第12話 断罪
その波止場は今はもう使われていない場所らしく、ヒビの入った石造りの地面が夜闇の中に微かに見えた。潮風が吹き荒び、少し油断してしまうと体をもっていかれそうなぐらいである。
しかし私は両の足で踏ん張り、右手に持ったリボルバーの感触を確かめながら前進した。
その先には殺すべき相手、エリシア・ベルフォレストがいる。
遠く彼方に浮かぶ街の灯りと、雲の隙間から微かに差し込んでくる月光が、袋小路に追い詰められたエリシアの姿を照らす。
「はぁっ……はぁっ……リーゼロッテ……あなたは」
肩で息をしながら、エリシアは私を睨みつけて言葉を吐き出す。
「ここまでのようですね、エリシア」
息を整え、私はリボルバーの銃口をエリシアに向けて、一歩、また一歩と彼女との距離を詰めていく。
エリシアの背後には、小波が立っている暗闇色の海面しかない。
チェックメイトだ。
「なんで、あなたは私の邪魔をするの……?」
「邪魔?」
「そうよ! せっかく王太子と婚約関係になれて、王妃の座に付けるかもしれなかったのに。あなたの存在が何度も邪魔をした! 黒髪の人間が公爵家にいる時点でおかしかったのよ。それだけで他人に付け入る隙を与えてしまう……まさか自覚がないと?」
「いえ、重々承知していますよ」
私の存在がベルフォレスト家にとって良くないものでることなど、物心ついた頃から分かっていた。公爵家の血を引いているという事実が広まった以上、家を追い出すこともできず、なるべく目立たないように生かされてきた身だ。
不都合なのに、切り離せない厄介者。
まるで切除できない部位にできてしまった悪性の腫瘍だ。
「私はあなたと同じように幸せを願っていただけです。そしてその幸せを勝ち取るために、今はあなたが邪魔者なのです。エリシア」
「私が……邪魔者、ですって!?」
「ええ。でも邪魔な存在が消えてくれることを願っていても、なにも変わらない。いくら耐えたところで他人は変わらない。だからあの夜、あなたが橋の上から私を落とさせたのは間違っていないと思いますよ。どれだけ願おうとも私は消えないし、私の髪が黒以外の色に染まることもない」
一歩、エリシアに迫る。距離は15mほど。
「私もあなたを見習って、ここで邪魔者を排除させていただきます」
「リーゼロッテ!」
エリシアは一歩前に出て叫んだ。
「考えなおしなさい! 私が王妃になれば、ベルフォレスト家はさらに飛躍できる! そうなればあなたの待遇も改善されるでしょう!」
「見苦しいですよ、エリシア」
「これはチャンスなのよ! 権力を手にした私なら、きっとあなたのことも……」
「今さら信じられるわけないでしょう」
自分を殺そうとしてきた人間の言葉ほど信じられないものはない。
私はリボルバーの撃鉄を起こし、エリシアとの距離を詰めた。互いの荒くなった息の音が潮風のなか、微かに聴こえる。距離にして約5m。
「この距離なら外すほうが難しいでしょう」
「リーゼロッテ! 私は王妃になる女なの! この国で一番権力を持った女になるの! それがどういうことか分かる!? 私はね―――」
「もういいです」
エリシアの淀んだ瞳を見て、もはや彼女の話を聞く必要はないと私は判断した。
初めて会ったときは、もっと綺麗な瞳をしていたのに。いつの間にそんな汚れた瞳になったのだろうか。考えても無駄か。
人は変われない。
自分が変わるか、相手から奪うか。
私もエリシアも後者を選んだ。ただそれだけの話だ。
白銀の刃をひらめかせて迫りくるエリシアに向かって、私は引き金を引いた。夜闇を引き裂かんばかりの銃声とともに、弾丸が白煙とともに銃口から吐き出される。
弾丸はエリシアの右足に炸裂。右足に力が入らなくなった彼女の体勢は大きく崩れた。
「はぁッ、はぁッ、リーゼロッテッ! 私を騙したなァッ!」
「……騙されるほうが悪いのですよ」
撃鉄を起こし、シリンダーを回転させ、引き金を押し込む。最後の一発がエリシアの胸部に当たって、その体が大きくよろけた。
「がぁあぁッ……! あなたが……そんなことをしても! 私にはッ、なれない!」
しかしエリシアは左足だけで踏ん張って、こちらを睨みつけている。
「あなたは一生幸せになれない! だってあなたは、あんたは醜い黒髪の女なのだから!」
「いえ」
私はそんなエリシアの体に右足を押しつけた。そして少し力を入れると、エリシアの体は抵抗することもできぬまま海面へと落下していく。
そんなエリシアの眼前で、私は黒の仮面をつけて【エリシア】に変身し、
「幸せになってみせますよ、エリシア」
最後に見たエリシアの瞳は絶望の色をしていた。
やがて海面に落ちた“1人の女性”は、小波の中へと飲み込まれていった。
海流からして沿岸部に漂着することはないだろうし、死体が見つかったところで服装が普段とは違う地味なドレスなので、エリシアだとは誰も思うまい。
「…………」
しばらく呆然としていた私の後ろに、アザゼルが佇む。
『リーゼロッテ。君は運命を変えたんだ』
「運命?」
『そうだ。君はリーゼロッテとして不遇なまま死んでいく運命を乗り越え、なにもかもを手にできたエリシアとして幸せな人生を勝ち取ったんだよ』
「……実感が湧きませんね」
エリシアが最後に言った言葉。
そうだ、私はどこまでいっても醜い黒髪の女だ。
「いくら仮面をつけようと、本当の自分は―――」
『間違った真実があってもいい。正しい嘘があってもいい。俺はそう思う』
覚悟はしていたはずなのに、どうしても不安が胸を突き刺す。
「私は幸せになってみせる……! エリシアに成り代わって。でも……!」
そんな情けない私を後ろから優しく抱きしめてくれたのは、精霊のアザゼルだった。人ならざるその体躯からしたのは、微かな温もりの感触。
『もし君が正しい嘘に耐えきれなくなったら、また別の道を選べばいい』
「アザゼル……」
『この仮面がある限り、君はなりたい自分になれる』
「その時もまだ、あなたは共犯者でいてくれますか?」
アザゼルはそっと私の耳元で囁いた。
『たとえ行く先が地獄であろうとついていくさ』
「地獄で幸せにはなれそうにないですけどね」
『どうだろう? 住めば都という言葉もあるぞ?』
そんなアザゼルの言葉に、私は思わず笑みをこぼした。
胸の奥に渦巻く不安や葛藤が消えていく感覚がする。私は1人で戦っているのではない。ともに歩んでくれる精霊がいるのだ。
「さぁ別荘に戻りましょう。エリシア・ベルフォレストとして」
この夜より私はリーゼロッテという名前を捨て、エリシアとして生きることになった。




