第35話 奇跡と告白
スターは椅子から飛び起きた。あまりにも急な動きで、室内全員が驚いた。
「アリアナ……?」声に、震えが混じっていた。
心電図モニターの鼓動が少し早くなる。
まぶたをバタつかせて、アリアナが力なく息をしている――そして、ついに――瞳を開いた。
世界が止まったような瞬間だった。
ぼんやりと天井を見つめてから、ゆっくり横を向く。その視線は、ひとりの人物を追い――そして止まった。
「…スター?」
かすれた声が、彼の胸に突き刺さる。どんな音楽よりも、どんな祝福よりも、それは紛れもなく最も美しい音色だった。
スターは息を飲む。安堵と信じられない想いが交錯する。
「あ… お前… 目を覚ましたんだ」震える声を必死で抑えながら言った。
仲間たちは駆け寄りながらも、そっと距離を保った。――この場面だけは、ふたりに預けておきたかった。
アリアナはゆっくりまばたきを繰り返し、ぼんやりと周囲を認識しようとする。
体の痛みが一気に襲ってくるが、その視線は、心配げに彼女を見つめ続けるスターに吸い寄せられていった。
「…来てくれたんだね」弱々しく紡がれた言葉に、かすかに微笑みが浮かぶ。
スターは声をつまらせた。「当然だよ。お前を見つけるためなら、世界を燃やしてでも探してやる。」
アリアナの目がじんわり潤む。
そこへ、アリアナの父が声をかけた。顔には深い安堵が刻まれている。
「アリアナ…」声が震えていた。
「お父さん…」
彼を見つめて、アリアナは力を込めて言った。「私は…ここにいるよ。」
ジェイクはホッと息をつきながら笑った。「マジ、びっくりしたぞ。無事でよかった。」
ケイドは口元を上げた。「でもさ、タフだな。最初からそうだと信じてたぜ。」
エリックとニアは互いに安堵の視線を交わす。
ルナは涙をぬぐい、震える声で言った。「おかえり、アリアナ…。帰ってきてくれて…本当にありがとう…」
アリアナは改めて周りを見渡し、そして視線をスターに戻した。彼はまだ彼女の手を離さず、真剣に見つめている。
その姿を見た瞬間、身体の痛みよりも胸が締め付けられるようだった。それは――彼女自身の、目を覚ませた理由を教えてくれるほど強い思いだった。
スターがふたたび言葉を紡ぐ。「失いかけたと思ったんだ……お前を。」
アリアナの指が弱々しく、彼の手を握り返した。
「ここにいるよ、スター。あなたが、私を見つけてくれた。」
その瞬間、スターはようやく大きく息を吐いた。
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その時、医師がベッド脇に歩み寄った。白衣を羽織り、モニターを見つめながら、驚きと感動が混じった表情で口を開く。
「これは……奇跡です。」
室内の全員が振り向く。
「奇跡?」アリアナの父が眉を寄せた。「どういう意味です?」
医師は静かに頷いた。
「彼女のような重傷を負い、しかも二日間覚醒しなかったケースは、本当に稀です。回復は絶望的とも言える状態でした――それが、今こうして目を覚ました。医学的にはあり得ないほど、回復力が素晴らしい。」
スターはアリアナの手を強く握り締めた。
医師は視線をスターに向けて続けた。
「科学では説明できませんが……感情が彼女を生かした可能性があります。強い思い、愛情、絆。特に、あなたへの想いが彼女の生命力になっている。」
静寂が訪れる。
――それは、確かな絆の証明だった。
「この先も、そばにいてください。今の状態は脆く、小さな力で折れてしまいます。でも、『その光』はまだ灯っています。あなたがその光を支えてあげてください。」
スターはしっかりと頷いた。
「……ここを離れたりしません。」
医師は安心したように笑みを返した。
「それで大丈夫です。愛情という回復力は、医学以上に強力ですから。」
アリアナの父も緊張がほどけ、ゆっくりと息を吐いた。
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ジェイクがほっと微笑んで言った。「お前、しばらくスターに縛られるぞ、アリアナ。」
ケイドが口元で笑みを浮かべる。「そりゃあ、彼が離れる気ないからな。」
ルナは声を潜めて笑った。「うん。引き剥がすのは、私たちの仕事かも。」
ニアがそっと微笑んだ。
するとエリックがスマホを取り出し、ヘンリーに通話をかけた。
「もしもし、エリックだよ」
—電話の向こうでヘンリーが緊張混じりに尋ねる—
「彼女……大丈夫かな?」
エリックの口元に微かな笑みが浮かぶ。
「うん。大丈夫。今、生きた会話が始まってるよ。」
ヘンリーの声が緩む。「…伝えてくれて、ありがとう」
メイも聞いていた声が伝わり、涙をこらえながらつぶやく。「本当に?」
エリックは続ける。「『生中継だ』って言っておくよ」
そして電話が切れる。
ヘンリーは隣で抱き寄せたメイを見つめ、目に涙を浮かべながら言った。
「アリアナ――勝ったんだ。スターたちと再会できた。僕たちもすぐに戻ろう。」
メイは安心した声で言った。「嬉しい。私たちも一緒にいられるね。赤ちゃんは…みんなと一緒に育つ。」
ヘンリーは微笑み返し、優しく唇を寄せた。
「うん。私たちは家族。」
メイが涙をこぼしながらも、明るい声で続けた。「もう…本当に嬉しい。すぐに行こう!」
優しい春の夜のような幸福が、二人を包み込んでいた。
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病室の空気は静かだった。
心電図モニターの「ピッ、ピッ……」という音だけが、淡く響いていた。
アルィアナは、まだ弱ってはいたが、うっすらと目を開けて、優しくスタ―を見つめた。
「……来てくれて、ありがとう」
そのかすれた声に、スタ―の心が震えた。
彼はその目をしっかりと見つめ返し、静かに言った。
「何があっても、俺は君のそばにいるよ」
それは約束のように、そして誓いのように――確かに、彼の口から紡がれた。
主治医は、その空気を感じ取り、満足げにうなずいた。
「しばらく、皆さんで過ごしてあげてください。愛情は、薬以上に力になります」
そう言って、静かにドアを閉めて出ていった。
スタ―は、アルィアナの手をずっと離さなかった。
彼の指が彼女の手の甲を優しくなぞる。
まるで、夢じゃないかと何度も確かめているように。
でも、彼の目の奥は、未だに曇っていた。
ロジャーの狂気。血にまみれた彼女の姿。痛ましい鎖。
頭の中で、何度も何度も――悪夢のように再生されていた。
「……スタ―」
小さな、けれど確かな声。
彼女の呼びかけに、彼はすぐに顔を上げる。
「ごめん、考え事してた」
「……私は、もう大丈夫だよ」
その言葉に、スタ―は小さく首を振った。
「大丈夫なんかじゃない。アルィアナ……あの時、もう少し遅れてたら……」
言葉が詰まり、彼の喉が震えた。
でも彼女は、かすかな笑みを浮かべて囁いた。
「でも……間に合った」
その一言で、彼の胸が締めつけられた。
周囲の仲間たちは、静かに見守っていた。
カイドは両手を軽く叩き、明るく言った。
「よーし!泣くのはそこまで!アルィアナが目を覚ました、それだけで十分だろ?」
ルナも涙ぐみながら笑顔を見せた。
「うん、彼女は本当に頑張ったよ。もう、安心していい」
ジェイクは肩をすくめて笑った。
「てかさ、やっぱスターが化け物だったよな。あのガードたち、まるで催眠術にかかったみたいにやられてた」
そのとき、ずっと黙っていたアルィアナの父がつぶやいた。
「……あれが、本当にあの少年だったのか?」
彼の声には、畏怖と驚きが混じっていた。
スタ―は少しだけ表情を曇らせた。
ロジャーを追い詰めた時――あの時の黒魔法は、今までと違っていた。
もっと深く、もっと激しく、もっと……制御が利かなくなっていた。
彼の手をそっと握る感覚。
アルィアナが、かすかな力でスタ―の手を包み込んでいた。
「……スター」
また彼女の声が響く。小さく、でも確かに。
彼はすぐに、彼女の瞳を見た。
その瞳の中には、不思議な安らぎがあった。
「……私を、助けてくれてありがとう」
もう、何も言えなかった。
ただ――
「……君を失いたくなかったんだ」
それが彼の本音だった。
沈黙が、優しく2人を包む。
――まるで世界に、2人だけが残されたように。
「……少し、2人にしてあげよう」
ニアがぽつりと呟いた。
カイドが気付いて、うなずく。
「そだな。俺らも、腹減ったし。食堂行ってくるか」
ルナは明るく笑って言った。
「今回の料理、少しはマシだといいけどね」
ジェイクが肩をすくめてついていく。
「前はひどかったからな……期待はしてないけど」
アルィアナの父も、少し迷ったようにしてから、最後に言葉を残した。
「……頼む。娘を、よろしく頼む」
スタ―は、迷わず答えた。
「……必ず」
その一言に、父親は深くうなずき、部屋を出ていった。
そして、病室には再び静寂が戻る。
そこに残ったのは、スタ―とアルィアナ――ただ2人きりだった。
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沈黙が部屋を満たしていた。
けれど、それは重苦しいものではなかった。
まるで、お互いが何かを言うべきだと感じていながらも、言葉を探しているような――そんな空気だった。
アルィアナの指先が、そっとスタ―の手の上をなぞった。
「……本当に、もうダメかと思ってた」
その一言に、スタ―の胸が締めつけられる。
「そんなこと、言わないでくれ」
彼は静かに囁いた。「君は今ここにいる」
アルィアナはまっすぐに彼を見つめた。
その瞳は、弱っていながらも、確かな光を宿していた。
「……あなたが来てくれたから」
その瞬間、2人の視線が絡み合った。
もう逃げる理由なんて、どこにもなかった。
「……スタ―」アルィアナはそっと名前を呼ぶ。「ずっと前から……あなたのこと、気になってたのかもしれない」
スタ―の心臓が跳ねた。
ドクン、と自分でもはっきりと分かるくらいに。
何かを言おうとして、口を開いた。
けれど、どんな言葉がこの想いを伝えられるだろう?
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心の中では、何百回も考えたことだった。
どう言えばいいのか。
何を伝えれば、この何年も抱え続けた気持ちを伝えられるのか。
でも、何も言葉にならなかった。
ただ、彼女を守りたかった。
そばにいたかった。
……それだけなのに、それすらもずっと言えずにいた。
「……スタ―?」
再び、彼女が優しく声をかけた。
その声に背中を押されて、彼はようやく唇を動かす。
「……俺も、君のこと、ずっと想ってた」
かすれるような声だった。
「何年も前から……でも、どうすればいいのか分からなかったんだ。
気持ちを伝えていいのかも……分からなかった」
アルィアナの目に、涙が浮かんだ。
だがそれは、悲しみではなく――
「……そうだったんだ」
彼の言葉が信じられないように、でも嬉しそうに微笑む。
スタ―は小さく笑った。
「ずっと心にしまってた。……君の人生は、いろんなものに振り回されてて。
俺なんかが、気持ちを伝える資格なんて、ないと思ってた」
「でも……それは私の人生。誰のものでもない。ロジャーでも、親でもなくて、私のものなの」
その言葉には、力があった。
弱っているはずのアルィアナが、確かな意志をもってそう言った。
「……そして、あなたは……ずっとその中にいた」
スタ―は言葉を失った。
胸がいっぱいで、息が詰まりそうだった。
「……アルィアナ」
彼女の手が、震えるように頬へ触れた。
「逃げてたのかもしれない、自分の気持ちから。でも、本当は……あなたのところへ向かってたんだと思う」
魔力が、かすかに彼の周囲で揺れた。
それは怒りでも闇でもない。
ただ、溢れる感情――温かい衝動。
スタ―はそっと彼女の額に、自分の額を重ねた。
「もう……逃げない」
アルィアナは目を閉じて、小さく答えた。
「だったら、逃げなくていい」
静かな時間が流れた。
互いの気持ちが、ようやく重なり合った――そんな一瞬だった。
けれど――
「おーい、そろそろいいかなー?」
突然ドアが開いて、カイドの声が響く。
「ってか告白済んだ? この部屋の空気、こっちまで伝わってたぞ」
ジェイクの笑い声が続いた。
「いやマジで、スターの魔法バリアより空気重かったよな」
ルナがジェイクを肘でつつく。
「ちょっと、空気読みなさいって」
ニアは静かに笑っていた。
その目には、優しい光が宿っていた。
そして――
アルィアナの父親が、一歩だけ前に出る。
スタ―と視線が合った。
そこにもう、かつての警戒心はなかった。
「……任せるぞ」
彼はそれだけを言った。
けれど、その一言には、すべてが込められていた。
スタ―は深くうなずいた。
「必ず、守ります」
もう、迷いはなかった。
そして――
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10日後。
ようやく、アルィアナは退院の日を迎えた。
辛い日々だった。体も心も、深く傷ついていた。
でも、支えてくれる人たちがいた。
父親、仲間たち――そして何より、スタ―。
病院の玄関口で、新鮮な外の空気を吸い込んだアルィアナは、柔らかく微笑んだ。
彼女の隣には、当然のようにスタ―がいた。
彼はいつもの鋭い気配を抑え、優しい雰囲気を漂わせていた。
仲間たちが出迎える。
カイドが両手を広げて言った。
「よっしゃー! ようやく退院かー。ちょっと心配になってたぞ、アルィアナ」
「ええ、ベッドの上で苦しむのって最高よね」
アルィアナが冗談めかして答える。
ジェイクがにやりと笑う。
「でもさ、あの誘拐事件も、結果的に良かったんじゃね?」
「ジェイク……」ルナが睨む。
「いやいや、だって見てみろよ、あの2人。恋人オーラ全開だろ?」
スタ―が呆れた顔で答える。
「今言うか、それ?」
エリックが眼鏡を直しながらつぶやいた。
「まぁ……極限状態って、感情を揺さぶりますからね。理にかなってます」
ニアが笑顔で頷いた。
「運命って、案外そういうものかも」
アルィアナの父も、肩をすくめながらも微笑んだ。
「まさかあの連中が、2人を結びつける役になるとはな……皮肉なもんだ」
「次はもう少しマシな運命を期待したいわ」
アルィアナが苦笑する。
スタ―は、彼女を見つめながら、静かに言った。
「もう、逃げない。俺たちは」
その言葉に、アルィアナは微笑み、彼の手を取る。
「私も……もう、逃げない」
「おーっ!」
カイドが歓声をあげた。
「ついにきたな、この瞬間!」
「俺の言った通りだっただろ?」
ジェイクがルナを小突く。
「自惚れないで」ルナが即座に返した。
父親は静かにうなずいた。
「……アルィアナが無事で、何よりだ。そして――スタ―」
「……任せてください」
その答えに、父は深く頷いた。
そして皆で、病院をあとにした。
繋いだ手は、もう離れることはなかった。
それは、ようやく始まった2人の物語の、第一歩だった。




