、毎晩夢を見る。内容は覚えていない。でも体が重い。まるで一晩中走り回っていたように。


——僕も、夢の中で何かをしている。


でも今は、それを考える場面じゃない。


リオが小さく言った。


「……葵さんは、夢、見ますか」


葵は少し間を置いた。


「見るよ」


「どんな夢ですか」


「覚えてない。でも体が重くて起きる」


リオが葵を見た。何かを確認するような目だった。


「……僕だけじゃないんですね」


「うん」


リオは少しだけ、息を吐いた。泣くわけでも笑うわけでもない、ただ少し——軽くなったような息だった。


―――――――――――――――――――――


授業が終わった後、葵はアーデルの部屋に戻る前に、廊下のベンチに座って端末を開いた。


神魔解析録。


前に確認したのは、いつだったか。


アプリを起動した。データが並ぶ。


葵は画面を見て、止まった。


数字が、変わっていた。


ファントム——前回六十二パーセントだったものが、六十九パーセントになっていた。餓鬼が四十二から四十八に。ウィルオウィスプが三十から三十五に。ピシャーチャが二十一から二十六に。


全部、上がっていた。


「……なんで」


葵は画面を見つめた。


解析度は戦闘で相対した神魔の情報が積み上がって上昇する。つまり——この数字が上がっているということは、葵がこれらの神魔と戦った、ということだ。


でも葵は実戦でこれらの神魔と戦っていない。


「……まさか」


声が出た。


毎晩夢を見る。体が重い。内容は覚えていない。


でも——体は覚えている。


戦い方を知っている。詠唱なしで魔法が出る。剣を初めて持ったはずなのに体が動く。


全部、夢の中で——


「小春」


声がした。


顔を上げると、リース先生が廊下を歩いてきた。その横に、カヴィヤが並んでいた。


葵は端末を膝に置いたまま、二人を見た。


「少し時間あるかな」リースが言った。「ちょうど探してたんだ」


カヴィヤが葵の顔を見た。いつもの穏やかな目だったが——少し、心配そうな色が混ざっていた。


―――――――――――――――――――――


連れて行かれたのは、北棟の端にある小さな実習室だった。


リースが扉を閉めた。カヴィヤは入口の近くに立った。葵は部屋の中央に置かれた椅子に腰を下ろした。


「その端末だ」


リースが葵の手元を見た。


「神魔解析録に、一時召喚契約の魔法陣生成機能が入っている。説明したのを覚えているか」


「はい。魔力を全部払って、一時的に神魔の力を借りる契約の魔法陣を生成できる、という」


「そう」


リースは少し間を置いてから、軽く言った。


「一時召喚契約ではかっこがつかんな」


リースは少し考えるような顔をした。


「魔力を散らして力を借り、終了後には契約そのものも散る——散盟、と呼ぼう」


そう言いながら、葵の端末を借り、ちょいちょいと操作した。


「今日は——ピクシーの散盟契約魔法陣を生成してみてほしい」


「召喚は、しないんですか」


「今日はしない。魔法陣の生成だけだ」


リースは続けた。


「神魔の契約魔法陣はデータサイズが大きい。あの端末には何個も入らない。生成にも時間がかかる——今日中に仕上がるかどうか、やってみないとわからない」


「……わかりました」


葵は端末を開いた。神魔解析録のアプリを起動した。ピクシーの項目——解析度百パーセント——を長押しすると、メニューが出た。


「散盟契約魔法陣を生成」


葵はそれを選んだ。


画面に進捗バーが現れた。ゆっくりと、動き始めた。


「……遅いですね」


「魔法陣のデータ構造を組み上げているから。急かしても速くならない」


リースはそれだけ言って、自分の端末を取り出した。何かを確認している。


カヴィヤが葵のそばに来た。進捗バーを覗き込んで、「思ったより時間がかかるのね」と小さく言った。


「カヴィヤ先輩」


「何?」


「明日も来てもらえますか」


カヴィヤが葵を見た。


「明日——召喚を試みるつもり?」


「魔法陣が完成したら」


カヴィヤは少し間を置いた。それから、小さく頷いた。


「もちろん。そのつもりでいる」


「……ありがとうございます」


「葵くん」カヴィヤが静かに言った。「無理はしないで。複数の神魔と契約を試みた人間が何人も死んでいる。それは事実だから」


「わかっています」


「わかっていても——やるの?」


葵は少し考えた。


——僕は契約に失敗して、死ぬのだろうか?


リオの顔が浮かんだ。食堂の端の席で、トレーに手をつけないまま座っていた。「死ぬのが当たり前みたいな気がしてきた」と言った、あの声が。


「やります」


カヴィヤは何も言わなかった。でも——葵の顔を、もう少しだけ見ていた。


リースは端末から顔を上げないまま、「生成が終わったら教えて」と言った。それだけだった。


葵は進捗バーを見た。まだ、ゆっくりと動いていた。


―――――――――――――――――――――


夜、アーデルの部屋に戻ってから、葵はベッドの上で端末を開いた。


神魔解析録のページを、もう一度見た。


上がった数字が、画面に並んでいる。


それから——一番下のデータに目を移した。


最高ランクの神魔。解析度一パーセント。


葵はその項目を長押しして、検索画面を開いた。


「希望・夢・祝福を司る天使。人間の夢の中に干渉する力を持つとされる」


前に見たときと、同じ説明文だった。


誰かが他人の夢に干渉できる。


——リオの夢に、外から何かが入っている気がする。


リオと別れた後、ライラがそう言った。


葵は画面を見つめた。


——じゃあ、僕の夢にも。


考えかけた。


今度は、止めにくかった。


今まで何度も考えかけては止めてきた。でも今夜は——リオの「当たり前みたいな気がしてきた」という言葉が、頭の中にまだ残っていて。


止めることが、できなかった。


「ライラ」


胸元でライラが、静かに揺れた。


「リオの夢に、外から何かが入ってる——って言ってたよね」


「……うん」


「僕の夢にも、誰かが入ってると思う?」


ライラはすぐには答えなかった。


長い間があった。


「……わからない」


その「わからない」が、知っているのに言えない、という「わからない」なのか。本当に知らない「わからない」なのか——葵には判断できなかった。


「ライラ」


「なに」


「夢の中で、何かをしてる気がする。何かと戦ってる気がする。でも覚えてない」


ライラは何も言わなかった。


「リオを助けたい」


ライラがわずかに揺れた。


「助けられる?」


また間があった。


「……わからない。でも」


ライラはそこで少し止まった。


「葵が助けたいなら、私は一緒にいる」


葵はその言葉を聞いて、少しだけ目を閉じた。


机の方から、紙をめくる音がした。アーデルはまだ仕事をしていた。


遠くで海風が建物を鳴らしていた。


——今夜も夢を見るだろう。


見るとしたら——何と戦うのだろう。


葵はそのまま、ゆっくりと目を閉じた。

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