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好きな人への告白を練習していたら、練習相手だけが最初から本番だった

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/04/09

 

 西園ひまりが水瀬慧(みなせ けい)に「告白の練習相手になってほしい」と頼んだとき、慧は三秒だけ黙った。


 六月の終わり、放課後の教室。

 梅雨の切れ間で、窓の外は嘘みたいに青い。


「……誰に」


 次の小テスト対策らしい英単語帳を閉じて、慧はひまりを見た。

 何を考えているのか少し分かりにくい、静かな顔だった。


「それは、ちょっと」


「本当に告白するんだ」


「するつもり」


「練習が必要なくらい?」


「必要なの!」


 思わず声が大きくなって、ひまりは慌てて口を押さえた。


「だって、ちゃんと好きって言うの初めてだし……変なこと言って笑われたら嫌だし……でも友達には頼みづらいし……」


 そこまで言ってから、小さく付け足す。


「水瀬くんなら、笑わなそうだから」


 その瞬間、慧の睫毛がわずかに揺れた。

 今思えば、たぶんあれが最初だった。

 私の言葉が、この人を傷つけた最初の瞬間。


「断る理由は?」


「え?」


「いや、こっちが」


「あ……そ、そうだよね。急にごめん。変なお願いだよね」


「別に」


 慧は視線を落として、英単語帳を机の端に置いた。


「何すればいいの」


「えっ」


「練習相手。やるんでしょ」


 あまりにあっさり了承されて、ひまりは逆に固まった。


「い、いいの?」


「よくはないけど」


「えっ」


「……西園が困ってるなら、断れない」


 その言い方が妙に自然で、ひまりはなぜだか胸の奥がくすぐったくなった。


「……ありがとう」


「で、どうやるの」


「えっと、あの、私が告白するから、水瀬くんは相手役になって、ちゃんと返事してほしい」


「ちゃんと?」


「適当じゃなくて、本番っぽく」


「難易度高くない?」


「そこを何とか」


 すると慧は椅子に座り直し、ひまりを見上げた。


「わかった。じゃあ条件」


「条件?」


「笑われても怒らない」


「笑うの?」


「なるべく我慢する」


「我慢って何」


「それと」


 彼は続ける。


「練習なら、褒めるだけじゃ意味ないから。変だったら変って言う」


「う……」


「それでもいいなら」


 ひまりは少しだけ迷ってから、うなずいた。


「……お願いします」


「じゃあ、やる?」


「い、今!?」


「頼んだの西園だろ」


 その通りだった。


 ひまりは鞄を机に置いて、制服のスカートを整えた。

 手のひらに汗がにじむ。


(いや、待って。今から? 本当に?)


「ちょ、ちょっと待って。心の準備が」


「あと三分で予鈴」


「もっと早く言って!?」


 慧は少しだけ口元をゆるめた。

 それがたぶん、彼なりの笑いだった。


「西園」


「はい」


「本番は急に来るかもしれないから」


「うっ……正論」


「だから、今ちゃんとやって」


 その言い方が、なぜか妙にやさしかった。


 ひまりは深呼吸をして、慧の前に立った。


「……す、好きです」


「声が小さい」


「まだ最初だから!」


「本番の相手にも言い訳するの」


「しない!」


「じゃあ、もう一回」


 ひまりは耳まで赤くなりながら、もう一度息を吸った。


「好きです。付き合ってください」


 言えた。

 言えたけど、たぶん棒読みだった。


 慧は少し考えてから言った。


「悪くない」


「ほんと?」


「でも、たぶんそれだと“ちゃんと好き”より“頑張って言いました”の方が先に伝わる」


 ひまりはがっくり肩を落とした。


「だめじゃん……」


「だめではない。惜しい」


「惜しいのが一番つらい……」


「あと」


 慧は椅子に座ったまま、まっすぐひまりを見た。


「その“好き”は、たぶん相手を見てない」


「え」


「言葉だけ前に飛んでる」


 ひまりは思わず黙った。

 そんなこと、考えたこともなかった。


「相手のどこが好きなのか、ちゃんと思い浮かべてから言った方がいいと思う」


「……水瀬くん、もしかしてこういうの慣れてる?」


「全然」


「じゃあなんでそんな冷静なの」


「西園が慌てすぎてるから」


 ひまりは唇を尖らせた。


「水瀬くんって、たまにちょっとだけ意地悪」


「たまに?」


「だいたい?」


「それは心外」


 でもその声は、少しだけ楽しそうだった。


 その日から、ひまりと慧の「告白の練習」が始まった。




 ◇◆◇




 ルールはシンプルだった。


 放課後、誰もいない教室で五分だけ。

 ひまりが“本番の相手”に告白する練習をする。

 慧はその相手役になり、変なところは直し、本番っぽく返事をする。


 最初の三日は、ひまりの一人負けみたいなものだった。


「好きです。ずっと前から――」


「“ずっと前から”のあとで目を逸らした」


「だって恥ずかしい!」


「恥ずかしいのは分かるけど、そこ大事だろ」


「うぅ……」


「あと、今日は早口」


「そんな細かいとこまで見る?」


「見ないと練習にならないから」


「厳しい……」


 けれど慧は、ただダメ出しばかりするわけじゃなかった。


「今の言い方はよかった」


「え」


「最後の“好き”だけ、ちゃんと本気っぽかった」


「そ、そう?」


「うん」


「……なんか、水瀬くんにそう言われると、ちょっと嬉しいかも」


 そう言った瞬間、慧の指先が止まった。


 彼は英単語帳の代わりに、最近は小さなメモ帳を持ってきていた。

 ひまりの癖や、気になったところを短く書いているらしい。


「どうしたの?」


「いや」


 慧は何でもないみたいに首を振った。


「練習、続ける?」


「うん」


 その後も毎日続いた。


 ひまりは最初、本当に“好きな人への告白”のために、この時間を使っていた。


 相手はサッカー部の先輩だった。

 優しくて、顔もよくて、文化祭の時に段ボールを運ぶのを手伝ってくれた。

 それだけで好きになったと言ったら、友達には「ちょろい」と笑われたけれど、ひまりにとっては十分だった。


 なのに。


 練習を続けるうちに、ひまりの中で何かが変わり始めた。


「好きです」


「うん」


「一緒にいると落ち着いて」


「うん」


「ちゃんと見てくれるところが好きで」


 そこでふと、ひまりは止まった。


 ちゃんと見てくれるところ。


(……それって、先輩だっけ?)


「西園?」


「あ、ううん、何でもない」


 その日はやけに調子が悪かった。


 言葉が引っかかる。

 本番の相手を思い浮かべようとしても、なぜか別の顔が浮かぶ。


 放課後の、斜めの光の中。

 いつも静かに自分の言葉を待ってくれる人。

 変なところはちゃんと指摘するくせに、最後には必ず「大丈夫」と言ってくれる人。


 まさか、と思う。


 でも、その“まさか”を考えた瞬間に、ひまりの心臓は変なくらい速くなった。


 帰り道で、友達の結衣に言われた。


「ひまり、最近なんか顔やばいよ」


「やばいって何」


「恋してる顔」


「してるよ! 告白するんだもん!」


 ひまりはそう返したけれど、結衣は首を傾げた。


「いや、そういうんじゃなくて。もっと近い感じ」


「近い?」


「相手のこと思い出すだけで勝手に顔熱くなるみたいな」


 ひまりは、一瞬で黙った。


 それ、最近ずっとなっている。


 でもその相手の顔を、まだ言葉にできなかった。




 ◇◆◇




 変化は、慧の方にもあった。


 今まで淡々と練習に付き合ってくれていたのに、五日目くらいから、少しだけ距離を取るようになったのだ。


「今日、練習いい?」


「ごめん、日直の仕事ある」


「そっか」


 でも、日直の仕事なんてすぐ終わるはずだった。


 七日目には、


「今日、ちょっと用事あるから」


「最近それ多くない?」


「……そうかも」


 その言い方が、妙にひまりを不安にさせた。


「もしかして、迷惑だった?」


「違う」


「じゃあ何」


 そこで慧は黙った。


 いつもなら、答えを濁したりしないのに。


「水瀬くん」


「……本番、もう近いんでしょ」


「え」


「だったら、俺が練習相手し続けるの、あんまり良くない気がする」


「なんで?」


 慧は目を伏せた。


「変に慣れると、本番でずれるかもしれないから」


 それは理屈としては正しかった。


 でもひまりは、なぜか胸のあたりがひどくざわついた。


 それだけじゃない。

 それだけの()()じゃない気がした。


「水瀬くん」


「何」


「……逃げてない?」


 自分でも驚くくらい、まっすぐな言葉が出た。


 慧は少しだけ目を見開いた。


「何から」


「知らない。でも、なんか最近変」


 沈黙が落ちる。

 窓の外では、吹奏楽部の音が遠くで揺れていた。


「西園」


 やがて慧が静かに言った。


「本番、ちゃんとうまくいくといいね」


 その言葉は優しかった。

 優しかったのに、どうしようもなく苦しかった。


 ひまりはそこで初めて気づいた。


 うまくいってほしいはずなのに。

 好きな先輩に告白するのが目標だったはずなのに。

 今いちばん聞きたくない言葉は、それなんだと。




 ◇◆◇




 告白当日。


 放課後、ひまりは校舎裏でサッカー部の先輩を待っていた。


 手のひらが冷たい。

 なのに背中は熱い。

 呼吸も浅い。


 練習した。

 たくさんした。

 言葉も考えた。

 タイミングだって間違えないようにした。


 なのに、先輩の姿が見えた瞬間。


 何も言えなくなった。


「西園?」


 優しい声。

 困ったような目。

 たぶん、悪い人じゃない。


 でも違った。


 ちゃんと分かってしまったのだ。


 ――この人じゃない。


 私が「好きです」と言った時、一番うれしそうな顔をしてほしい相手は。

 言葉の変なところをすぐ見抜いてくれるのに、最後には絶対に肯定してくれる人は。

 私が少しでも頑張ったら、それに気づいてくれる人は。


 ひまりはぎゅっとスカートを握りしめた。


「ごめんなさい」


「え?」


「呼び出しておいてごめんなさい。私……」


 息を吸う。


「告白、できません」


 先輩は少し驚いたあと、何かを察したみたいに笑った。


「そっか」


「本当にごめんなさい」


「ううん。むしろ、ちゃんと気づけてよかったんじゃない」


 その言い方まで優しくて、ひまりは余計に申し訳なくなった。


 でも今は、立ち止まっていられなかった。


 ひまりは頭を下げると、そのまま走り出した。


 向かう先は決まっている。


 いつもの教室だった。




 ◇◆◇




 もう誰もいないと思った。


 でも、いた。


 夕暮れの教室のいちばん後ろ。

 窓際の席に座って、慧がひとりで本を読んでいた。


 ひまりはドアのところで立ち止まり、肩で息をした。


 慧が顔を上げる。


「西園」


「……いた」


「いたけど」


「よかった」


「告白、どうだった」


 その問いに、ひまりは数秒黙った。

 そして、まっすぐ彼を見た。


「ごめん。やり直したい」


「何を?」


「告白の練習」


 慧の指先が止まる。


「今度はちゃんと、本当に好きな人に言うから」


 その一言で、空気が変わったのが分かった。


 慧はしばらく何も言わなかった。

 窓から入る夕陽が、机の角を赤く染めている。


「……それ、俺?」


「そう」


「いつから」


「分かんない」


 ひまりは苦笑いした。


「たぶん、最初は本当に先輩の練習だった。でも途中から、言えば言うほど、おかしくなった」


 慧は黙って聞いている。


「“ちゃんと見てくれるところが好き”って言った時、もう先輩のこと考えてなかった」


 ひまりは一歩、彼に近づいた。


「“緊張してるの先にバレる”って言われるのも、“今の好きは本気っぽかった”って言われるのも、水瀬くんだから嬉しかった」


 喉が震える。

 恥ずかしい。

 逃げたい。

 でも、今は逃げたくない。


「私、ずっと練習してるつもりだった」


 ひまりは笑いそうになって、でも泣きそうにもなった。


「でも違った。私、毎回ちょっとずつ、本気になってた」


 そこで慧が、ようやく小さく息を吐いた。


「西園」


「……はい」


「それ、ずるい」


「何が」


「今さら言うの」


 その声は少しだけ掠れていた。


「俺、最初からしんどかった」


 ひまりは目を見開く。


 慧は本を閉じて、机に置いた。


「練習相手なんて、やるつもりなかった」


「え」


「でも断れなかった」


「どうして」


 彼は少しだけ困ったみたいに笑った。


「好きだったから」


 頭の中が真っ白になった。


「……いつから」


「たぶん、西園が覚えてない頃から」


「なにそれ……」


「朝、教室入ってきた時、誰にでもちゃんとおはようって言うところとか。消しゴム忘れたやつに、自分の半分ちぎって渡すところとか」


 そんな細かいことまで見ていたのかと思うと、胸が熱くなる。


「だから、練習でも“好き”って言われるたび、うれしかった」


 慧はまっすぐひまりを見た。


「うれしかったし、しんどかった。毎回、これ本番だったらいいのにって思ってた」


 ひまりは、もうだめだった。


 目の奥がつんとして、鼻の奥まで痛くなる。


「……ごめん」


「なんで西園が謝るの」


「だって、私、全然気づかなくて」


「気づかなくて当然だろ。言ってないんだから」


 その言い方まで優しかった。


 ひまりは、ぎゅっと拳を握る。


「じゃあ、言い直す」


「え」


「今度こそ、本番だから」


 ひまりは深呼吸をして、慧の前に立った。

 最初に練習を頼んだ日みたいに。

 でも今は、逃げ道なんていらなかった。


「水瀬くん」


「ん」


「好きです」


 慧の目が、少しだけ揺れる。


「一緒にいると落ち着くところが好き。ちゃんと見てくれるところも好き。変なこと言っても笑わないところも、優しいところも好き」


 途中で声が震えた。

 でも止まらなかった。


「たぶん、ずっと前から好きだったんだと思う。私が気づくのが遅かっただけで」


 ひまりは息を吸う。


「私と、付き合ってください」


 静かだった。


 教室の中には、遠くのグラウンドから聞こえる掛け声だけが薄く届く。


 慧はしばらく黙ってから、立ち上がった。


「それ」


「うん」


「やっと本番か」


 ひまりは泣きそうな顔のまま笑った。


「長かった……」


「俺はもっと長かった」


「それは、ごめん」


「だから、ちょっと考えていい?」


 まさかの返しに、ひまりは固まった。


「え?」


「返事」


「い、今!?」


「本番だから適当にしない」


 その瞬間、ひまりは初日の自分を思い出した。

 変なこと言って笑わないで、と頼んだこと。

 ちゃんと返事して、と言ったこと。

 あれを全部守ってくれていたのだ、この人は。


「……ずるいの、そっちじゃん」


「そうかも」


 慧は、今まででいちばんやわらかく笑った。


「好きだよ、西園」


 その一言で、ひまりの胸の中の何かが、一気にほどけた。


「前からずっと」


「……うん」


「付き合いたい」


「うん」


「でもひとつだけ」


「何」


「これから西園が誰かに告白の練習頼まれても、絶対引き受けないで」


 ひまりは一瞬ぽかんとしてから、吹き出した。


「頼まれないよ、もう」


「頼まれてもだめ」


「わかった」


「ほんとに?」


「ほんとに」


 そう答えた瞬間、慧は少しだけ安心した顔をした。


 それがなんだか、たまらなく愛しくて。


 ひまりは一歩近づいて、彼の制服の袖をつまんだ。


「ねえ」


「何」


「今さらだけど」


「うん」


「本番の返事、ちゃんと聞けてよかった」


 慧は目を細めた。


「俺も」


 夕陽の差し込む教室で、ふたりはしばらく笑っていた。


 最初から、練習なんかじゃなかったのかもしれない。

 少なくとも、彼にとってはずっと本番だった。


 でも、回り道をしたからこそ分かったこともある。


 好きな人にうまく伝える方法を探していたはずなのに、

 いちばん伝えたかった相手は、ずっとすぐそばにいたのだ。


 翌日から、ひまりは少し困ることになる。


「西園さん、なんか今日すごく機嫌よくない?」

「えっ、わかる?」

「わかるよ。あと、なんで水瀬くんと目が合うたびに変な間があるの」


 変な間、ではない。

 ただお互い、目が合うだけでちょっと照れてしまうだけだ。


 放課後、帰り道でひまりがそのことを言うと、慧は少し考えてから言った。


「じゃあ、しばらく練習する?」


「何を」


「付き合ったあとの会話」


「それはもう本番でやって」


「そっか」


「でも」


 ひまりは彼の隣を歩きながら、小さく笑った。


「好きって言う練習なら、もうちょっとしてもいいかも」


 慧が足を止めた。


「西園」


「なに」


「今それ言うの反則」


「本番だからいいの」


 そう言うと、彼は耳まで赤くして顔を逸らした。


 そんな顔するんだ、と思って、ひまりは胸の奥がきゅうっと甘くなる。


 練習していたはずの言葉は、ようやくちゃんと届く場所を見つけた。


 そしてこれからは、何度だって本番で言えばいい。


 好きな人に。

 いちばん言いたかった相手に。

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