第80話 伯爵家令嬢の帰郷
鉱山の近くまで行けば、街道沿いには放棄された採掘や加工用の施設、備品の名残、残骸が転がっていた。
当時のフォネット伯爵家が発見したのは金属鉱石ではなく、貴石類の鉱脈であった。開発に伴ってかつては賑わい、潤った領内ではあったが……今はその残滓が街道沿いに見られるばかりだ。
貴石――つまりは宝石を産出するからこそ、地脈の力も強く竜が縄張りにしたとも言える。宝を貯め込む性質もあり、鉱脈や地脈に満ちる魔力自体が竜にとっては価値あるものなのだろう。
そんなかつての賑わいの名残を眺めつつ、クレア達は危険地帯とされている場所を抜ける。竜の縄張り近くから離脱し、山々の裾野を降りて平野部に入った。
採掘が滞ってから平野部には畑が広がっているものの、これらは竜が占拠した後になって開拓された部分も多い。
耕作地としてはもっと適した土地があるために、王国の穀倉地帯とは質として比べるべくもない。
それでも今もフォネット伯爵領で暮らす領民達の生活を支えているものであるというのは間違いない。
暮らしぶりは豊かではないし地味ではあるが、それでも領主が融通を利かせ、それを慕う領民達が助け合って暮らしている。現在のフォネット伯爵領はそんな土地であった。
セレーナから領地についてあれこれと説明を受けながら、クレア達は夕暮れのフォネット伯爵領を行く。
「一度は栄えて人が離れて……今のフォネット伯爵領は寂れた田舎と言ってしまえばそうですわね。けれどまあ……暮らしている人達は優しい人達が多くて、私は好きですわ」
「良い故郷なのですね」
「そうですわね。暮らしぶりが良いとは言えませんので、だからこそ領民達には楽をさせてあげたいのですが」
そう言ってセレーナは行く手にある領都を眺める。
田舎という括りで語るよりも外壁が大きく立派なのは、かつての繁栄の名残ではある。そうした設備を維持したり修繕したりするのも大変ではあるのだが、領民達を守るためでもあるのだろう。きちんと整備はされているのが窺えた。
クレア達は領都から程々の距離で箒から降りて隠蔽結界や小人化等の魔法を解くと、そのまま門へと向かった。
門番は初老の男であったが――近付いてくるクレア達に気付くと視線を向けて、一瞬不思議そうな顔をした後で、すぐに明るい表情になる。
「おお、これは……!」
「ロブ。南方に用事があって帰って来ましたわ」
「こんばんは」
クレアと共に、グライフも一歩引いた位置から一礼する。スピカとエルムもそれに続いて、ロブと呼ばれた門番は目を何度か瞬かせた。
「この方達は姉弟子のクレア様と、冒険者仲間のグライフ様。それから従魔のスピカとエルムですわね。私の事情については二人とも知っていますわ」
セレーナが説明すると、ロブの警戒感も一段下がったのか、柔和な表情を見せる。
「おお……! そうでしたか。遠路はるばるよく来てくださいました。お嬢様のお帰りも皆喜びますよ」
「ふふ。では、通っても大丈夫ですか?」
「勿論です」
門を開けてもらい、領都内部へと入る。
内部もそれほど賑わっているわけではないが、セレーナの姿を認めると領民達は皆笑顔で声をかけ、帰って来たことに喜びの声を送る。
「セレーナお嬢様……! お帰りになられたんですね!」
「セレーナさまー!」
「ええ。修行の合間ではありますが、ただいま戻りましたわ」
セレーナは領民達から慕われてるのだろう。子供達が通りの向こうから走ってきたりと、少し歩くごとに帰りを喜ぶ領民達や兵士達と挨拶を交わす。
セレーナが普段領地におらず、次にいつ挨拶ができるか分からない。
そうやって笑ってセレーナが対応する光景は、クレア達の目にも領主一家が慕われているというのが窺えるものであった。セレーナもまた、領民達を思っているというのが伝わってくる。クレア達もそんなセレーナと領民達の様子に表情を綻ばせつつ、軽い自己紹介しながらもフォネット伯爵家を目指して通りを進む。
「セレーナ!」
遠くから声がかけられた。領民に先導されるような形で男女が遠くからやってくる。
セレーナに髪や瞳の色がよく似た青年と女性。その後ろに落ち着いた柔和な雰囲気の男性が続く。セレーナの家族だろうとクレア達が一目で理解できるぐらいには雰囲気が似ている。お互いに少し小走りに駆けていく。
「お兄様! お父様達も!」
「セレーナ、元気そうで何よりだ」
「お帰り、セレーナ」
「セレーナさんが帰って来たと聞いて迎えに来ました」
セレーナを迎え、兄と父、母がそれぞれに言って再会を喜び合う。
クレア達も少し遅れる形で歩みを進めると、父――フォネット伯爵が尋ねる。
「セレーナ。この方達は……」
「はい。私の姉弟子のクレア様と、冒険者仲間のグライフ様。それからクレア様の従魔であるスピカとエルムですわ」
「初めまして、クレアと申します」
「グライフと申します」
揃って一礼するクレアとグライフ。スピカとエルムも合わせるようにお辞儀をする。
「そうですか……。手紙でも多少の事は聞かされていますが、娘が大変世話になっているようですな。遠路遥々よく来て下さいました」
「当家にとっては賓客ですね。滞在中は是非当家に逗留して行って下さいな」
フォネット伯爵達は、それぞれに名を名乗る。セレーナの父親、フォネット伯爵がマーカス。伯爵夫人がパメラ。嫡男がカールだ。
「よろしくお願いいたします」
クレア達はそのまま屋敷に通される。
「手紙には書きませんでしたが、私達の事情も話しておりますわ。クレア様と知り合い、良い方に師事することができて魔法を学ぶ事もできています」
「そうか……。魔法を教えて下さっている方は高名な人物と聞いてはいたが」
マーカスは自嘲するように苦笑する。
娘であるセレーナには、不幸になるような縁談から逃がす形になったものの、領地のことは気にしないようにと伝えていた。
伝えてはいたが……セレーナは構わず、自身が領地を出る前に言った通り――いや、それ以上の仕送りをしてきたのだ。領主としても父としても情けない事ではあるが、感謝もしていた。トーランド辺境伯領では自分達が想像する以上に幸運に恵まれたのだろう。
セレーナは魔法を学んで領地のために役立てたいとも言っていたが、魔法絡みのセレーナの自作品も送られてきている。例えば結界維持の札であるとか水質を浄化するための札、怪我を治療するためのポーションの類もだ。それらに加えて領民の暮らしぶりを支えるための薬草や魔物の素材といった品々。
領地経営という面では既に相当助けられているのである。だから、師に引き合わせてくれたのが姉弟子であるクレアだというのならば、フォネット伯爵領にとっては間違くなく恩人であった。
マーカスはクレア達をまず貴賓室に案内し、それから談話室へと通した。あまり派手な歓待ができる程裕福なわけではないが、それでも今のフォネット伯爵家に可能な最大限の対応をといったところだ。
そこで、セレーナ当人やクレア達を交えて、手紙には書かなかった部分についての話をする。
「――そうして、ロナ様に引き合わせて頂き、魔法の修行をすることとなったのです。視力の良さが固有魔法由来であると知り……何故魔法を普通の方法で身に着ける事が出来なかったのかも知りました」
今では普通の魔法もある程度使えるのだと、セレーナは指先に小さな炎を灯して見せて、マーカス達に固有魔法の使い手であること共々驚かれていた。
セレーナの得手不得手は依然としてあるものの、ある程度はもう魔法を使えるようになっているし、領地を守るためのタリスマンを作ったりと、既にかなりのことができるようになっているのであった。




