終章 最後の祭祀(4)
――当時、絶大な権力を誇っていた朝廷。
段違いな力を持つ彼らの呪いに唯一対抗することができる手段こそが、八叉様の死にあった。
白神大祭の儀式には、二つの意味合いがある。
ひとつめは、八叉様が白火主命に半身を捧げる儀式。
これは、八叉様と白火主命の支配関係を確立させるための手段だ。これによって、八叉様の命は白火主命の元にあることになる。
そして、半身を捧げることで八叉様は死者となるのだ。
しかし、儀式の目的はそこにはない。
二つめの意味合い。真に重要となるのは、ここからだ。
死と再生の象徴である蛇の特性を持つ八叉様は、殺された後、再び蘇る。すなわち、非業の死を遂げた怨霊として。
――御霊信仰。以前、ちとせが解説をしていた概念だ。
無念な想いを抱え大きな災厄を引き起こす祟り神や御霊は、神様としてその分強い力を持っている。
そう。怨霊として蘇った八叉様は、真に祟り神としての絶大な力を手に入れることができるのである。
なんて皮肉な話だろう。
命を賭してこの土地を守る八叉様。それを『祟り神』と称する伝承が、ある意味では何も間違っていないのだから。
そして、穢れを滅ぼす役目を終えた時。
今度は彼が祟りを及ぼすことの無いよう、その半身を抑えている白火主命が八叉様を封印するのだ。……また、次の白神大祭の時期が訪れるまで。
――そんなこと、許さない……!
たどり着いてしまったあまりに理不尽な彼の宿命に、わたしは唇を嚙み締める。どこまで自分を犠牲にすれば気が済むのだ、あのヒトは!
そうやって楽しいことからも嬉しいことからも遠ざかって、ただ粛々と繰り返される儀式の歯車でいることを選択するなんて。
今まで共に過ごしてきた、八叉様との日々。その中で彼の表情は喜びや驚き、期待に彩られ、輝いていた。彼はそうやってヒトの生活に心を動かすことができる存在だった。土地の安寧を守るためのシステムなんかじゃない。
一年に一度、穢れを封じるためだけに呼び起こされる? そんなバカな話、あってたまるか!
様々な想いが駆け巡り、そしてわたしが行動を起こしたのは、まさに一瞬のことであった。
わたしの投げつけた『ソレ』は、あやまたず八叉様の身体に当たる。八叉様は不思議そうにそれをつまみ上げ……そして、嬉しそうに顔を上げた。
頭巾の奥の虚無しかないその空間に、見えないはずの表情が現れる。
ゆっくりと光を放ちはじめる八叉様の身体。
そして、するすると彼の身体から黒い泥のようなものが剥がれ落ちていく。落ちた泥は足元の影に吸い込まれるように消えていき、徐々に八叉様を覆う陰鬱な気配は薄れだす。
ぱさり、と地面に八叉様がかぶっていた頭巾が落ちた。ゆっくりと首を振って八叉様が顔を上げる。闇夜を照らす、銀の髪。……そして、夜空を溶かし込んだ黒い瞳。
「……八叉様」
呼びかける声が届いたかなんて、わからない。ただ、彼の名前を口にした途端、わたしの目から涙があふれだした。次から次にとめどなく流れ落ちる温かな雫に、わたしの視界はだんだんに狭まっていく……。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
しゃん、しゃん、と空気を浄化するような美しい音が耳をくすぐる。爽やかな風が、それに呼ばれたようにさぁっと吹き抜ける。
前日とは打って変わって晴れ上がった、青を湛えた空。
その下で、天女のような美麗な姿の巫女が、清らに舞う。美しくも哀しい、白神大祭の演舞。
その光景をわたしは、少し離れた木の上から見下ろしていた。
隣に立つ彼と並んで。ヒトが執り行なう儀式の再現を見届けるように。
おお、と見物人の間に歓声が上がった。
神秘的なまでに綺麗な舞を踊り終わった巫女が、作法にそって神輿の尾を一刀両断にしたのだ。
一本、二本……尾が斬られる度に神輿は跳ね、体についた鈴が切なく揺れる……最後の四本目が切り落とされた。
その意味を既に知ってしまっているわたしは、その瞬間を直視できずに視線を落とす。
そんなわたしを勇気づけるように、つないでいた手がぎゅっと握り締められた。
「……まさか、八叉彦命をとどめることに成功するとはな」
ざぁっと風が舞い上がり、背後から声がかかった。
「もちろん、その類稀な能力があってのことだが……神を神としてではなく望むなど、考えたこともなかったわ」
「…………」
静かに振り返る。その先に居るのは、呆れ顔を浮かべながらもどこか楽しそうな表情の白火主命だ。
「貴様はもう、八叉彦命でありながら土地神としての八叉彦命ではない。神としての能力、存在は白神大祭を果たして消えていったからな。八叉彦命の大元、白神大祭を執り行なう力の源はそちらにある」
わかるか? と、白火主命は尊大な態度で肩をすくめる。
「そこに居る貴様は、ただの神気の残滓に過ぎないということだ。失われてもこの土地になんの影響も与えない、矮小な存在」
「それでも我は幸せだよ、シロ」
手をつないだまま、八叉様は隣で晴れ晴れと笑う。その表情には、後悔も不安も一切ない。
「シロだって、信じてくれたんだろう。我を、認めてくれたんだろう。だからあの時、祟り神と化した我をすぐには滅ぼさなかった……違うか?」
「……ふん」
その言葉に、白火主命は苦々しそうに目を逸らした。しかし、それが照れ隠しの反応だということは、あまりにもわかりやすい。
八叉様に犠牲を押しつけるだけの、繰り返される儀式。それに白火主命も納得していなかったからこそ、わたしにチャンスをくれたのだろう。
そうでなければ、穢れを滅ぼした瞬間に八叉様は白火主命の手によって封印されていたはずだ。彼は、八叉様の半身を押さえているのだから。
昨晩のことを、しみじみと思い返す。
あの時、祟り神と化した八叉様にわたしが投げつけたもの。
それは肌身離さずずっと身につけていた、八叉様からもらった宝物……オレンジ色のミサンガであった。
半身を失って死者となるのであれば、再び半身を与えれば良い――。
そんなヤケクソにも似た発想。その妥当性を考える余裕もなく、わたしは彼にそれを捧げたのである。
八叉様が手づから作った、一種の神器とも言えるもの。四色の紐を組み合わせた、蛇を象徴する細工物を。
――そして。その結果が、ここにある。
わたしは、賭けに勝った。
神様じゃなくなったけれど。この地を守る能力を失ったけれど。そんなことは構わない。八叉様が、ここに居てくれるのなら。
そっと隣を見上げ、わたしはその幸福に微笑む。
「貴様らの想いが勝ち取った姿だ。後は好きにしろ」
付き合っていられない、と呆れた表情で白火主命は背を向ける。
「せいぜい、幸せになるが良い」
そんな言葉を最後に、その姿は消えて。最後まであの神様はツンデレだったな、とわたしはかすかな笑みをこぼす。
「我は……本当に幸せになって、良いのだろうか」
白火主命の消えた虚空を見つめながら、八叉様がぽつりと呟いた。不安に震えたその言葉に、わたしは驚いて彼を振り返る。
「当然だよ! 今までずっと、何百年ってこの地を守ってきたんでしょう!? ようやく、お休みがもらえたんだよ。こうしてゆっくり過ごせるようになったのは、きっと神様からのプレゼントだって!」
勢いに任せて口にしてから、自分の発言のおかしさに気がつく。……何だ、かつての神様に向かって『神様からのプレゼント』って。
しばらくぽかんとした顔をしてから、八叉様が堪えきれないように噴き出した。その笑顔に、わたしの胸もぽかぽかと温まっていく。……よし、今なら彼に言える気がする。
「ねぇ八叉様」
するりと身を寄せて八叉様にくっつきながら、わたしはねだるように首を傾げた。
「最初に出会ったとき言ってたこと、覚えてる? わたしの願いを叶えてくれるって」
「ん? ああ、しかしあれは……」
「ひとつだけ、お願いがあるんだ」
最後まで言わせずに、わたしは彼の言葉を遮る。その迫力に押されたように、八叉様は言葉を切ってわたしの顔をまじまじと眺めた。
頬にどんどん熱が集まっていくのがわかる。それでも、ここで退くわけにはいかない。足場の悪い太い枝の上に踏ん張って、わたしは必死で口を開く。
「わたしは、八叉様のことが好き、すごく好き。……だから、お願いです。どうかこれからも……、わたしの傍にずっと居てくれませんか!」
心臓が飛び出て来そうなくらい早鐘を打つ。居た堪れなくて、そのまま木から飛び降りたくなってしまう。八叉様の顔を見ることなんて到底できなくて、わたしは視線を地面に落とした。
ふっと八叉様が微笑む気配がした。そっと彼の腕がわたしの肩に回される。ふわり、と全身を包み込む優しい香り。その柔らかな気配に心臓がぎゅっと掴まれて、わたしは思わず目を瞑る。
そっと、八叉様が囁いた。
「それは、我の台詞だ……。こうして司紗の傍に居られるのは、我にとって望外の喜びだ。我の望みはひとつだけ。司紗と共に、あることだけだ」
それ以上言葉が出なくて、わたしは八叉様とくっついたまま静かに時の流れに身をゆだねる。
「あのね、ひとつじゃなくても良いんだよ」
やがてわたしの口から零れ落ちた言葉に、八叉様は不思議そうに首を傾げた。
「願い事は、ひとつじゃなくても良いの。今は思いつかないかもしれないけれど……この世の中には楽しいこと、面白いことがいっぱいあるんだ。それを二人で体験して、満喫して、八叉様にはどんどん欲張りになっていってほしいな。やりたいことを見つけて、欲しいものを手に入れて、楽しんじゃおう? ……これから先ずっと一緒に、さ」
「願い事は、ひとつじゃなくても良い、か……」
反芻するように、八叉様はその言葉を繰り返した。
見下ろす先では、白神大祭の儀式を終えて宴会が始まりつつある。大勢の参加者たちの楽しそうな歓声が、風に乗って運ばれてくる。
「そうだな、司紗と過ごす日々はとても……とても、楽しそうだ。きっとこれから、やりたいことは増えていくんだろう。司紗と一緒なら」
「うん!」
喜びに飛び跳ねた拍子に、ぐらりと身体がバランスを崩した。慌てて八叉様が抱き留める。笑いながら、わたしはその耳にもう一度口を寄せる。
「大好きだよ、八叉様」
――願い事は、ひとつなんかじゃいられない。
いっぱい、いっぱい、増やしていこう。叶えていこう。
空はどこまでも高く、青く澄んでいた。
これにて本編完結です。
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