閑話 藤原愛理
母はとにかく忙しい人だった。私が生まれる前後から要介護状態となった祖母の世話を一手に引き受けていたからだ。我が家は他と比べても裕福だったと思うし、実際私の面倒を見てくれる世話係や家政婦さんなんかもいたから、生活に不自由した記憶はない。けれど物心つく前の幼い頃には、もっと母に甘えたくてわがままを言ったこともあったように思う。
しかし私がそうやって顔を出すと、祖母は分かりやすく嫌な顔をした。別に何をされるわけではなかったけれど、同じ家に暮らしながらも孫として可愛がられるようなことはついぞなかった。どうやら跡継ぎの男子が欲しかったようだ。私自身がどう頑張ろうと男にはなれないのだから、そうそうに諦めることが出来たのは良かったと思う。
他人よりも遠い距離感だった祖父が亡くなると同時、祖母のせん妄が酷くなりだした頃だったか。どうしても用事のあった母を探してこっそり部屋に忍び込んだ私に対し、激昂した祖母は手元の湯飲みを勢いよく投げつけた。幸い中身は冷めた茶であったし、コントロールを外して転がったそれが割れることもなかったけれど。あれからだろう、母は明確に私を遠ざけるようになった。
「いい? おばあさまの部屋にはもう決して入ってはいけないわ。貴女が怪我をするようなことがあったら……お母さんは、正気でいられないかもしれない。ごめんね、お絵描きもご本も一緒に見てあげられなくて……だけど、信じてね。お母さん、貴女のことが何よりも大切なのよ。だからどうか、分かってちょうだいね……」
私の身体をぎゅっと抱きしめた母は小さく震え、触れ合った頬は涙で濡れていた。
祖母の部屋からは常に怒鳴り声が響いている。物が壊れるような音、何かをひっくり返すような騒音、金属同士を打ち合わせたような高い音。
それから、母の小さな呻き声も。
中で何が起きているのか、私は見なかった。幼い私に何かを変える力はなかったし、この扉を開いたら次は私の番がくるのではないかと思うと怖かったのもある。もし父が帰って来たならば、訴えることは出来ただろう。けれど父は職場である病院で寝泊まりをしているらしく、めったに家に帰ることはなかった。
おかげで物心つく頃には、父を家族だと思う気持ちも助けを期待する思いも綺麗さっぱりなくなっていた。祖母が亡くなった日など、ようやくいなくなってくれたかと心底歓喜したくらいだ。仮にも医者の血を引く娘だというのに、我ながら酷いものだと思う。悲痛な表情を浮かべて弔問客と挨拶を交わす父を見て、漏れそうな笑いを堪えるのに苦労したくらいだ。何も知らず何もしなかったくせに、立派な喪主の振りだけは随分上手なのだなと感心したのを覚えている。だったら何故、立派な父や夫の振りは出来なかったのか、とも。
母に、お疲れ様と言いたかった。ようやく母と私は、誰に憚ることなく触れ合えるようになったのだから。
けれど……祖母の部屋から漏れ聞こえていた、母の呻き声の記憶が鮮明に蘇る。あの扉を開けられなかった自分に、果たしてその資格はあるのだろうか?
私は確かに、幼かった。けれど、あの中で起きていることが普通ではないのだと分かってもいた。
何も分からないままであったなら、どれほど良かったか……。
私は母のことを心から尊敬している。介護をしながらも家のことをきちんと差配していたし、たまに帰って来る父が要求する仕事関係の手伝いもそつなくこなしていたようだ。元々能力の高い人だったのだろう。
それ以上に、母はあの男のことが好きだったのだ。好きだから、耐えてきた。好きな人の為になると思うから、我慢できたのだろう。
私は母のそういうところがどうしようもなく、苦手だった。
家から離れる進路を選択したのは、自然な流れだろう。母とはきっと、離れた方が互いの為になる。何より成長した私の容姿は、あの男にどんどん似てきていたから。
留学先で恋人ができ、心を通わせて結婚することになった。相手の男性はいつでも優しくて、外国から来た私にも気を遣い労わってくれる。相容れない価値観もありすれ違うこともあったけれど、二人で会話を重ねて話し合い解決していった。
この人とならば、家族になれる。好きだから耐えるのではなく──好きだからこそ、我慢しなくても良い関係を築いていけると思ったから。普通の家族を知らずに育った私に、愛を教えてくれたのは間違いなく彼だ。
結婚式の日、ぎゅっと肩を抱きしめてくれた母は記憶の中よりもずっと細く小さくなっていて。あの日と同じように頬は涙に濡れていたけれど、でも私たちは二人とも間違いなく幸せだった。
ずっと苦労を重ねてきた母には、これからうんと幸せになって欲しい。あまり一緒に暮らすことは出来なかったし、母娘としては歪な関係しか築けなかった私たちだけれど、互いのことを心から思っていたのは本当なのだから。
父が病に倒れてから介護が必要になり、母は再び忙しくしているようだった。けれど、初めてあの人と長い時間を共に過ごして結構楽しいわ、なんて少し頬を染めて話す様子に安心もしていたのだ。
ずっと父に恋をし続けてきた母が、ようやく報われるのかもしれない。
そんな風に思っていた矢先、母はあっさりと逝ってしまった。身体が不自由になった父よりずっと早く、日々忙しく働きまわっていた母が。
専業主婦だった母は健康診断なども特に受けていなかったから、もしかすると何か病気があったのかもしれない。突然心臓が止まったらしく、おそらく苦しんだりはしなかっただろうというのが幸いな事だった。
母の人生とは、なんだったのだろうか。
彼女は、幸せだったのだろうか。
今はもう、そんなことを尋ねることも出来ないけれど──私は、母の娘として生まれてきたことを誇りに思っている。
母が願ってくれた分だけ、幸せになろう。そしてもしいつか自分に子供が生まれたら、母の話を聞かせてあげたいと思う。不器用だけれど、精一杯私の幸せを祈ってくれた人がいたのだと。




