4 青蛙のいざないⅡ②
ナンフウはひとしきり泣いた後、妙にさっぱりとした、それでいてやはりきまり悪そうな顔で碧生と自分の父親を、上目遣いで見た。
「ごめん……めそめそ泣いて」
もぞもぞと謝るナンフウへ、碧生は、気にするなと首を振る。
黙って息子が泣き止むのを待っていたナンフウの親父さんは、ため息まじりに言った。
「何があったんか知らんけど、まあ……とにかく。家へ帰ろ。ああ、キミ」
親父さんは碧生の方を見た。
「時間が許すんやったら、キミも家へおいで。なんやようわからんけど、ウチの子のせいでけったいなことに巻き込まれたみたいやし、な。ウチにはせんべいとかポテトチップスくらいしかないけど、そんなんで良かったらおやつ、食べていきィな」
「結木」
ナンフウが、今まで見たことがないくらい真面目な顔をして碧生を見る。
「お前も忙しいやろうけど、来てくれへんか? ほんで……ウチの親父に状況の説明、一緒にしてほしいねん」
頼む。
頭を下げられ、碧生は腹をくくる。
どっちにしろ、今日は落ち着いて字を書く気分になれない。
教室を休み、今月の硬筆の課題は家で書こう。
書道の道具を入れた手提げ袋を一瞥した後、碧生はうなずいた。
ナンフウの家は神社の裏手というか、神社をはさんで野崎邸の北東の位置というか、そんな場所にあった。
生け垣を巡らせた庭を構えた、和洋折衷な雰囲気の二階建ての古い洋館だった。
(大正モダン風……ってやつやろうか?)
いい加減な知識と印象で、碧生はひそかに思う。
そう言えば、この位置ならぎりぎり、碧生の通っていた小学校の校区外になる。
小学校でナンフウを見かけなかった理由がわかったが、中学でも見かけない(中学校は同じ校区になるはず)のは何故だろうと、碧生はぼんやり疑問に思った。
近付くにつれ、生け垣の向こうにある大きな棕櫚の木が目を引く。
これだけひとつが飛び抜けて背が高く、全体の雰囲気と合っていないが、そこが妙な愛嬌になっている。
何があろうとマイペース、素直に喜怒哀楽をさらけ出すナンフウのたたずまいに、どこか似通っている気がした。
(……ヤツの名前、『棕櫚』やもんなぁ)
ひょっとすると親父さんは、庭にあるこの木の雰囲気が好きで、それにあやかって息子を名付けたのかもしれないなと碧生は思った。
親父さんが玄関を開けた。
とたんに流れ出てくる、森の中へ足を踏み入れた時のような清新な緑の香り。思わず碧生は深く息を吸った。
「とりあえずキミ、リビングのソファに座っててくれるか? ミルクコーヒーでも作ってくるからな」
インスタントコーヒーやけど。
親父さんはそう付け足して碧生へ軽く笑むと、ナンフウを促し、一緒にキッチンへ向かった。
「……お邪魔、します」
もぞもぞあいさつして碧生は、波多野邸――後になって知ったが、市の方で文化財指定の話が出ている、そこそこ有名な建築家によって建てられた骨董品のような家――へ、その日、初めて足を踏み入れた。
リビングのソファにちんまり座り、碧生は畏まって親父さんとナンフウが来るのを待った。
考えるまでもなく、ナンフウとは一応知り合いだが、親父さんはさっき初めて会った知らない人だ。
知らない人の知らない家へお邪魔している、という、碧生の常識にはなかったシチュエーションに、今更ながら緊張してきた。
「やあ。放っておいて悪かったな、キミ」
マグカップを乗せた盆を持ち、親父さんが戻ってきた。後ろでナンフウが、塩せんべい一袋と大袋に入ったキューブタイプのチョコレート一袋を持っている。
「この家には女手ないし、気の利いたもてなしも出来へんけど。まあその分、ざっくばらんにっちゅうか、気楽にいこ。コーヒー飲んで、せんべいでもチョコレートでも、好きなだけつまんでや」
言いながら彼は、碧生の前にミルクコーヒーの入ったマグカップを置き、向かい側に座った。
菓子の袋をローテーブルの上に置き、ナンフウはおずおずと、碧生の隣に座った。
親父さんは手を伸ばし、せんべいとチョコレートの袋を開けて盛大にテーブルの上にぶちまけた。
そして、それぞれ個包装になっている菓子を無造作に取り上げ、にこにこしながら碧生へ勧めてくれた。
「あ、えっと。あの、ありがとうございます、いただきます」
目を白黒させながらも、碧生は礼を言って受け取る。
チョコレートの包装を開け、口へ入れた。
カカオの香りと強い甘みに、なんとなくホッとする。
何とも荒っぽいが、これが親父さんなりのもてなしらしい。
少なくとも、緊張感が軽減したのは確かだ。
しばらく三人は、菓子を食べつつミルクコーヒーを飲んだ。
「さあて。腹も落ち着いた頃合いや」
包装紙類を手早く片付け、親父さんは息子を見る。
「棕櫚。お前最近、ナンや落ち着きがない……いやまァ、お前が落ち着きないんは今に始まったことやないけどやな、いつにも増して挙動不審っぽいっちゅうんか……」
ナンフウは顔をしかめた。
「ちょ、挙動不審って。サスガに言い過ぎやろ」
ぼやく息子へ、親父さんは真顔で問う。
「まあ、何ぞあったんやろうなぁとは思ってたけど。……どないしたんや?」
逃げを許さないストレートな問いに、ナンフウは絶句する。
覚悟していてもそう簡単には言えない、という表情だ。
「……あの」
小さく手を挙げ、碧生は親父さんへ声をかける。
「その。簡単には信じてもらえん、話なんですけど……」
親父さんがこちらへ目を向けた。碧生はひとつ息を吐き、思い切って、言った。
「波多野くんは最近、その、ヘンなモンに絡まれて困ってるんです。その……ボクも、ほぼおんなじモンに、絡まれてます」
「ヘンなモン?」
意外なくらい静かな顔で、親父さんは問い直してきた。
碧生はもうひとつ、大きく息を吐いて言った。
「始まりは、カエルでした。カエルに、急に話しかけられたんです。ボクの場合は『ツカサの若葉』、波多野くんは『モリの若葉』って。マツリの季節とかなんとか……」
親父さんの顔色が変わった。
「……なるほどな。数十年ぶりに青蛙のミコトが動きはったんか」




