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第24話 端末と記録

 演習が終わり、生徒たちが散り始めた。


 颯が葵のところに来て「やばかったじゃん」と言った。興奮しているのか、声が少し上ずっていた。「二体目が出てきたときびっくりしたわ、俺」


「僕も驚いた」


「嘘つけ」


「本当だよ」


 颯は葵の顔を見て、「……本当に驚いてるんだ」とだけ言って、少し黙った。


 茜は葵の隣に来て、何も言わなかった。ただ葵の右手を見た。ロングソードの切れた刃を素手で拾ったとき、手のひらを切っていた。演習の熱でほとんど忘れていたが、じくりとした痛みがまだ残っていた。


「後で保健室に行って」


「うん、行く」


 茜はそれだけ言って、少し間を置いた。


 それから、何も言わずに葵の右手をそっと取った。


 手のひらを、両手で包んだ。


 光は出なかった。魔法陣も展開しなかった。ただ——じんわりと温かかった。傷口の熱が、少しだけ引いた気がした。


 五秒も経たないうちに、茜は手を離した。


「……保健室も行って」


「……うん」


 葵は自分の手を見た。傷は残っていた。でも、さっきよりじくじくしていなかった。


 茜は何も言わなかった。颯と一緒に歩いていった。


 葵はしばらく、砂地の広場に一人で立っていた。


「小春」


 広場の出口のところで、声がした。


 振り返ると、リースが壁際に立っていた。演習中からずっとあの場所にいた。他の教師はもう帰っていた。リースだけが、まだそこにいた。


「少しいいか」


 葵は足を止めた。


「……はい」


「手を見せろ」


 葵が右手を出すと、リースは一瞥して「後で保健室に行け」と言った。それだけで、傷については何も言わなかった。


 リースは広場の端の壁に背をもたれて、葵を見た。


「今日の演習を見ていた」


「……知ってます」


「二体目が出たとき——驚いたか」


「はい」


「そうか」


 リースは少し間を置いた。いつもの「少し笑っているような」目ではなかった。何かを測るような、静かな目だった。


「葵。一つ聞いていいか」


 名前を呼ばれた。苗字ではなく、名前で。葵は少し驚いたが、顔には出さなかった。

 胸元でライラが、ほんのわずかに揺れた。


「……はい」


「あの二体目のピクシー——召喚したとき、何を考えていた」


 葵は少し間を置いた。


「ライラが捕まっていて……助けなければと思って、それで気づいたら血で線を引いていました。昔、ライラと契約したときの魔法陣の形を」


「記憶から引いたのか」


「はい」


「意図して召喚したわけではない」


「……はい。ただ、呼べる気がしました。理由はわからないですけど」


 リースはその言葉を聞いて、しばらく黙っていた。


 肩の近くで、青白い光がわずかに揺れた。オルタの気配だった。


「一つ、渡したいものがある」


――――――――――――――――――――


 リースが上着の内側から取り出したのは、端末だった。


 葵の持っているものより少し薄く、色が古かった。縁が少し擦れていて、長く使われていたのがわかった。でも壊れてはいない。表面に細かい魔法陣が刻まれていた——ただの端末ではない。


「神魔解析録、という機能が入っている」


 リースは端末を葵に差し出しながら言った。


「戦闘で相対した神魔の情報を自動的に解析して記録する。属性、契約可能条件、力の傾向——一度戦えば、次に備えられる」


「……これを、僕に」


「もう一つ機能がある」


 リースは続けた。


「魔力払いきりの契約魔法陣を、AIで生成できる」


 葵は端末を受け取りながら、その言葉の意味を考えた。


「払いきり……一度きりの契約ですか」


「そうだ。永続契約ではなく、魔力を全部払って一時的に力を借りる契約。相手が応じれば成立する。また召喚したければ、そのたびに魔力を払う」


 葵はライラを感じた。ライラは何も言わなかった。でも、聞いていた。


「——ライラとの契約とは別に、必要なときに別の神魔の力を借りられる」


「そういうことだ」


 リースは端末から手を離した。葵の手の中に、端末の重さが残った。


――――――――――――――――――――


 葵は端末を見た。擦れた縁。刻まれた魔法陣。


「これ、誰かが使っていたものですか」


 リースは少し間を置いた。


「そうだ」


「誰が」


 また間があった。今度は少し長かった。


「お前より前に——お前と同じ能力を持った人間が、一人だけいた」


 葵は顔を上げた。


「複数の神魔と契約できる人間が」


「ああ」


「……この学校に?」


「この学校が今ほど整っていない頃の話だ。大戦争から間もない時期——世界がまだ混乱から立ち直りきっていない頃に」


 リースはそれだけ言った。それ以上は続けなかった。


「その人は……今は」


「わからない」


 葵はリースの顔を見た。「わからない」の速さを、測った。昨日の応接室で「知らない」と言ったときと——同じ速さだった。


 でも今回は、少し違う気がした。本当にわからないのか、言えないのかが——葵には判断できなかった。


「メモリは抜き取られている」


 リースが続けた。


「その人が集めた記録は、全部消えている。だから最初から集め直しになる」


「……誰が抜き取ったんですか」


「わからない」


 今度の「わからない」は、少し間があった。


 葵はそれ以上聞かなかった。


――――――――――――――――――――


 ライラが、胸元でそっと動いた。


「葵」とライラが小さく言った。葵だけに聞こえる声で。


 葵はリースを見た。


「先生は——その人のことを、知っているんですか」


 リースは少し黙った。


「知っていた、が正確かもしれない」


「……過去形ですか」


「今はわからない。さっき言った通り」


 葵は端末を手の中で握った。擦れた縁が、手のひらに当たった。


「これを、なぜ僕に」


「お前が使うべきだから」


「それだけですか」


 リースは少し間を置いてから、葵を見た。


「……それだけではないかもしれない」


 その言葉は、珍しく曖昧だった。答えを決めていないような、そういう言い方だった。


 リースはそれ以上何も言わなかった。壁から背を離して、歩き出した。


「保健室に行け」


 それだけ言って、廊下に消えた。


――――――――――――――――――――


 葵は広場に一人で立っていた。


 手の中に端末がある。擦れた縁。消えた記録。前の人。


 ライラが胸元から顔を出した。


「葵より前に、同じ人がいたんだ」


「……うん」


「その人は、何を集めたんだろうね」


「わからない。消えてるから」


「消したのは誰だろう」


 葵は答えなかった。


 端末の表面の魔法陣を、指でなぞった。細かい線が、指先に引っかかった。


 葵は端末を上着のポケットにしまった。


「保健室、行こう」


「うん」とライラが言った。


 葵は歩き出した。


 砂地の広場に、葵の足音だけが残った。

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