30話 夕食 - 中篇 -
この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。
◇麻人
――会議再開まで、残り五十分――
僕は未だ夕食にあり付けず夜の街を彷徨っていた。
空腹に耐えながら朝を迎えるのも手だったけれど、僕はあえてその選択は取らなかった。
何故、そのような選択を選んだのか?
分からない人は想像力が欠如していると思う。いや、それは言い過ぎだったかも。分からない人は思い出して欲しい。真壁さんと同棲気取りのアリアさんからどのような仕打ちを受けたかを。
同棲気取りでさえこれなのだから、久しぶりに夫と再会したソフィアさんが好意的に接してくれるだろうか? 少なくとも僕は期待する気にはなれない。
まあ、流石に間男と誤解されるとは思わないけれど、既にアリアさんから手痛い目にあっている身としては用心するに越したことはなく。お互いのためにも、不愉快な思いをするような展開は回避することにしたわけで。
真壁さん流に言えば、精神性衛生上の予防策というやつかな。
夕食の当てにしているブルータスさんの屋敷まで五分程の距離だったというのも大きかったりする。そのくらいの距離で都合が付くなら多少の空腹は我慢できる。
否、出来る筈だった。
結論だけ先に言ってしまうと、ブルータスさんがまさかの留守。勿論、それなりに立派な屋敷に住むブルータスさんには家政婦の人達がいるので誰も居ないというわけではなく、客間で待つという手もあったよ。
あったけどね。
この屋敷の方々は、何故か僕に好意的に接してくれない。以前、ジュリエッタと一緒にお邪魔した時も感じた、あの違和感。
そのときは勘違いかと思ったよ。
でも、今回で確信した。
明確な敵意ではないけれど、皆がここに居てはいけないというオーラを発していることを。それが何を意味するのかまでは分からないけれど、居心地が悪い事この上なく。
結果、空腹に耐えながら再び夜の街を彷徨う羽目になってしまったわけで。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
愚痴を呟きながらライト呪文で照らし出された灯りの下を通り過ぎた。夜の闇とライトの灯りのコントラストが僕の存在を強調する。悪い意味でスポットライトを浴びている気分がしてならない。パネル越しに茶の間の視聴者から笑い者にされているみたいだよ。
変な意地や見栄、妙な違和感にこだわって街を彷徨っている姿は、客観的にみれば道化にみえるかもしれない。聞こえない筈の笑い声と見えない筈の僕を指差す人の顔。それらは想像に過ぎないのだけれど、僕を苛立たせた。
馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にして。
こうなると理性的な思考が出来る筈がなく、いつの間にか発動させていたダークネスの魔術でライト魔術を打ち消していた。
辺りに漆黒の闇が訪れる。
空しい。
街灯が消えた方が余計に惨めな気分になるには何故だろう。
無駄に魔術を行使したので余計にお腹が減るし、これではくたびれ損だよ。
僕が日頃、何か悪い行いでもしたとでも言うのだろうか。
◇
――会議再開まで、残り四十五分――
この時間になると食料品店も食堂も閉まっているなぁ。
コンビニやファミレスが当たり前に存在するウーヌスでの生活に慣れ切っている僕にとって、ドォオでの生活は不便でたまらない。ドォオに拉致されてから数か月の経験は、多少の不便さにも適応できるようにはなったけれど、だからと言って愚痴が出ない訳じゃない。以前、ドォオの不便さに耐えかねて真壁さんに愚痴を言ったことがあった。
「麻人は日本を基準に考え過ぎだ。まあ、たしかに東欧・旧ソ連圏よりも不便な環境だとは思うがな。不便さでいえば暗黒大陸の辺りは、ある意味ドォオより酷い地域だろうな」
「分からないでもないですが、ドォオより酷い地域は流石に言い過ぎだと思いますよ。仮にも二十一世紀の社会が十世紀レベルの社会より酷いなんて」
「たしかに言い過ぎたかも知れない。だがなあ、麻人。ドォオの連中は土地に縛る付けられ、全てを運命と受け入れて生きている。それに比べて暗黒大陸の住民はTVやラジオ、最近ではネットを介すことで自分の住んでいる世界が全てではないと知っている。彼等は現状を受け入れられないから、豊かさを求めて命がけで海を渡ってくる。移民云々について俺がどうこう言える立場じゃないが、下手に知る事が良いことなのかは疑問がある。知らないからこそ、人は運命と受け入れられるのだろう。酷い言い草だとは自分でも分かってはいるがな」
「運命と受け入れて生きる、ですか」
「そうだ。ドォオの住民は情報や知識に接する機会が極端に少ない。知らないから自分達の在り様に疑問に持たない。人が運命を切り開いて生きられるようになったのは、精々十九世紀なってからだ。それまでは半ば運命に絶望し、より良い来世や天国とやらを信じてながら虫のように生きて来たのさ」
「エレンの人達からは、そんな印象を受けませんが?」
「この街の連中は特別だ。学園が引き寄せる富が十世紀レベルとは思えない生活水準を可能にしているだけだ。あくまで他の地域が拠出した富の上に成り立つ仮初の繁栄に過ぎない。勿論、魔法士に対する資本の投資が、ある種の資本主義に発展する可能性はなくもない。だが、それは魔法士を社会システムの歯車に組み込む事を意味するだろうな」
「水力、火力、原子力のように、魔法力のような存在が誕生するのですか」
「あくまで俺の想像だがな。大体、魔法士という思想は誕生から百年くらいしか経ていない新しい考え方らしい。最初に言い出したのが来訪者だとまでは言わないが、その考え方を発展させてきたのはエミリオ学長だ。奴が本当に来訪者なら、そのくらいは考えても不思議じゃない。いずれにしてもだ、暗黒大陸の住民は不便さに慣れているから、ドォオに適応しやすいだろうな」
「いずれにしても、て。随分、話が戻りましたよ」
「言うな」
「最近はコンビニが進出している地域があるとテレビで放送していましたよ」
「テレビと現地の実態は違う。あまりマスメディアを信用するな」
ウーヌスにいた頃の真壁さんを知らないけれど、多分所謂先進国だけでなく途上国や第三世界にも仕事で行った事があると思う。こう言っては失礼だけど、適度に不便で適度に衛生的でない環境に慣れているのだ。
真壁さんは逞しくて頼りになる人だし、言いたい事は分かる。けれど、言い負かされるだけというのはやっぱり悔しい。コンビニの代りはないかと尋ねたら、キヨスクや雑貨店が同様の役割を担っているとのこと。扱っている商品は新聞や雑誌からコーラやスニッカーズのような食料品と多岐にわたるらしい。
コーラは兎も角、スニッカーズが世界規模で置いてあるのは正直意外だった。言われてみれば置いてあっても不思議ではないような気がするし、チョコレート製品はどこでも置いているようには思う。それでも身近に存在する商品が全世界どこでも手に入るというのは軽いカルチャーショックを覚えたよ。
後で知ったけれどスニッカーズは自由の国の製品で、サバイバル食や軍用レーションにも用いられるとか。ただし、キヨスクのような売店は夜になるとさっさと店仕舞いするらしい。
「少し話が逸れるが、食料品と並ぶ万国共通の商品と言えば酒が良い例だろう。酒は質を選びさせしなければ世界中どこでも――まあ、宗教上の理由で大ぴらには販売しない地域も存在するが、だからと言ってまったく購入不可能という訳じゃない――例え辺境であろうとも人が存在する地域ならば入手可能だ。それはドォオも例外じゃない。酒場なんてのは夜でも開店している数少ない業種だが、他にも――」
数少ないということは、他にも開店している業種があるということになる。それがなにかを語ろうとして真壁さんは言葉を濁す。その業種がなにかを聞かせたくないというより、僕の口を通してアリアさんに伝わるのを恐れたように僕は感じた。
アリアさんをぞんざいに扱っているようで、あれで結構気を使っているのだ。
「――そして酒には摘まみは欠かせない。つまり、どうしても夜に飯を食いたくなったら、酒場に出掛ければなんとかなるだろうと言いたかったのだ。ただし、俺と一緒ならいざ知らず麻人一人で酒場に入るのは止した方が良い。何も知らない馬鹿な来訪者がやって来たと解釈されるがオチだ」
今までは真壁さんと一緒にいたから絡まれた事はないけれど、ドォオの住民から見たら金目の物をぶら下げた――衣類一つとってもウーヌスの技術はドォオの水準を大きく凌駕している訳で、『現地の衣類と交換してやろう』とか言って騙し取ろうとするのだ――僕等は、自分達の価値を知らない愚か者だと思う。
このまま食事の当てが見つからなかったら、居酒屋のような場所にいくしかないのか。エレンは治安が良い都市だけれど、それでも万が一という事はある。
僕は途方にくれながら空を仰ぎ見る。
夜空には満天の星。
季節は春なのだから春の大三角形が見えるのはウーヌスの話。ドォオの夜空には、ドォオにしか見えない星が存在し、僕の知らない星座が存在する。
ドォオはやはり異世界なのだ。
当たり前の事実を突き付けられて、急に寂しくなってきた。
お腹が空いたよ。
家に帰りたい。
今更寂しさを覚えるなんて可笑しいじゃないかと思うかもしれないし、僕自身そう思う。
そう思うけれど、寂しいものはやはり寂しい。
理性と感情は別のものなのだ。
ドォオに拉致されたあの日に寂しさを感じなかったのは、自分が別世界にいると認識していなかったからだと思う。怪奇現象や事故の類とは捉えていたけれど、そのうち誰かと接触出来て大使館か何かに連絡できるだろうと安易に考えていた。よく言えば前向きに、悪く言えば深刻に捉えなかったのは、治安機関や防災機関等を統括する政府機関に対する信頼感があったからかもしれない。
いや、違う。
言い訳するのは止めよう。
余りといえば余りな惨状を目にして、僕の感情がショートしまったのだ。非常時に感情的行動するのか理性的に行動するのかは個人差があるけれど、僕の場合は後者の傾向が強い人間だったのだと思う。
今頃になってホームシックみたいな感情が湧き出てきたのは、緊張の糸が切れてしまったのかもしれない。エレンはそれなりに治安が良い街なのだ。途切れた緊張感と夜の闇が、自分が一人きりだという事実を思いださせてしまった。
ウーヌスに派遣されてきた上の方であるアリアさんには真壁さんが傍にいて、ガデス王国から他国に派遣されてきたアマデオさんにはソフィアさんという奥さんがいる。
でも、僕には誰もいない。
……誰もいない。
僕は彼等の御厚意に甘えているだけ。
自分は独りぼっちだという感情が抑えきれなくなって涙が出てきた。
流れ出る涙を手で拭いながら空を見ていると、ネオンで輝くビルディングが目に入った。
あれは真壁さんの探偵事務所が入居している真壁ビル。
エレンに存在するどの建造物より高く、どの建造物よりも明るく照らし出されている。
圧倒的なまでの存在感。
それでも真壁ビルに気付く人は極少数しかいない。何故なら真壁ビルは来訪者にしか見えないから。ウーヌスの関係者がここいると示す広告塔でもあり、保護して欲しい同胞に自らの存在を誇示していた。
エレンで真壁ビルの存在に気付いているのは僕とスルガヤさん。あとは、来訪者だと疑われているエミリオ学長くらいかな。他の人は見えないのだから存在に気付きようがない。念のためジュリエッタに話題を振った事があったけれど、彼女も何を言っているのか理解出来ないみたいだった。
どんな理屈かは分からないけれど、上の方であるアリアさんだからこそ可能な技術。最初は幻覚や幻術系の魔術かと思っていたけれど、そういった類の魔術とは根本的に異なっていると知ったのはエレンで魔術を学ぶようになってから。
科学技術が可能とした光学迷彩や、魔術が可能とする幻覚や幻術系とはまったく異なる未知の技術。未知の技術ということは対抗策などない。つまり、アリアさんはその気にさえなれば、だれも僕に気付かないようにすることだって出来る。
真の意味での孤独を作り出せる存在。
理不尽なまでの力の差。
エレンに来たことで、僕はこの事実を嫌という程実感させられていた。
よく同じ屋根の下で暮らせて来たと思う。
上の方と半年以上同居している真壁さんは、どこか狂っているように思えてならない。
不安にならないのだろうか?
怖くないのだろうか?
いや、あの人なら真顔でこういう言うに決まっている。「美人と同居出来る事の、どこが不満なのだ」と。あの人はやはり狂っている。いや、真壁さん流にいえば『ウーヌスの魔術士はすべからず狂っている存在』なのだそうだ。狂っているからこそ平然と同居できるのだろうな。
そんな取りとめもない事を考えながら真壁ビルを見上げながら歩いていたら、僕はいつの間にか学園に入っていた。正確には昼食を食べた食堂付近の小路。普段だったら通り過ぎそうな目立たない小路だったけれど、男女の激しい口論が聞こえたので気になって振り返ったのだと思う。
◇
――会議再開まで、残り四十分――
「グアルティエロ君! 貴方、ユースティアさんになんて事をするのよ!!」
「確かに悪いことをした、それは認めよう。だが、彼女の服を破ったのは彼らが手を離さなかった結果であって、僕に一方的に非がある訳ではない。第一、彼女を手放すことはシンイチ研にとって破滅を意味する。イリーナ。君だって、そのくらいのことは分かっているだろう――」
パシッッ―――――
イリーナと呼ばれる女性がグアルティエロを平手打ちする。
あれは痛い。
一度アリアさんから平手打ちを受けた僕だから分かる。肉体的な痛みもあるけれど、女性から平手打ちを受けるというのは精神的にキツイ。
「イリーナ、貴様なにをする!」
「女の子の服を破いておいて、そんなことしか言えないの? グアルティエロ君、貴方って最低な男ね!!」
パシッッ―――――
再び、イリーナさんの平手打ちがグアルティエロさんを見舞う。怒りにまかせて思いっ切り叩いたのだろう、グアルティエロさんの顔が一瞬歪む。両頬が真っ赤に晴れて痛々しい。
自分が受けた災難を、他人を通して見るというのは、正直なところあまり気分が良いものではない。まあ、あのときは僕に非があるから甘んじて受けたけれど、それでも二度も叩いたのは酷いといまでも思う。
話を聞くかぎりグアルティエロさんに非があり、しかも反省の弁がないのだからイリーナが激高したのは分からないでもないけれど、やり過ぎじゃないかなぁ。
まあ、事情が分からないから、僕にはなんとも言えないのだけれど。
「貴様、女だと思って下手に出ていれば付け上がって」
グアルティエロさんはイリーナさんの胸倉を掴み持ち上げると、そのまま壁に叩きつけた。痛みに立ち上がれない彼女を足蹴りにしようとしたところで、僕はたまらず割って入る。いや、厳密には止めに入ろうと足を踏み出しただけだったりする。
足音に気付いたことでグアルティエロさんが少し冷静になる。これ以上、人目につくのを恐れたのかもしれない。いずれにして、倒れたイリーナさんを蹴り飛ばそうとしていた足を引っこめたのは事実だった。
何故、もっと早く止めに入らないか?
僕だって痛いのは嫌だよ。
「ちっ、邪魔が入ったか。イリーナ、君もシンイチ研を潰したくないだろう。だったら大人しく僕のやることに従っていた方が利口というものだ」
「誰が、これ以上貴方なんかに協力するもんですか」
「シンイチ研を潰すも潰さないも君次第だ。余り時間はないが、よく考える事だ。だが、これだけは覚えておきたまえ、シンイチ研が無くなったとしたら教授はさぞかし悲しむだろうな。ん?」
鼻で笑いながら、僕を一瞥するとグアルティエロさんは立ち去って行った。正直、あまりお近付きになりたくない人だ。関わり合いたくないので、鼻で笑われた事は無視する。
イリーナさんは直ぐには立ち上がれないようなので、手を差し出して起こして上げた。
「御免なさいね、変な事に巻き込んで」
「いえ、僕は何もしていませんよ。ただ、倒れていた人に手を差し出しただけで、何も見聞きしていませんし」
自分が全く無関係であり、害意がないだけでなく、関わりを持ちたくない事を必死にアピールする。面倒事に巻き込まれるのは御免だよ。
イリーナさんは良く見ると口から血を流しているし、壁に叩きつけられたことで体のあちこちを擦り剥いていた。生憎、回復魔法を使えないので処置のしようがないのだけれど。
仕方ないのでポケットに入っていたハンカチを差し出す。これで傷口だけでも拭いてというつもりだったのだけれど、イリーナさんは自分で回復魔法を唱えて直してしまった。他人の手を借りず自己完結的に対応をするのは、実に魔法士と思う。
「貴方は紳士ね、グアルティエロ君とは大違い」
平手打ちを一度受けて手を上げなかった点は評価すべきかもしれないけれど、二度目で女性を投げ飛ばすような人間は控え目にいっても紳士ではないと思う。思うのだけれど、二度目の平手打ちを受けて我慢できる人間がどれだけいるだろうか。まあ、だからといって、投げ飛ばすのは絶対にNGだけれどね。
今思い返してみて、アリアさんから二度目の平手打ちを受けたとき、僕はよく手を上げなかったと思う。
まあ、抗議の声は上げたけれど。
「僕はハンカチを差し出しただけで、回復魔法はかけて上げていませんよ」
「かけなかったのではなくて、かけられなかったのでしょう」
「どうして、そう思うのですか」
「だって、貴方、来訪者でしょ。来訪者はそんなに魔術は巧くないから、回復魔法がかけられなかったとしても不思議じゃないわ」
少し、カチンと来た。
微妙に来訪者を差別しているのが気に入らなかったけれど、いまは敢えて言わないことにしよう。
「あの人と何か、合ったのですか」
「なにか、あったのよ」
「教えてくれないのですね」
「貴方、自分で言ったじゃない。何も見聞いてしないと。余計な事に関わり合いたくないと思ったのなら、その考えを最後まで貫き通した方がいいわよ」
「子供扱いしないで下さい」
「貴方、名前と学年は?」
「葛宮 麻人、四年生です」
「ほら、子供じゃない」
ドォオにおいては概ね十六才で成人になるらしい。
魔法士学校に所属する四年生は十四歳だから、大抵の四年生は未成年ということになる。まあ、この辺は地域差がある様で、例えばアマデオさんは十四歳のときに騎士として叙勲されたときに成人と認められたとか。
クラスの友達でも既に成人と認められている人が何人かいる。彼らの話によると谷から飛び降りて無事だったら成人になったとか、告白して振られたら一人前の男と認識されたとか語っていた。谷から飛び降りるのはバンジージャンプの一種かもしれないけれど、告白して振られたら一人前というのは微妙に違う気がする。
それは連帯感が生まれただけじゃあ。
重要なのは、ウーヌスのように二十歳になったら成人するという明確な規定がドォオには存在しないという点。
その地域、或いは集団のなかで「こいつは一人前の男だ!」と認定されたら成人となるらしい。だから、変な習慣も存在するし、年齢の誤差も生じていると僕は理解している。
このような背景があるので未成年である可能性が高い僕が、子供扱いされるのは致し方ないとは思う。思うけれども、それを納得できるかは別の話。口を尖らせながらイリーナさんに抗議するけれど、彼女は取り合ってくれない。
「人に名前を尋ねたら、自分の名前も教えるものですよ。あなたことを、僕に教えてくれないのですか」
「あら、教えて上げたでしょう。余計な事に関わり合いたくないと思ったのなら、その考えを最後まで貫き通した方がいいと。だから、教えて上げない」
グウゥゥゥゥゥ
さらに抗議の声を上げようとしたところでお腹が鳴り、イリーナさんから笑われた。
緊張感のないお腹め。
「面白い子ね、貴方。食堂はまだ開いているから、夕食がまだなら行ってみるといいわよ」
「……ありがとうございます」
「素直な事は美徳よ、葛宮 麻人君。私は忙しいからもう行くね」
「そんなに忙しいですのか」
「ええ、とっても重要で大切なこと。だけれど、それはもういい。グアルティエロ君みたいな女の子に手を上げるような人がシンイチ研を牛耳ってしまったら、シンイチ教授が守ろうとした理念は失われてしまう。そうなるくらいだったらシンイチ研はなくなった方がいいし、きっとシンイチ教授も許してくれる筈よ」
自分一人で納得すると、僕に事情も説明せずにイリーナさんは去って行ってしまった。
イリーナさんは誤解している。
シンイチ教授の最後の願い。それはアマデオさんに対するものであって、シンイチ研に対するものではなかったという事を僕は知っている。シンイチ教授が自分の研究室に対して何故何も言い残さなかったのか。言い残す必要がないと信頼していたのか、それともそれほど愛着がなかったのか。僕には分からないし、それを語る資格は僕にはない。ないからこそイリーナさんには黙っていた。
残された者には残された者の生活があり、それぞれの事情がある。それが、例え残して行った者の事情や想いを反映されないとしても。
思いがけず遭遇した件は、来訪者が残していた遺産について考えさせられる機会となった。
僕は、果たして何かを残せるのだろうか。
少し想いに浸っていたら、再びお腹が上げた講義の声をあげる。これ以上のデモには耐えきれないので僕は食堂に急ぐことにした。
このときは、そこにユースティさんがいるとは考えもしなかったよ。
――会議再開まで、残り三十分――
夜でも空いている店云々について、御意見、異論がある方がいらっしゃるかと思います。
作者である僕自身、屋台の存在が抜けているなと執筆途中で気付きました。
特にアジア圏では屋台を利用することで、低価格で、腹いっぱいに食べることが出来ます。
が、本作は旅行小説ではなく、またそこまで細かく記述すると際限がなくなるという点から省略する事としました。
暗黒大陸等ににつきましても、簡単にかつ誇張して記述にしていますのは同様の理由です。
あくまで本作中における世界観であり、フィクションです。
実在の世界とは異なる話とご理解頂けますようお願い申し上げます。




