第8話 英雄への処方箋
【蘭】
「医者としては数日経過観察させてほしかったけれど」
「蓮は狙われてますからね。アイコーポで保護します」
「学校もしばらく休校でしょうし、お世話になります」
翔と蓮くんは軽くお辞儀をして、クリニックを出ていった。他の子たちも、明日のやることが山積みだということで話し合いが終わった段階で帰っていった。……虎以外は。
虎は処置室のお気に入りのソファで横たわっている。だらけている姿を見ていると、この子は十代のころから全く変わっていないなと思い、つい笑い声が出てしまった。
「んだよ」
「虎は変わらないわね」
「……当直明けでレスキュー手伝わされて、くたくただ」
「今日は泊っていく?」
「ん……」
虎はソファに置いてあったR-METの制服を床に落とし、そのままソファで目を閉じてしまった。相当ハードな一日だったのね。
私は床に置かれた制服に挟まれている名札を見る。『千歳 虎』……千歳は私の苗字。十年前の騒動が終わった後、虎が医学部を目指すと言ってきたから正式に養子として迎え入れた時に私から虎へ贈ったプレゼントみたいなものだ。
野生動物みたいな子が今となっては人を治す仕事に就き、レスキューにまで携わっているというのだから私は誇らしく思う。
「頑張ったわね」
眠ってしまった虎の髪を、そっと撫でる。十年前は、こんなふうに穏やかな寝顔を見せることなんてなかった。いつも誰かを睨みつけて、メスを投げつけて。何かに怯えるように牙を剥いていた子だった。それが今では、人を救う側にいる。
「……立派になったわねぇ」
聞こえているはずもない言葉を、眠る虎にそっと落とす。今日はもう、ゆっくりお休みなさい。明日もきっと、この子は誰かを助けに行くのだろうから。虎を起こさないように、そっとタオルケットをかけてあげる。
クリニックの入り口の扉が静かに開く音が聞こえる。……この時間に訪問してくるのは一人しかいない。私は入り口で患者を迎え、声をかける。
「診察かしら?」
「……はい」
「虎が寝ているの。今日の診察はクリニックじゃなくてどこかのお店の個室で行いましょうか」
「今日はなかなかハードでしたからね。虎、すごい頑張ってくれてたんです」
「ふふふ。自慢の息子だもの。鼻高々な気分だわ」
患者の名前は――、小鳥遊天。英雄と呼ばれているレスキュー隊員だ。内緒のお話をするため私たちは夜の繁華街へと歩みを進めた。
……クリニックを出る直前、ソファで寝ている虎を見る。目は閉じているようだった。
クリニック近くの私がよく利用している会員制のBARに来た。個室があり、個人情報が漏れないよう防音も完璧のため各界の要人が好んで来ている。
「さ。天くんは忙しい身だものね。手短に終わらせましょう」
「……眠れないのが、一番辛いですね」
天くんはソフトドリンクを注文し、私は赤ワインを注文する。
天くんの不眠は災害が多発する前から相談を受けていたから、かれこれ半年以上続いている。
「悪夢、かしら?」
「……助けられなかった人が出て来るんです。この前は、黒焦げになった焼死体がお前も同じ目に遭え……って」
「……天くん。繰り返しになるけど、PTSDよ。あなたは心の病気なの。私は外科医。餅は餅屋と言うわ。一度ちゃんとした精神科に行きなさい。紹介状は書いてあげるから」
世間から英雄と囃し立てられている天くん。半年前から増えた中大規模災害に加え小規模災害も相まって、ほぼ毎日のように救助活動を行っている。ニュースを見る限りでは凄惨な現場も多く、死傷者もかなりの数のようだった。
『お父さんのように、誰かを守れるような人間になるためにレスキュー隊を目指しました』
……何かのインタビューで天くんはそう言っていた。確かに、天くんはたくさんの人を救っている。けれど、それと同時に守れなかった命も数多く見てきている。
注文していた赤ワインとソフトドリンクが給仕ロボットの手によって運ばれてきた。目の前にドリンクを置いてくれる。
「英雄が精神科って……格好がつかないじゃないですか」
「格好も何も。あなたは英雄以前に“小鳥遊天”でしょう。具合が悪くなったら休む。病気になったら病院に行く。当然のことをするだけじゃない」
天くんは困ったように笑い、黙り込んでしまった。
「……はぁ。それより、天くん」
「はい?」
私はテーブルに肘をつき、手を組む。そして身を少し乗り出し、天くんを真っ直ぐ見つめる。
「最近、診察に来るペースが増えてるわね」
「そうですか?」
「ええ。前はこんなに頻繁じゃなかったでしょう?」
天くんの目が泳ぐ。嘘をつけないのは……昔から同じね。
「お薬、ちゃんと飲めている?」
「…………」
「……天?」
「……飲んでますよ」
「質問を変えるわ。多く飲んだりしていないわよね?」
天くんは石のように固まってしまった。目の下の隈。身体は鍛えているからがっちりとしているけれど顔が明らかに痩せ細ってきている。そして……一番の懸念点が、診察の度に状態が悪化していっているということだ。
「……天くん。私はね、あなたを責めているんじゃないの」
「分かっています」
「だったら、正直に話してちょうだい」
天くんは俯いたまま、何も答えない。
「薬を飲む回数が増えている?」
「……」
「一度に飲む量が増えている?」
「……」
「それとも……両方?」
天くんの指が、膝の上で小さく動いた。その反応だけで十分だった。私は小さく息を吐く。
長い沈黙。BGMとして流れているジャズだけが聞こえる。英雄と呼ばれている青年のあまりにも痛々しい姿に、私は唇を嚙みしめる。
天くんは俯いたまま、ぽつりと呟いた。
「……眠れないんです。眠ると、夢を見るから。だから……起きていればいいって思った。でも、起きていると身体がもたない」
「だから薬で眠ろうとしたのね」
「……はい。薬で眠ると、夢を見ないで済むから。薬に頼り切るのはよくないって分かっています。でも……他に方法が分からないんです」
天くんは笑った。いつもの、人を安心させるための笑顔だった。身を削り、薬に依存し、今にも壊れそうな心を抱えながら。
この子の枷になっているのは十七歳のころから付き纏う“英雄”という肩書き。世間はこの子に向かって軽々しく英雄と言うが、この子にとってそれがどれほどの負担となっているのか誰も考えていないんだろう。
そして、天くんも天くんだ。英雄という肩書きを重く受け止めすぎている。誰よりもしっかりしないと、誰よりも人を守らないと、誰よりも頑張らないと……。元々、そういう思いが強い子ではあったが、ここ半年の災害件数の増加によって拍車がかかっているように思える。これが、かなり致命的なのよね。
「……処方は今まで一か月分だったけど、今回は二週間分で出すわ」
「……なんで、二週間分しか出してくれないんですか」
「心配だから、よ」
天くんは今にも消えてしまいそうな危うい雰囲気だ。長年医者をやっているけど、このような雰囲気になった患者が持ち直すケースはあまり見たことがない。
天くんは軽くお辞儀をして、明日も早いのでとお代を置いて席を立った。
「いつも言っているでしょう。あなたも私の息子みたいなものなんだからいらないわ」
「俺の気が済まないんですよ。受け取ってください。……いつも、ありがとうございます」
そう言い残して、天くんは帰っていった。私は一人取り残される。
深く溜息をつき、診察前に頼んでいた赤ワインを一気飲みする。
「……どいつもこいつもバカ息子なんだから」
飲まれることのなかった、水滴のついたソフトドリンクを私はじっと見つめていた。




