14 リーダーのソロ。Ⅱ 佐伯 香穂視点②
いつもならば多分、そうしなかっただろうが。
背景画が出来上がって、杉山くんも気分が高揚していたのだろう。
香穂たちと一緒に、視聴覚室へ行くと言った。
早足で視聴覚室へ向かい、閉ざされた重い扉を開けた瞬間。
圧力のあるテノールの声が、香穂たち三人の耳へ飛び込んできた。
結木くんは舞台の中央に立っていたが、何故か客席側に背を向け、歌っていた。
後で本人から聞いた話では、客席へ向かって歌うと自分の声の状態がわかりにくいから……なのだそうだ。
歌はちょうど、最初のサビに差し掛かるところ。
盛り上がる歌声。
三人はそのまま静かに、手近な席へ座った。
歌は後半部へ。
語りかけるような声が切々と、丁寧に歌詞を紡ぐ。
どちらかと言えば細身の、彼の背中。
ふと、このまま彼はどこかへ行ってしまうのではないかと、訳もなく香穂は心細くなる。
あの背中が遠く、小さくなるような錯覚に、思わず香穂は目をつむる。
『さくら』という歌がそもそも、別れの歌だから……だろうか?
盛り上がる最後のサビ。繰り返される『さくら』。
風景は、道に舞う桜吹雪。
美しくも寂しい。明るくも寂しい。
そしてラスト一行の繰り返し。
(……待って! 待って、行かんといて! ……結木くん!)
また会おうという約束は、今ここで確実に別れてしまう、ということ。
どんなに美しい声、美しい歌で飾ってみても、指し示す事実はひとつではないか!
「……ヤッバ。息継ぎから声の揺らぎ方から、森山直太朗の完コピレベルの『さくら』やん」
ゆかりちゃんの声が遠くでそう言っている。
「……衣装とかメイクとか頑張ったら、森山直太朗の物真似でテレビ出れそうやな。結木がこんな隠し芸、持ってたとは……」
杉山くんがブツブツ言ってるのも、遠くから聞こえてくる。
「……香穂ちん?」
座ったままずっと黙っている香穂に、ゆかりちゃんは違和感を持ったのだろう、声をかけてきた。
のろのろと振り返る。
「え? ちょ、ちょっと、香穂ちん! どないしたん⁉」
どうしたと聞かれ、香穂は初めて、自分が泣いているのに気付いた。
「……え?」
恥ずかしさを噛みしめ、香穂は、夕方の蒸し暑い道を歩いている。
最寄駅から家への帰り道だ。
泣いている香穂に気付き、皆ぎょっとしていたが、
「あ、あの。歌、聴いてたら哀しくなってきて……」
と、香穂が言い訳すると
「うっわ。結木のヤツ、佐伯、泣かせよった……」
と、間髪入れず杉山くんがぼそっと言ってくれたおかげで、なんとなく笑い話になった。
結木くんは困ったような、『泣かせるほど歌えていた』ことが嬉しいような、複雑な顔をしていたが
「すごくいい歌やった」
と、ハンカチで涙を押さえて香穂が言うと、照れくさそうに笑っていた。
(……すごくいい歌、やったけど)
胸を締め付けるような、切実なまでのあの寂しさは一体、何だったのだろう?
知らず知らずに立ち止まり、香穂はひとつ、大きく息を吐いた。
息苦しいほどの蒸し暑さが残る空気。
目を上げると、西の空が淡いオレンジ色に染まっている。
手を伸ばせば届きそうな場所にいる筈の少年が、何故かこの空の向こうへ行ってしまいそうな……不吉な予感。
寒いはずがないのに、香穂は震えていた。




