第13話 庭園
私にとって他人を演じることは別に苦ではなかった。
自分の押し殺し方を分かっているというか、幼い頃の環境ゆえに慣れすぎていたというか。理屈として言語化するのは難しいが、とにかく私はそれを鳥が翼を羽ばたかせて空を自由に飛ぶのと同じぐらい、当たり前のようにすることができた。
港町での一件から3日が経過した。
私はエリシアに成り代わるため、あらかじめ彼女のスケジュールや日々の習慣をできるかぎり頭に入れており、周囲の人間が見ても違和感がないように見えるようできるかぎりの努力をしていた。
その甲斐あってか、王宮内で私をエリシア以外の誰かなのではと疑ってくるような人間は1人もいない。
完璧にエリシアを演じられているといっても過言ではないだろう。
王宮の中庭にて丸テーブルと椅子を置き、紅茶とお菓子で優雅なティータイムを過ごす。これもまたエリシアの日課だった。普段は貴族令嬢の“お友達”が数人訪れるのだが、今日は執事のアルフォンスと2人きりだ。
そういう時、エリシアは本をアルフォンスに渡してそれを音読させていた。
「781年、大欧帝国はシュツルム家の断絶とともに消滅。以後は議会中心の共和制に移行した―――お嬢様、最近は歴史書が多いですね」
隣に立っているアルフォンスは、その美声を遺憾なく発揮して私に本を読み聞かせてくれている。正直、本など自分で読んだ方が早いのだが、エリシア的にはアルフォンスの美声を独り占めにする口実だったのだろう。
そのうち飽きたと言ってやめていきたいが……今はまだ怪しまれたくないので、しばらくは続けるつもりだ。
「ステラーシュさまいわく、賢人は過去を学んで未来に活かすらしいの。私も少しはそれに合わせておかないといけないでしょう?」
「さすがお嬢様です! その勤勉さ、尊敬します」
アルフォンスという青年はどこまでも純粋なので、エリシアの言うことを本気で信じてしまっているようだ。しかしそれでいて、エリシアの好意に対しては鈍感だったようで、未だに自分が専属の執事に選ばれた理由が分かっていない。
「あの……お嬢様。いつもの“それ”は……」
「ああ、ええ。よろしく」
そして極めつけはこれだ。
私はヒールを脱いで右足を前に出すと、アルフォンスは足の甲に口付けをした。
これだ。この行為をエリシアは毎回、アルフォンスにさせていたらしい。理解に苦しむ……なにが目的なんだ。結局、私はこの行為の意味を深く理解することはできなかった。
「アルフォンス。これは今日限りで終わりにしてくれて結構よ」
「お、お嬢様!?」
「飽きたの、単純に」
それを聞くとアルフォンスは残念そうな表情を浮かべて、こちらを見上げてくる。
てっきり嫌がっていると思っていたが、もしかして……本気だった!?
「飽きたのですか……」
「そう、飽きたの」
どうやらアルフォンスはエリシアのことを本気で慕っていたようだ。恋慕なのかは分からないが……。
そう考えると少しだけ申し訳なくなってくる。
「まぁこれからも可愛がってあげるから、安心なさい」
私にできることは、エリシアとしてアルフォンスの気持ちを踏みにじらない程度に言葉を投げかけつつ、彼がいつか他の女性に興味を持つようになったとき背中を押してやるぐらいだ。それまでは少しだけ付き合ってもいいはず。
これはエリシアに成り代わった私の義務だと考えることにした。
『優しいな』
そんな私を見ていたアザゼルは呟く。
『そうですか?』
『ああ、他人の恋心に気を遣える人間は優しいと思うよ』
『……たしかにお人好しかもしれませんね』
悪い癖かもしれない、そう思った。
◆
エリシアと成り代わってなにが一番変わったのかと聞かれたら、迷うことなく私はこう答えるだろう。
人々の前を堂々と歩くことができるようになった、だ。
今まで王宮に入ることすらほとんどなかった私は、屋敷の中でさえ壁際を目立たないように歩くことを強いられていた。しかしエリシアに成り代わってからは逆だ。
皆が私を見てくる。
もちろんそのほとんどが良い意味での注目だった。
王太子の婚約者、軍事産業で躍進を続けるベルフォレスト公爵家の令嬢、美しき金髪の女性―――王宮では歩いているだけで声をかけられ、身なりや立ち振る舞いを褒めちぎられる。
エリシア公爵令嬢は今日も美しい、凛々しい、聡明さが立ち振る舞いに現れておられる……等々。容姿、内面、知性、一挙手一投足が肯定された。
この世界に人を褒める言葉がたくさんあるということを思い知らされた。
ただ存在するだけで否定されていたリーゼロッテの頃の私とは大違いだ。
もっとも腹の内ではなにを考えているのか分からないのが貴族社会。
真に受けることはない。
エリシアの立場になって得るものがたくさんあった半面、リーゼロッテだった頃とは違う意味で警戒しなければならないことも増えたということか。
慣れるまでは大変だ。
そして肝心の婚約者であるステラーシュとの関係性だが―――。
◆
イオスクリア王国の王宮から少し離れた場所。木々に囲まれた自然豊かな丘の上に、ステラーシュと一緒に暮らすことになる離宮はあった。
離宮の前には庭園が広がっており、色鮮やかな花たちが咲き乱れている。
「王宮と比べれば小屋に見えるかもしれないが、中は快適だ。気に入ってもらえると嬉しいのだが……」
どうやら王太子は本物の小屋というものを知らないらしい。
純白の壁に青色の装飾のなされた、とても立派な二階建ての屋敷。小屋に見えるはずもない。むしろ2人の男女が暮らすには持て余すほどの大きさだ。(無論、従者の幾人かと警備兵はつくだろうが)
「な、なるほど、たしかに小屋……小屋よねぇ……です」
エリシアらしく高慢に振る舞おうとしても、動揺して言葉が拙くなってしまった。
あらためて王族というもののスケールの大きさを思い知らされる。
「……エリシア?」
「さ、さぁ入りましょう! そうしましょう!」
それにステラーシュという人物といると、妙に調子がくるってしまう。エリシアらしくいられないというか、ついつい素の自分が出てくるというか……。
王族だからやはり緊張してしまうのだろう。きっとそうだ。




