心のままに
「弓矢隊、凄かったわ」
千景は風呂から出てまだ半乾きの髪をタオルで拭いていた。
それは剣の戦いとは違い、とにかく自分の命と引き換えに一人は倒す、という壮絶なものだった。
矢を番えている内に、敵の矢に射られてしまう。
敵が壁に梯子を掛けて登り始めた頃から、弓矢を捨て剣に持ち替える。
ここでの戦いも壮絶だった。
「来るぞっ! 迎え討てえ‼︎」
スローの怒号が響く。
実は弓矢部隊が自分の仕事を終えた後には、馬で中央の戦場に駆けつける手はずであったが、火の壁を逃れた少なくない数の兵士の相手で、それどころではなくなってしまった。
スローの判断で、弓矢部隊がその取りこぼしの敵と相まみえることとなり、ここでも剣の交じる甲高い金属音が鳴り響いた。
「城の方へ向かったぞ‼︎ 追いかけろ‼︎」
城の入り口にも兵が配置され、シャイル王を守っている。
駆けつけたスローの目に飛び込んできたのは、その兵たちの前に色の違う甲冑を着た男が立っていた。
「王陛下っ‼︎」
スローは一瞬目を疑った。
王自ら戦闘に加わるなどと、前代未聞だ。
本来なら、城の奥深くにある隠された部屋で待機しているはずなのに。
けれど、シャイル王は剣を抜いて、こちらに歩いてくる。そして、敵兵を見つけては切り掛かっていった。
後から来た弓矢隊の面々に、スローが声を上げる。
「陛下をお守りするぞぉ‼︎ 我らの王を‼︎」
士気は一気に上がり、そして半刻後には城内にいる敵兵の殲滅に成功した。
刺客など、城内の建物に紛れ込んでいることも鑑みて、王を城の中へと誘導する。
そして、残り少なくなった弓矢部隊の士気が下がらぬうちにと、即座に馬に乗り込んだスローが声を上げた。
「弓矢部隊はこれからあの戦場で戦う強者どもに加わる。怪我をした者、足の震える者はここで休んでおれ‼︎ だが、王のあのお姿を見たかあっ‼︎」
兵たちは無言でスローを見上げている。
「我が王のように、我らの国を自らの剣で守り通すという信念を持つ者は、俺とともに来い‼︎ 俺についてくるものはあるかっ‼︎」
兵たちがおおっと口々に叫んで、馬へと乗り込む。
「行くぞおっ‼︎」
スローが西門を目指す。その後を追うようにして、兵たちが駆けて行った。
「勇猛果敢とはまさにこの事ね」
すると、後ろで小さな声がした。
「ゆうもうかかんって?」
振り返ると、寝にいったはずの凛がドアを半分だけ開けて立っている。
「勇ましいことよ。勇気があるっていうか、そんなような意味であってると思うけどなあ。ちょっと自信が無いわ。辞書で調べよっか」
改めて聞かれると、実は曖昧に解釈していたなと、それなのに間違い無いというように自信満々で使ってしまった事に、少し後悔する。
「明日、調べるね」
凛がそう言うのを聞くと、最近買った辞書を思い出す。凛が直ぐに調べられるようにと、本棚の隅に立て掛けてある。辞書の引き方も教えてあげた。
「眠れない?」
千景の問い掛けに、凛がこくっと頷く。
「じゃあ、一緒に寝ようか」
凛が泣きそうな顔で頷くと、千景も立ち上がり、髪がまだ濡れたままだったが、新しいタオルであてがって、二階へと上っていった。
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この凛の悲しげな顔は、今まさに、雪だるまの城が戦火に見舞われているからであろうか。
戦争が始まった日から、凛に風呂で潜らないよう、千景は言い聞かせていた。
あの血生臭い凄惨な世界は、凛が見るべき世界ではない。
けれど、そういう世界があることを、凛はもう知ってしまった。
テレビのニュースで流される、現代の戦い。
隣国で起こる自爆テロの映像に、「これも、せんそう?」と、問うてくる。
千景は溜息を吐きながら、これもある意味、戦争だね、と答える。
凛にはもっと綺麗な世界を見せてあげたいのにと、素直に思う。
お城の王とお菓子作りの女性の恋の物語的な話で留めたかった。
この歳で読む本などは、図書館の幼児書コーナーの並びを見ても分かるように、その類の平和な内容の物が多いだろうし、親もそういった本を選ぶべきだと思っている。
雪だるまの城の世界は、その範疇を大幅に超えてしまっているのだ。
「戦争が終わるまでは、なるべく見ないようにね」
そう念押しもしたし、一緒に風呂に入って凛の気をそらしたりしているうちに、一週間が過ぎた。
その頃になると、前回と同じようにやはりその戦果が気になり始めてくる。
そして、千景は戦争が終わったかどうかの確認のためにも、湯の中へと潜っていった。
一週間潜ってない間に、見えなくなったりしていないだろうか。
けれど、そんな千景の懸念もよそに、やはり相変わらず、その広大な世界は湯の中に存在し、千景を誘うのだった。
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「レイ、シン‼︎ 良くやったぞっ‼︎ お前たちの活躍で、国を守り切ることが出来た‼︎」
シャイル王が前へと進み出でて、膝を折る。そして、レイとシンの手を固く握った。
「陛下、ご無事で何よりです」
男泣きとは、このような様子を表現したものだろう。レイが顔をぐしゃぐしゃにして、肩を震わせながら、涙をただただ流し続けている。その隣で、シンが冷ややかな表情を作ろうとして失敗している。
戦場は酷い有様であった。千景は、凛を連れて来なくて良かった、と心から思う。
城内に詰めた兵士たちも、身体のそこかしこに怪我を負い、手当を受けている。
その手当を施している女性たちの中に、アイリの姿もあった。
戦争が終わり、隠れ家から出てきたのだろう、負傷兵の間を忙しなく動き回っている。
気丈な女性だ、千景はそう思い、心で大きく息を吐いた。
自分なら、もうとっくに気が触れているかもしれない。
こんな戦争が身近過ぎる世界では、到底生きられない。
そう思い耽っていると、今度はユアンが大声を出した。
「陛下、直ぐにお言葉を‼︎ 国中の民が待ちわびております‼︎」
「分かった、直ぐに参ろう」
王が部屋から出て行った後を、ユアンの他、猛将たちが連なっていく。
そして、城の大広場の踊り場へと立つと、皆に向けてゆっくりと握った拳を挙げた。
どっと歓声が上がる。
兵たちに混じり、国民もちらほらとその姿を見せていた。
皆がシャイル王の一挙手一投足に注目している。
この若き国王は、突き上げた拳を再度、上へと掲げる空へ向かってその手を広げた。
そして、そのまま後ろへと倒れていった。
千景は驚きのあまり、あっと声を上げた。
口の中へと、温い湯がどっと入り込む。
口を塞いで、手で押さえると、顔を上げて覚醒した。
「王さまがっ」
驚きとショックの気持ちとが、ない交ぜになって襲ってくる。
千景が見たものは、スローモーションのようにゆっくりと後ろへと倒れていく王の姿と、そしてそれを受け止めようとするレイやシンの姿であった。
後ろをそっと付いてきていたアイリの悲鳴が、耳へと届いた。
千景は再度、湯に潜ろうとした。
息継ぎをして、顔を滑り込ます。
けれど、そこにはいつも見ている自分の足先しか見えなかった。
知らずに力を入れたのか、足の指がぐっと握り込まれている。
再び顔を上げると、タイマーを見る。タイマーはカウントしていなかった。
そして、数字が……
音もなく、最初からそこには何も無かったように、無機質なその姿を消していった。
時が止まったような静けさに、次第に音が戻ってくる。
水道の蛇口から、ぽたりぽたりと水が垂れる音が。
凛が見ているテレビからは笑い声が。
裏の家の子どもの、母親に駄々をこねる声が。
ガガッとエンジンをスタートさせて走り去る、宅配便の車の音が。
それでも、千景は放心したままだった。長い間、息をするのも忘れて、もうすでに冷めてしまって体温と同じくらいであろう湯の中に、ずっと浸かっていた。
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「王さまとお菓子のおねえさん、結婚したよ。良かったあ」
凛が小鼻を膨らませて、興奮した様子で風呂から出てきた。
「そうなの、良かったね」
心からそう思う。けれど、それが本当の話なのかはもう今となっては確認の仕様がない。
あれから、キッチンタイマーに新しい電池を入れて再度潜ってみたけれど、湯の中の世界に足を踏み入れることが出来なくなってしまった。
それから一ヶ月の時間が過ぎ、アルス国、シャイル王、アイリ、軍師リン、最初から全てが夢のようであった千景の記憶は、それ以上に曖昧になり薄らぼんやりとしてきてしまった。
あんなにも心を震わせ、それと同時に心を寄せてきたというのに。
凛の話はまだ続いているから、あの新しい電池のキッチンタイマーが凛には有効なのかもしれない。
ここでタイマーを使う前から、凛の話は始まってたという事実にも気付き、タイマーが無関係であることも、認めた。
けれどあの、シャイル王の倒れゆく様。
まるでそれが何故かスローモーションのように見え、千景の脳裏に焼きついて離れない。
大丈夫なのだろうか、王は無事なのだろうか。
そんな風にして気を揉んだりしていたけれど、もう自分には見えないのだから仕方がないと自分を納得させる。
凛にも聞いたりしたが、凛の話によると戦争は一旦は終わり、王は今では政務で忙しい日常を送っているとのこと。
自分が最後に見た王が倒れゆく場面の印象とは正反対の凛の話ぶりに、ちょっとした猜疑心が湧き出てきて、理解の邪魔をする。
そうなるともう、凛が見た話と、千景自身が見た世界とが、まるで別のものに思えて仕方が無かった。
そして、この荒唐無稽な話は、勿論のこと克幸には受け入れられなかった。
「凛の作り話に引っ張られてるだけじゃねえ?」
克幸にそう言われてしまうと、そんな気もしてくるのが不思議だと、千景は思う。
「自由って言葉の意味を、凛に聞かれたことある?」
けれど、そんな今となっては曖昧なあの世界から、大切で確かなものを貰ったような気がしてならない。
それはもう、千景の中に存在していた。ここにあるという、確信と同時に。
「ああ、何か言ってたなあ。自由ねえ、人の頭ん中は、フリーダムだぜって、格好つけて言った気がする」
頭を掻きながら、あははと軽く笑いながら鼻歌を歌う。
それがあの、「考えない」にどう繋がったかは良く分からないけれど、とにかくそれを凛は凛のものに、私は私のものにしたんだからと思い、克幸のノリの軽さも相まって、千景は満足げに笑った。
そして、少しの期間を置いてから、凛がこう言った。
「ぐんしさん、交代だってえ。次はタイヨウっていう人だってえ」
その言葉を聞いた千景は、何とか声を絞り出して言った。
「隣の太陽くんと同じ名前だね」
「うん、いっしょ」
不思議に思う。
そこにはどんな基準があって、あの世界に選ばれるのだろう。
千景は自分がどうして、もしくはどうやって湯の中の庭園に関わり合いを持てたのか、どうしてその世界を見守ることが出来たのか、未だにその理由が思い当たらないでいる。
けれど、湯の中には確かに何かが存在しており、そして誰れか彼かを誘うのだ。
少しの間がある。それから凛が右手を上げて、「凛ねえ、小学校行くう」と、言った。
おや、と千景は思い、問う。
「どうしたの、気持ちが変わったの?」
「ううん、変わってないけど、小学校に行って、みんなといっぱいお話しするの。いっぱい考えるの」
「じゃあ、ランドセル買いに行かなきゃね」
「ランドセルはいらないっ。たくさん、入りすぎてしまうからっ」
千景はぷっと吹き出すと、
「じゃあ、ランドセルじゃないランドセルを買いに行こうね」
凛の、凛らしいカバンを買おう。
千景はそう心に決めると、凛を優しく抱き締めた。
腕の中でもぞもぞしながら凛が言う。
「その中にねえ、お弁当入れていくっ!」
凛は満足したように、にこっと笑うと、千景の腕からするっと抜け出して、部屋中を駆け回り始めた。
「小学校は、給食よ」
そして千景もまた、笑顔を浮かべた。それは心から満足した、笑顔だった。




