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振り向けば、そこに探偵事務所  作者: 大本営
File No.001 パトロン
10/41

2話、強健な身体に健全な魂 

 『風刺詩集』第10編第356行

 ……強健な身体に健全な魂があるよう願うべきなのだ。

 勇敢な精神を求めよ。死の恐怖を乗り越え、

 天命は自然の祝福の内にあると心得て、

 いかなる苦しみをも耐え忍び、

 立腹を知らず、何も渇望せず、

 そして、ヘラクレスに課せられた12の野蛮な試練を、

 サルダナパール王の贅沢や祝宴や財産より良いと思える精神を。


 私は、あなたたちが自ら得られることを示そう。必ずや

 善い行いによって平穏な人生への道が開けるということを。



 ◇



 現代と異なる異世界に無意識に拉致された者達の救出と実態調査。

 それが探偵を職業とする、『俺』こと『真壁 征志郎』が受けた依頼である。


 異世界に来た人物の総数について依頼人から聞かされてはいないが、相当数の人数が来たことがあるらしく、大多数は3日以内に帰還しているらしい。らしいというのは、俺自身が確認したわけではなく依頼人の情報だからだ。裏が取れていない情報を本来信用したくはないが、他に情報源がないのだから致し方ない。


 現代社会のある世界を仮に第一世界『ウーヌス』、異世界を第二世界『ドォオ』としよう。


 『ウーヌス』と『ドォオ』は隣接するが本来交流は、いや交流以前に移動はほぼ不可能。だが何らかの偶発的事象により世界と世界の境界面が薄くなる事例は存在するため、偶然に境界面に存在した人物が『ウーヌス』、又は『ドォオ』に落下するのは理屈上あり得る。

 境界面に人が存在するなど天目学的確率だが、依頼人によれば近年不自然に増加しているらしい。

 罠にかかるように意図せずに移動させられた人々を、『異世界に無意識に拉致された者達』と依頼人は呼んでいた。深い意味はあるのかもしれないが、今のところ俺の依頼に支障をきたさないので保留としておこう。

 話さないのには理由があり、気が向けば話してくれるかもしれない。


 意図せずに移動させられた以上、移動した瞬間に地上に居るなどという甘い現実は残念ながら存在しない。多くの者達は長くて三十秒間の異世界旅行を体験したのち、地上に叩きつけられ即死する。

 地上ないし落下しても即死しない状況にいた人物のみが、第一関門を突破していく。 

 俺も体験したことがあるから分かることだが、『ドォオ』においては『ウーヌス』と比較して熊のような猛獣、猛禽類は一回り以上大きく、人を恐れることはない。勿論、人にも冒険者という狩る側の存在はいるが、相対的に見れば人は狩る側の存在ではなく狩られる側の存在に過ぎない。ましてや、異世界に移動することによる能力の上昇などという奇跡があるわけがなく、狩る側と勘違いして小躍りした馬鹿者達は何事もなかったように退場していく。

 三日以内に猛獣、猛禽類、或いは魔獣から逃げ延びられるかが、彼らの運命を分ける。


 今回救出した人物シンイチは三日間を生き延びただけでなく、二十年かけてエレンにある学園で教授にまで登りつめていた。

 並大抵でない努力をしてきたのは分かる。

 それ以上に褒めるべきは、二十年を経ても『ウーヌス』に戻る希望を決して失わなかったことだろう。

 執念と言うしかない。

 その分、事務所に入ってきたとき二十年間の貯めていた思いが爆発したのかもしれない。

 二十年かけてようやく手に入れた手がかりに興奮して、俺の話を聞きやしない。

 取り乱して狂乱状態だったが、ある光景を目にしたとき急に騒ぐのを止め呆然となる。シンイチが窓越に目にしたのは夜の貴婦人(エレンの街灯)に照らしだされるエレンの街並みと、朝日に照らされるビルディング街だった。

 自分が居る場所をようやく理解すると泣き崩れた。 


 シンイチは情けや同情を求めていないし、俺もそのつもりは無い。

 俺に出来るのは泣き止むまでその姿を見ないでやることだけだった。


 ようやくシンイチが落ち着いてきたのでソファーに座るように勧め、脇に控えていたマイヤーがブランデーを用意する。

 表面上は落ち着きを取り戻しているが、気付け薬代わりのブランデーは効果的だろう。相変わらず痒いところまで気が利く執事だ。

「何度見ても信じられません。このビルが世界の狭間に位置しているなんて」

 手渡されたグラスを受け取り注がれたブランデーを飲みながら、自分を落ち着けようとしているのが分かる。 

「僕はこれからどうなるのでしょうか」

 切り出せずにいた疑問をシンイチはようやく切り出す。 

「君はそこの扉を開けて出て行くだけでいい。そうすると異世界にいくまで止まったいた時間が動き出す」

 この部屋には幾つも扉があるが、下の階に繋がる扉を指差す。

「そんなに簡単なのですか?」

「ビルディング街が写る窓から飛び降りるよりマシだろう?」

「先ほどでしたら冗談と思わず飛び降りてましたよ」

 冗談を理解できる程度には落ち着いてきたようだな。

「僕はビルの入り口を潜ったのにこの階の廊下にいたのですが、もしかして空間が捻じ曲げているのでしょうか」

 悪くない推測だ。

「特定の条件を満たした者以外は『ウーヌス』側からは入れないし、『ドォオ』側では『異世界に無意識に拉致された者達』以外は、このビルを見るどころか知覚すら出来はしない」

「ですが、高位の魔術師ならば感知は出来ると思いますが」

 断言したことで自分が学んできた魔術を馬鹿にされたと感じたのかもしれない、少し向きになって反論する。

「いや、それはないだろう。そもそも、これを用意した人物は魔術など使用していないのだから、魔術で感知できる訳がない」

「誰です、その人物とは」

 やはり聞くか、仕方ないので人差し指を上に向けた。

 ごく一部の人物だけ分かる符丁なのだが、シンイチには通じるだろうか。

「なるほど『上の方』ですか」


 意外にもシンイチは知っていた。

 『上の方』、名前を読んではいけないその存在は『管理者』と呼ばれる。

 ごく一部の魔術師がその存在を察知しているが、接触できた者はさらに少ない。

 いつからいるのか、目的はなにか、多くは謎に包まれている。

 分かっているのは各世界には『管理者』と呼ばれる存在がいて、世界間の移動の監視していることだけだ。

 恐らくシンイチは『ウーヌス』に戻る手段を調べるうちに、管理者の存在に気付いたのだろう。

 その『管理者』が俺の依頼人だった。


「そういう訳で悪いが細かい理屈には答えられない、だが帰れる事だけは保障する」

「それでは1つだけ質問させてください、僕はこのまま戻ると言う事なのでしょうか。戻れるのは嬉しいですが、この姿では戻っても浦島太郎になってしまいます」

 最もな懸念である。

 もしそうだとしたら説得は困難になるのだが、その点は問題なかった。

「君は『ドォオ』に来る前の時間、つまり二十年前に戻る事ができる。正確には若干の未来にはなるが、それでも二十年前から半年程度時間が進んでいるにすぎない。意識不明の状態で入院している筈だから病室のベットで目覚める筈だ」

 シンイチは俺の言った意味から考えられる可能性を幾つか検討しているようだったが、予め理屈には答えられないと言っていたので質問は無かった。或いは教授にまで上り詰めた人物でも、目まぐるしい運命の変化に頭が付いて行かなかっただけかもしれない。

 どちらにしても特に質問も無かったのは俺にとっては幸いだ。


 『ドォオ』で二十年分老いた体を捨て去り、『ウーヌス』に置いてきた二十年前の若い肉体に戻る。

 このことは精神だけが移動する事を意味しており、『ドォオ』で二十年分老いた体どうなるのかという疑問も発生する。

 俺はこれらの意味と疑問について、多少は知っているが出来れば伝えたくなかった。 


 『ウーヌス』と『ドォオ』で交流がないのは、物理的な移動が出来ず世界間の移動をしているのが精神にのみであるためだ。

 『ウーヌス』から『ドォオ』に移動したとき、『ドォオ』で使用可能な肉体を手に入れていることになる。その肉体は良く出来たもので、『ウーヌス』で使用していたものとポテンシャル的に変わりはない。移動による能力向上という都合良い事態が発生しないのも、ある意味当然なのだろう。


 『強健な身体に健全な魂があるよう願うべきなのだ』とは良く言ったものだ。


 故に脱落した者達は、一部の例外を除いて『ウーヌス』に戻っていた。

 にも関わらず3日間を乗り越えてしまったために、『ドォオ』に取り残されたしまった。


 この事実をシンイチに話すのは余りに残酷な仕打ちではないだろうか?



 ◇



 三十分が経過する。


 シンイチは学園に関する情報と『ウーヌス』出身者ばかりに後援者となる不可思議な人物に関する情報を提供してくれた。

「僕の知り得る情報はこれくらいですよ」

「十分だ。どこに、どれだけ、『異世界に無意識に拉致された者達』がいるか分からなくて苦労しているからな」

 役所で住民票を調べたり、足を使って聞き込みをするのとは訳が違うのだ。

「俺一人で探せと無理な依頼を受けている。酷い話だとは思わないか?」

「ご苦労お察ししますよ。ところで『異世界に無意識に拉致された者達』には、都合がいいことに集団を示す呼び名がありますよ」

「ほう、それは助かる」

「『来訪者』です」

「中々洒落た呼び名だな」

 まあ、とシンイチは困ったように答える。

 察するに蔑称とまではいかないが、名誉な呼び名ではないのだろう。


「俺は帰還する人物の希望を、出来る範囲で一つ叶えてやるようにと依頼人から言われている。極端な話、気に食わなかった奴を殺してくれと言われても拒絶はしにくい」

 シンイチは穏やかな表情で否定すると、気にかけている生徒に対して個人的な指導を頼まれた

「なんだ生徒と教師の淡い恋話か」

「そのようなものではないですよ。第一、その生徒は男性です」

「そういう趣味があったのか、道理で独身の筈だ」

「僕はそのような趣味はないですし、独身だったのはたまたまですよ」

 軽くからかうが穏やかに否定された。

 ルックスも悪くないのだから、その性格なら結婚も出来ただろうに。

 だが妻帯者や子供持ちは救出の対象外なので、今回のケースでは良かったのだろう。


「僕は学者ですから、騎士であるアマデオ君に戦い方が間違っていると言っても説得力が無いのですよ」

 個人的な指導を頼まれた人物は『アマデオ・カティリナー』、学生でありながら現役の騎士とのことだ。現役の騎士が魔術学校――いやエレンは魔法士学校か――に転入させられて、色々悩んでおり、戦い方も雑になってきている、か。

 魔術の講義をしろと言われるよりは遥かにマシな内容だ。

「二十年も不当に異世界に拘束されたいたのに、本当にそのような内容でいいのか」

 向かいの席に座るシンイチから聞かされた内容は、分からない話でもないが無欲だとは思う。 

「正直言うと僕がこの世界、『ドォオ』に存在していたという足跡を残したいのです。不思議ですよ、居心地がよくても家に帰りたいと思っていたのに、いざ帰れるとなると何かを残したいと思うなんて」

「君は教師だ、察するに良い教師だったのだろう。なら十分に足跡を残しているとは思うが、俺個人として好感を持てる話だ」

 生憎教師ではないから俺の流儀でになるがと伝え、軽く実力を披露する。

 シンイチはお手柔らかにとだけ答えた。

 アマデオの実力を比較して満足する実力なのだろう。



 ◇



「後のことはお頼みしますね」

 俺は受け取った辞表を上げて答える。


 下の階に繋がる扉を開けるとシンイチが光に包まれていき、二、三秒程度で光と共にシンイチの姿はなくなっていた。

 後には開けられた扉だけが残り、シンイチは『ウーヌス』に帰って行った。



 立ち上がると開けられた扉を閉め、再びソファーに座る。

 シンイチの情報を有効活用するには、彼と彼女の協力が必要になるだろう。

 一方は乗り気であったが、一方は大反対。

 どう説き伏せたものか。


 何はともあれ一仕事を終えた報酬として、俺は煙草を吸うことにした。

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