第17話 セレンと光の街
朝のメッセージは、3つ重なっていた。
葵が目を開けて、窓の外がまだ白っぽく霞んでいることを確認したとき、ホログラムパネルが静かに点灯した。日曜日、9月15日。
通知が三件。
一件目はセレンからだった。
「今日、中心街に行く。一緒にどう?」
送信時刻は六時三分。文面に一切の飾りがない。疑問符もない。ただ、事実のように書いてある。
二件目は颯からだった。
「日曜じゃん、どっかいかね? マルコとジャックも来るって」
送信時刻は六時二十一分。颯にしては珍しく早い。
三件目は茜からだった。
「葵……今日、一緒にいてもいい? 行きたいところがあって。二人で」
こちらは六時四十分。茜らしい文体だった。
葵はもう一度、三件のメッセージを見た。
セレンのは、時刻が一番早い。颯のはグループだ。茜のは二人きり。
——なんで、セレンが。
昨日の模擬戦が脳裏をよぎった。砂地に押し倒されたあの瞬間。近かったセレンの顔。汗の滲んだ頬。乱れた髪。少しだけ上気していた、いつもと違う表情。
葵は颯に、茜に、それぞれ返信した。
颯には「ごめん、今日は先約ある」。茜には「ごめんね、また今度一緒に行こう」。
それからセレンに返した。
「わかった。何時がいい?」
返信は三十秒で来た。
「十時。中心街の北口」
それだけだった。
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十時少し前に北口に着くと、セレンはすでにそこにいた。
いつもの制服ではなく、私服だった。
濃いグレーのコートに、細身のパンツ。コートの首元にだけ、白いマフラーが巻いてある。髪が朝の風に少し揺れていた。灰がかった青緑の目が、葵を見つけた。
「来た」
「うん。待った?」
「少し」
セレンはそれ以上何も言わなかった。歩き出した。葵はその横に並んだ。
ライラが胸元でくすりと笑う気配がした。
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中心街は、朝でも明るかった。
アルカディア島の中心部は、どの時間帯に来ても同じように輝いている。地上七十メートルを空中モノレールが滑っていく。透明な車体が朝の光を受けて、走るたびに白い軌跡を引いた。
歩道の両側には高層ビルが並んでいる。外壁に魔法陣が組み込まれたもの、壁面全体がホログラムで覆われたもの、上層階が空中庭園になったもの。すべてが設計されたように整然としていて、整然としているのに息苦しくない。
葵は何度か来たことがあったが、こうして昼間にゆっくり歩いたことはなかった。
「どこか行きたい場所があったの?」
セレンは前を向いたまま答えた。
「いくつか。案内する」
「うん」
歩きながら、葵は気づいた。
セレンの視線が、時々、街の方に向いている。
建物の外壁のドローン端末。歩道に埋め込まれた魔力センサーの光。通行人の流れ。
観光客のように見ているのではなかった。どこか、品定めをするような静かな目だった。
——何かを、確かめている。
でもすぐに、セレンは葵の方を向いた。
「お腹、空いていない?」
「……まだ大丈夫だけど、なんで?」
「行きたい店がある。混む前に入る」
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連れて行かれたのは、高層ビルの二階にある小さなカフェだった。
外壁が全面ガラス張りで、中から街全体が見渡せる。テーブルはすべて窓に向かって並んでいた。空中モノレールの高架が、ちょうど目の高さを走っている。
席についた。
セレンがメニューを一瞥して、すぐに手を下ろした。迷わずに決めたらしい。葵は少し考えて、ホットのコーヒーと、朝のプレートを注文した。
「ここは来たことあるの?」
「一度」
「好きなの、ここ」
「……静かだから」
窓の外をモノレールが通過した。あの速度だと中の人の顔はわからない。透明な車体だけが光を引いて消えていく。
「きれいだね」
葵が言うと、セレンは少し間を置いてから答えた。
「うん」
珍しく短くない返答だった、と葵は思った。
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朝食を終えて、二人は街に戻った。
セレンに連れていかれた場所は、いずれも葵が一人では来なかったような場所だった。
魔法工学系のショップが集まったフロア。壁一面が魔法陣のディスプレイになっていて、触れると術式の構造が分解されて表示される。来ている客のほとんどが大人だった。セレンは展示の一つをじっくりと見ていた。葵は隣で、かなり複雑な術式の図を眺めた。
「これ、読める?」
「大体は」
「大体って……すごい」
セレンが少しだけ葵の方を見た。
「葵は、読める?」
「三割くらいなら。魔法工学の授業ではまだここまで出てきてないから」
「……詠唱なしで上級魔法が撃てるのに、読めないんだ」
「それはなんか別の話な気がしてて」
セレンはそれを聞いて、しばらく黙っていた。何か考えているようだった。
「……そうかもしれない」
それだけ言って、また展示に目を向けた。
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昼前になって、セレンが立ち止まった。
中心街の一角に、小さな広場があった。噴水の代わりに、地面から光の柱がいくつも立ち上がっている。魔法陣を動力にした装飾だった。光は七色にゆっくりと変わる。柱の周囲に霞のような水蒸気が漂っていて、光が当たると細かい虹が散った。
平日は通勤の人が足早に通り過ぎる場所らしかった。日曜の今日は、子どもを連れた家族が何組か立ち止まっていた。
セレンが、光の柱の一つに手をかざした。
光が、セレンの白い手のひらに当たった。
葵はその横顔を、少しだけ見ていた。
いつもの、感情が読みにくい顔。でも今は——少しだけ、口の端がゆるんでいた。
「……好き? こういうの」
「……」
セレンはしばらく何も言わなかった。
「嫌いではない」
それが答えだった。でも葵には、それが「好き」とほぼ同じ意味だとわかった。
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昼食は、屋外のテラス席がある店だった。
空中モノレールの高架下に、テント屋根の小さな食堂が並んでいる一角。食べ物の匂いが混ざり合っていた。セレンは迷わず一軒に入った。ウェールズ料理の店ではなかった。
「ここは知ってたの?」
「調べた」
「この店を?」
「この辺り全体を。来る前に」
葵はそれを聞いて、少し笑った。セレンらしかった。
料理が来た。葵はスープを一口飲んだ。
「……おいしい」
「うん」
セレンは静かに食べていた。窓の外に目をやって、また手元に視線を戻す。その繰り返し。
葵はセレンが何かを考えているときの顔を、少しずつ覚えてきていた。それが思考のときと、確認のときと、迷っているときとで、微妙に違う。
今は——確認のときに近い顔だった。
何を確認しているのかは、わからなかった。
でも葵は、あえて聞かなかった。
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食後、二人は広い通りを歩いた。
中心街の目抜き通りは、地上と空中の二層構造になっている。地上の歩道には魔法樹が並んでいた。人工的に育てられた木で、枝先が発光している。夜になれば一層きれいに違いないが、昼間でも白い光を揺らしていた。
葵は葉が一枚、足元に落ちているのを見つけた。拾うと、まだほんのりと温かかった。
「ねえ、これ生きてるの?」
セレンが横から覗き込んだ。
「……さあ」
「なんか、温かい」
セレンが葵の手のひらを、少し見た。
「魔法陣が中に組み込まれているんだと思う。だから光る」
「でも温かいのは?」
「……知らない」
葵は葉を、そっと地面に戻した。
セレンがそれを見ていた。
「なんで戻したの」
「落ちていた場所に戻した方がいい気がして」
セレンは少し間を置いた。
「……変なの」
「そう?」
「そう」
でも声の端が、わずかに柔らかかった。
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三時を過ぎた頃、二人は少し高台になっている展望テラスに出た。
アルカディア島の中心部を見渡せる場所だった。高層ビルの林の向こうに、島を取り巻く海が見える。水平線のあたりが光っていた。
セレンが手すりに肘をついた。
少し離れた場所で、観光客らしい二人組が写真を撮っていた。葵とセレンの周りだけ、少し静かだった。
「セレンって、ウェールズの出身なんだよね」
「うん」
「海、見慣れてる?」
セレンは少し考えた。
「子どもの頃はそうだった。今は……あまり見ない」
「アルカディアは海に囲まれてるけど」
「学校の中にいることが多い」
葵は水平線を見ながら、静かに言った。
「今日、楽しい?」
セレンが葵を見た。少し意外そうな目だった。
「……なんで聞く」
「なんとなく」
セレンはまた海に目を向けた。
しばらく、何も言わなかった。
「……楽しい」
それだけだった。
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少し後、二人は展望テラスのベンチに並んで座った。
葵はふと、今日一日を思い返した。魔法工学のショップ。光の柱の広場。屋台街の昼食。目抜き通りの魔法樹。そのどれも、セレンが事前に調べて、場所を選んで、連れて行ってくれたものだった。
不思議な気がした。
セレンが葵を誘った理由を、葵はまだ聞いていなかった。
「セレン」
「なに」
「誘ってくれてありがとう」
セレンが葵を見た。
少しの間があった。
「……どういたしまして」
それだけだった。でも葵には、それで十分だった。
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日がゆっくりと傾き始めた頃、セレンが立ち上がった。
「もう少し、歩ける?」
「うん」
葵が立ち上がると、セレンはまた歩き出した。
中心街の光が、夕方の色を帯び始めていた。魔法樹の枝先の光が、昼よりも少し強く見えた。空中モノレールが頭上を通過する。白い軌跡が夕空に引かれて、消えた。
ライラが胸元で、静かに動いた。温かくも——冷たくもない、いつもと少し違う揺れ方だった。
葵はセレンの横に並んで、まだ終わらない日曜日の街を歩き続けた。




