4杯目:まだまだ消えてはくれないな
朝起きて、のびをひとつ。
まだ寝息を立てている相手を起こさないようにベッドから抜け出して、姿見を見る。
上裸の自分。最近ジムをサボっているので、心なしかむっちり感が出てきている気がする。
腰回りをつまんだりしながらそんなことを考えていると、ベッドの彼が寝返りを打った。向こうはパンツ一枚で寝ている。
昨晩飲みに出た際に捕まえた観光客のゲイで、ワンナイトを求めていたのでノリでお持ち帰りした。昨日のあれこれを思い返してまたドキドキがはじまりそうになるが、こらえねば。
これから仕事だし、支障が出る。
とりあえず顔を洗おう。そう思った時、鏡に映った自分に少し違和感を感じた。
首の辺りになにかある。もっと近づいてみると。
「……あれ? うっそ」
思わず声が出た。
首元に、小さなあざができている。
「……もう起きたの?」
僕の声で目が覚めたのか、ベッドの彼が上体を起こした。
「ねえ、これ」
首の左側あたりを見せる。
サイズは控えめながら、それなりの存在感を放つあざを、眠そうな目で数秒見つめたのち、彼は嬉しそうに言った。
「キスマークついてるじゃん」
「なんでそんなニヤニヤしてるの」
「あと付けちゃった」
「どうしよ、服着たら見えないかな」
「仕事はいつもスーツでしょ。見えないって。Tシャツとかだと完全アウトだけど」
そう言ってあくびをひとつした後、彼は洗面所に向かう。
その背中を横目に見送りつつ、僕はもう一度姿見を見る。
一応、胸の辺りにもポツポツとあとがついているものの、基本的にその辺はバレない。
彼の言う通り、スーツであればそこまで目立たないし、一旦今日は放置でいいだろう。
今は出勤準備にとりかかるとしよう。
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一人暮らしを始めてからというもの、今回みたいに好みの男性をよく家に連れ込んでいる。場所あり、万歳。
一晩限りで終わる人もいるし、定期的にあっている人も何人かいる。
お察しの通り、それなりに楽しんでいるのだが、今回のようにキスマークを好んでつけてくる人もいて、それが少し厄介だなとは思う。
もともとそういうあざが残りやすい体質で、できれば加減をしてほしいというのが本音ではある。
服に隠れるような胸とか背中であれば気にしないのだが。
何より盛り上がっているところに水をさすような真似はしたくないし。
「あれ、先輩。今ノーネクタイでもいい時期なのに、なんでそんなビシッと決めてるんですか? 謝罪案件とかあるんです?」
「ないよ。ちょっとね」
こう言う時に限って、会社の後輩に変な突っ込まれ方をする。
「あ、もしかしてキスマークつけられました?」
こいつマジでなんなんだ。普段の仕事もそれくらい勘がよかったら。
「いやいや、そんなんじゃないよ。でも、ちょっと肌が荒れちゃって、見栄えが悪くてさ」
「そういうことにしておきまーす」
にやつきながらその場を後にする後輩。
小さくため息をついて、仕事に戻る。
と、ズボンのポケットでスマートフォンが揺れる。
引っ張り出してこっそりチェックすると、1件のDMが届いていた。
『おつかれ。来週金曜日、よかったら飲みに行かない?』
思わず笑みがこぼれる。
何人か夜の相手はいるが、この人とはそれなりに長い付き合いだ。
体の相性がいいというのもあるが、優しいし、話も合うし、こうやって飲みにも誘ってくれる。
何より見た目がタイプすぎる。
ラウンド髭、筋肉質だがちょっと脂肪が乗っている感じ、短髪。
いわゆる、ゲイ受けしやすいタイプの見た目だが、そういうのが本当に刺さる。
『いくー! 残業しないようにがんばる笑』
彼からのメッセージは、どんな内容だって嬉しい。
最高の夜を過ごすために、今日も仕事頑張ろ。
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「かんぱーい! おつかれさまー!」
約束の日の夜。
ノー残業デーであるのをいいことに、残りの事務作業は来週やりますと宣言して、ほぼ定時で退社を決めて、今に至る。
「おつかれさま」
つまみを食いながら酒を飲んで、目の前には一番のイケメンがいる。
満足度がかなり高いシチュエーションである。
「この前会ったのって、1ヶ月前とかだっけ」
「そうそう! あの時もこの飲み屋で飲んだよね」
「たしか、だいぶ前に君が見つけてくれたよね。ここの自家製レモンサワーがめちゃくちゃうまいとか言って」
彼はビールが苦手だと言う。
なんのお酒が好きかと聞いたらレモンサワーとのことだったので、何件か調べた。
ピックアップしたうちの一つが大当たりで、今もよく通っている。
「会って2回目にきたよね。たしか、その時も砂肝とか頼んでた気がする」
そんなふうに細かく覚えてくれているとは、正直嬉しい。
自分自身、特定の相手にこだわらない主義ではあるが、この人だけは少し自分の中で特別扱いをしている部分がある。
「今日は、このあとどうする? うち来る?」
「んー、どうしようかな」
実は、彼とは夜の「そういうこと」が無い時でも会っている。
お互い明日が早かったり、特にそんな気分じゃ無い、というときもある。
それでも、都合が合えば一緒に飲みに出たり、買い物に付き合ってもらったりしている。
これが、友達以上恋人未満というやつだろうか。
「今日はおじゃましようかな」
「オッケー! 楽しみ」
僕が笑うと、彼も笑う。
この時間が長く続けばいい。気に入った相手とご飯を食べて、遊びに出掛けて、時々キスをして。
恋人という縛りはないから、お互い楽だし。
当時はそんなことを思っていた。
そして、この曖昧な関係に甘んじてしまっていたことが、僕の最大の失敗だった。
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結論から言う。
彼は転勤することになった。
あの日以降、しばらく連絡が取れなかったのだが、2ヶ月ぶりに届いたメッセージでその旨を伝えられた。
元々彼はこの街を離れたがっていたし、栄転ということもあって、断る理由がないとのことだった。
それならば、引越し前に最後に会おうということになり、彼と馴染みの店でまたレモンサワーを飲んで、流れるように僕の自宅に着いた。
「今日が最後かー。やだな。寂しい」
「……」
「黙らないでよ。最後だからこそ、楽しまないとね」
寂しいのは本音だ。
でも、引き止めるようなことはできないし、だったら今日は隅々まで味わい尽くして……!
「あのさ」
けしからん妄想を巡らせていたところで、彼が話し出す。
「もし、君が良ければなんだけど」
「うん」
「付き合ってみないかなって」
「……え!?」
思考が止まる。
付き合う……?
「ほら、多分さ。体の相性もいいわけじゃん。で、そういうエロいこと抜きにしても、遊んだり、酒飲みに行ったり、俺、いつもすごく楽しかったんだよね」
「……」
「遠距離恋愛ってやつ。俺はしたことないんだけど、今までみたいに連絡取り合ったりとかしてれば、いけるかなって、ちょっと思ってて」
「遠距離……」
「いや、無理強いはしないよ。でもね……、俺は君のことが好きだよ」
彼が手を握ってくる。
これまでだって、行為の最中にそんなシーンは度々あった。
でも、今改めて思う。彼の手はこんなに大きかったのか。
緊張しているのか、少し汗ばんでもいた。
僕は、その手を握り返す。力をこめてみたり、指を絡めてみたり。
沈黙の時間が続くなかで、いろんなことを考えて。
真っ直ぐに目を見て伝える。
「ごめん」
「……理由を聞いても?」
「二つある。一つ目に、僕には遠距離恋愛が無理なんだよ。ほら、いつだってそっちが連絡くれたでしょ? もちろん嫌ってたわけじゃないよ。ただ、筆不精なんだよね。だから、離れた相手を不安にさせないくらい連絡を取り合うっていのは、僕にはできないと思う」
「うん。マメじゃないのは知ってる」
返ってきた言葉に笑ってしまう。彼もつられて笑う。
「で、二つ目は?」
「今の僕のおかれている環境が、多分、不安にさせると思う」
もちろん彼も、僕がよく遊んでいることを知っている。
仮に付き合ったとして、僕が男遊びを本当に卒業できたとしても、遠距離恋愛においてそれを証明する術はない。
自分のこれまでのだらしなさの反動が、この場面で強く現れる。
「じゃあさ、君が俺のところに来るのは?」
「転職とかってこと?」
「そう」
「それも……ないかな。僕はこの街が好きだし、今の仕事も気に入ってるから」
「……わかった」
多分、この時の僕は怖かったのだと思う。
いざ誰かに好意を伝えられた時に、真正面から受け止められるような綺麗な生活をしていなかったから。
ビビったのだ。
新天地への挑戦も、彼が伝えてくれた僕への好意を受け止めるのも、今の生活を手放すのも。
ほんと、クソみたいな男だな。
「今日、どうする? 帰る?」
「……いや、最後だし、やろう。いい?」
よかった。帰るなんて言われたら泣いていたと思うから。
そして、どちらからともなく、唇を重ねる。舌が交わる。
吐息が愛おしくて、思わず彼を抱きしめて。
彼もそれに応えるように、僕の体を優しく、強く抱きしめてくれて。
「……あ、ねえ。最後にさ、お願いがあるんだけど」
「なに?」
気分が昂っていたが故の思いつきだった。
シャツを脱いで、上裸になって、自分の首筋に手を当てて希望を伝える。
「え、いいの? 前そういうの嫌いだって言ってたのに」
「いい。その方が思い出に残るでしょ」
「じゃあ、俺にもやってよ」
「やめときなよ。消えるまで大変だよ」
「なら、お願いは聞かない」
「ずるいな……わかったよ。後悔しないでよ」
「しないよ」
まずは彼が、そのあとに僕が。
互いの首筋に唇を当てる。
彼のやり方は少し痛かったけど、その痛みすら忘れたくないなと思ってしまった。
「ついたかな」
「多分ね。ちょっと痛かったし」
「あ、ごめん。慣れてなくて」
「知ってる。でも、ちょっと嬉しかったよ」
彼はずっと、何をするにも優しかった。
どんな形であれ、相手に傷をつけたり痛みを与えることはしてこなかったのだろう。
改めて彼の顔を見る。
なんで彼は、こんな僕を好きになってくれたんだろう。
なんで僕は、彼の気持ちに応えられないんだろう。
そんなことを考えていたら、彼の方からまたキスしてくれた。
ちょっと泣きそうになって、どうにか堪えて、キスを返して。
2人の夜がはじまった。
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その日はコトが済むと、彼はタクシーで帰っていった。
いつもみたいに泊まっていけばと提案したが、
「泣いちゃいそうだから。せっかく楽しかったのに、それでお別れは嫌だから」
とのことだった。
僕も同じ気持ちだった。
次の日起きて、鏡を見る。左の首筋に小さなあざができていた。
厄介とさえ思っていたその印は、彼との最後の思い出。
そっと撫でてみて、昨晩のことを思い出して、少しだけ泣いてしまった。
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「というのがですね。僕の35年生きてきた中での1番の恋愛です」
一通り語り終えてママの顔を見る。
腕組みをして、真剣な顔で問いかけてくる。
「その彼とは今は連絡取ってないの?」
「はい。取ってないですね。引越ししたあとしばらくは、近況報告とかお互いにしてましたけど、そのうちお互いの返信が1日あいて、1週間あいて、1ヶ月空いて……。気づいたら、7年はもう連絡とってないですね」
7年は流石に想定外だったのだろう。ママの驚き顔を初めてみた。
「え、なにそんな前の話なの!?」
「はい」
「その後から恋人とかは?」
「できてないですね」
「男遊びは?」
「まあ、することはしてます」
「きっしょ」
「そんなこと言わないでくださいよ!」
結局、僕は1人の人を愛するより、テキトーに遊んでいるほうが性に合っているのかもしれない。
「あ、でもひとつ理解したことがあるわ」
「え、なんですか?」
「あんた、自分に癖があるの気づいてる?」
癖とは、なんだろう。特段思い当たることはないが。
「なんかさ、あんたが主役じゃない時とかでもさ。恋愛系の話が始まると、左の首筋をずっと触ってるわよね」
「……うそ」
「ほんと。あの、ほら。一時期流行ってたじゃない。イケメンが首を痛めたポーズ。あんな感じでずっと触ってるわよ」
なんなら、さっきの恋愛遍歴を話していた時も、ちょいちょい触っていたらしかった。
「うわー、気づかなかった! え、いつからだろ」
「やっぱり彼にキスマークつけられたあたりからじゃない? 恋愛イコール彼につながっちゃうんでしょうね」
僕の中ではあざが消えた日で一区切りになった気がして、もう彼を思い出すものは何もないと思っていたのに。
まだこんな形で、残っていたんだな。
改めて、今度は意識して左の首筋に触れてみる。
「もうなんのあともないんですけどね」
「色々残ってるようにも見えるわよ。連絡取ってみたらいいのに」
スマートフォンを取り出して、彼とのDMを開く。
何年も前に止まったそのやりとりをしばらく眺めて、また閉じた。
今更掘り返すつもりもない。きっと彼には今、素敵な人がいるはずだし。
「ママ、レモンサワーおかわり!」
「はいはい。飲みすぎるんじゃないわよ。始発まで潰れるような輩がこれ以上増えたら困るから」
あの頃通っていたお店も2年前に閉店していて、自家製レモンサワーはもう飲めない。
当時住んでいたアパートもその頃に引き払って、今、僕は別の場所で暮らしている。
キスマークも消えて、彼との連絡も途絶えて。
恋心なんてものも、とっくに忘れたものだと思っていたのにな。
出された一杯に口をつけて、僕はまた、首筋へ手を伸ばしていた。
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この癖が治らないのは、今も君の体温を求めているのだと思う。
あの晩、唇の柔らかさに改めて気づいた。体の大きさも感じた。そして、少しの痛みを覚えた。
君がくれた首筋の贈り物は簡単に消えてしまったけれど、形を変えて残っているみたいだ。
僕からの贈り物はどうだったかな。ちゃんと、君に刻みこめただろうか。
万にひとつ、この街でまた、彼に出会うことができたなら、昔話に花を咲かせつつ、観察してみようと思う。
彼が、いつかのあざを撫でるように首筋へ手を伸ばすなら。
その時、きっと僕は。




