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昔むかし、ある大きな国がありました。
その国の王さまはとても立派な王さまで、家来はもちろん国中の人たちからも慕われておりました。
家来の功績にはちゃんと報いてやったり、治める民にはより暮らしやすくなるよう様々なお触れを出したり、また色んな仕組みを作ってくれたりしたからです。
色んな恵みをもたらしてくれた王さまのことを、皆は太陽のように崇めていました。
王さまには、いつも傍で寄り添ってくれる、うつくしいお妃さまが居ました。
王さまとお妃さまはとても仲が良く、天気のいい日など二人で王宮の庭を散歩している姿がよく見られました。
朗らかなお妃さまは、皆から慕われておりました。
二人の間には世継ぎの王子さまも生まれ、その幸いには欠けたところなど、見当たらないように思いました。
しかし、ある日のことです。
不幸せは突然おそってくるもの。
お妃さまがこの世を去ってしまったのです。
国中が嘆き、悲しみましたが、一番深く嘆き悲しんだのは、他でもない王さまでした。
何日も何日も寝室に閉じこもり、お妃さまのよすがである衣装を腕に抱いて、嘆き続けました。
その間、王さまの仕事は全て止まってしまいました。
家来たちは困り果てました。王さまが嘆いている間にも、捌かなくてはならない仕事がどんどん溜まってゆきます。
王さまの嘆きや悲しみは当然の事ですから、家来たちは協力して自分たちで出来る仕事は必死で片づけていました。
けれど、どうしても王さまの許しがないと、進められない仕事が山のようにあるのです。
それらは増えこそすれ、減りはしないものでした。
これだけはお願いしたいのですと、心苦しく思いながらも、何度も何度も家来たちは寝室に足を運びましたが、王さまは一向に出てきてはくれません。
いよいよ家来たちは困り果て、さてこれからどうなってしまうのだろうかと不安げに話しあうようにさえ、なってしまいました。
少し前までは、このようなことになるなど、誰一人想像すらしませんでしたのに。
ところで、お城で働いているのは、家来たちばかりではありません。
大勢の下働きの者や侍女や侍従などがいます。家来たちの恐れはわるい病気のように静かに密やかに彼らの間に広がり、やがてその不安は不穏な黒い雲のように、国中に広がっていきました。
そうして。どれくらい日にちが過ぎたころでしょうか。
ようやく王さまが寝室から出てきてくれました。家来たちは胸を撫でおろし、王さまに駆けよりましたが、王さまの顔を見た途端、誰もが足を地面に縫い付けられでもしたかのように、その場に立ち止まってしまいました。
何故なら、王さまは今までの王さまではありませんでした。いつも穏やかな笑みを浮かべていた顔は、険しい表情に取って代わられ、まるで大病を患った人のような酷い顔色をしていました。
また王さまは仕事をする時にもお酒の匂いをさせていて、酷い時には酔っぱらって執務机で寝てしまいます。家来たちが素晴らしい仕事をしても碌に労わず、国に無用どころか害になるようなお触れを出そうとするのです。
家来たちが必死に止めても王さまは聞き入れません。
家来たちはどうしたものかと相談しました。
このままでは国中の民から王さまは恨まれてしまいます。
いくつかのお触れは家来たちが止めきれず、実行されてしまったからです。以前からは考えられないような悪法に民たちは驚き、戸惑い、そして不安がりました。
どうしたものかと家来たちは重苦しいため息をつきました。良い考えがないだろうかと口々に話し合いました。
さて、王さまの変心はお妃さまにご不幸があってからのものです。
そんなふうに、頭を寄せ集め考えていた時でした。ある者が言いました。
新しいお妃さまを迎えてはどうでしょうかと。もしかしたら、王さまを御慰め出来るかもしれません、と。
また王さまの治める国はとても大きいのです。体面上から言っても、お妃さまが不在の状態はよいとは言えませんでした。もちろん、お妃さまを懐かしみ慕う者は大勢いましたが、それよりもまずは王さまに立ち直っていただかなくては国が立ち行かないと家来たちは考えたのです。
新しいお妃さまにはどの娘がよいか何度も話し合いが行われ、白羽の矢が立ったのはある家来の娘でした。
実は前のお妃さまの遠縁にあたり、多少なりと面影が似通っていたのです。
家来たちは新しいお妃さまをお迎えください、そうすれば少しでもお心が安らかになるでしょうと王に請いました。王さまはお酒を飲みながら、ぴくりとも表情を変えず家来たちを見ました。王さまが何も答えない間に、家来が一人の娘を連れてきました。
新しいお妃さまには、この娘はいかがでしょうかと家来が尋ねると、王さまは少しも興味なさそうに娘を見ました。そしてお前たちの良いようにすればいいと言い置いて、仕事を放ったらかしにしたまま何処かへ行ってしまいました。
娘の名前すら聞かず、また顔もろくに見ませんでした。
王さまは誰がお妃さまになっても同じだと思っていました。王さまにとってのお妃さまは、ただ一人しかいないからです。
前のお妃さまの喪が明けるとすぐ、王さまはこの娘と結婚しました。
けれど家来たちの願いに反し、新しいお妃さまを迎えても、王さまの行動はちっとも改まりませんでした。
それどころか以前よりもますます酷くなり、今ではきちんと整っていた政も以前の見る影もなく乱れています。
悪心を持った家来が優遇されて、王さまを諌めた家来が冷遇されるありさまでした。
それにより、悪心を持った家来はますます権勢を持ち、衷心を持っていたはずの家来は隅に追いやられました。
国の民も度重なる酷いお触れによりだんだん生活が苦しくなったので、いよいよ王さまに不満を持つようになりました。
国中が不満と不安の渦の中につき落とされたようでした。
そのような中で、新しくお妃さまになった娘は、少しでも前のような王さまに戻ってもらおうと懸命に働き掛けていました。前のお妃さまとしていたような、庭の散策に誘ったり、お茶を一緒に飲もうと誘ったりしました。
王さまがあまりに酷いお触れを出したり、また昼間からお酒を呑んで仕事中に酔っぱらって寝てしまったりした時などは、諌めたりもしていました。
けれど娘が何度話しかけても王さまは娘など居ないもののように振る舞います。
声をかけても返事がないどころか、視線すら娘のほうにやろうとしないのです。
また前のお妃さまが居た頃は後宮は閉まっていましたが、いつの間にかそこが開かれ、大勢の美女たちが王さまの寵を争うようになっていました。
娘は王さまに顧みられることはありません。言葉一つ、視線ひとつ王さまが娘に与える事はありません。
それでも娘は王さまに話しかけたり、時には諌めたりし続けていました。
王さまの家来である父を持つ娘ですから、自分の役割は少しでも王さまの助けになることである、とわかっていたからです。
まるで氷の壁に爪を立てるような日々が、どれくらい続いたでしょうか。
それまで王さまは一度として娘に話しかけませんでした。
ある日のことです、初めて王さまは突然娘に話しかけました。
娘と視線を合わせ、とても恐ろしい事を告げたのです。
お前は羽虫のようにあまりにうるさすぎる。二度と話しかけられないような所に閉じ込めてしまおう、と。
娘は王宮の隅にある、高い塔の天辺に閉じ込められてしまいました。そこはかつて、高貴な血筋の罪人の、牢でした。
あまりにも酷い為さりようですと、衷心を持つ家来たちが何度王さまにお願いをしても、王さまは聞き入れませんでした。
悪心もつ家来たちは、王さまに良くない事ばかり口にするお妃さまなどは追放して、新しいお妃さまを迎えられてはいかがでしょうなどとさえ口にします。王さまの横では、派手な衣装を身にまとった美女が微笑み、わたくしをお妃さまにしてくださるのかしらと王さまにしなだれかかります。
もう王さまには誰の声も届かないのだろうか、この国はどうなるのだろうと衷心を持つ家来たちや国の民が重苦しい不安に胸を焦がしていた時です。
王さまの息子……世継ぎの王子さまが、遠い領地から戻ってきました。
王子さまもまた何度も王さまを諌めたため、王さまの不興を買って遠い地に追いやられていました。けれども世継ぎの王子であったため幽閉まではされなかったのです。
王子さまはまだ残っていた、正しい心の家来たちに頼みました。これからは自分に力を貸してくれないだろうかと。
このままでは国が駄目になってしまうと思っていた家来たちは、王子さまの申し出に迷うことなく頷きました。
どのみち、この国はいずれ王子さまが治めるのです。それならばよい政を行えなくなった王さまには位を退いてもらった方が国のためだと思ったのです。
そうして。
王子さまは家来たちの協力をえて、王さまを王位から退けました。
王さまが居なくなったので、王さまにすり寄っていた悪心ある家来たちは今度は王子さまに近寄りましたが、それを王子は許しませんでした。
彼らが行った不正を厳しく追及し、罪に見合った咎を与えました。
後宮を再び閉ざし、そこに居た美女たちを全て帰らせました。美女たちは王子さまに秋波を送りましたが、これまた王子さまはそれに靡かず、それどころか王さまを惑わした罰として都に留まる事を禁じてしまったのです。
そして。
王子さまは、塔に閉じ込められていたお妃さまを助け出しました。
王子さまはお妃さまにも、国を建て直すために、力を貸してくれるように頼みました。
お妃さまは王さまを諌められなかった事をとても悔やんでいたので、二つ返事でこれを引き受けました。
王子さまやお妃さまや家来たちが力を合わせて働いたので、国を覆っていた不安の雲は晴れ、すっかり元通りの国、いえそれ以上の素晴らしい国になりました。
昔むかしの、お話です。
END
お読みいただき、ありがとうございました。