軍崩壊
「クゥイントン卿、敵部隊が見えてきたようです。その数は千五百に満たないと報告が入ってます」
「……フィンドレイ卿か?」
クゥイントンは揺れる馬車の椅子に座って、窓の外を見ながらそう呟いた。
「え、ええ。フィンドレイ卿から伝令がありました」
どこか他人事のように報告を聞いているクゥイントンを見て、スペンサーは今まで感じたことのない嫌な気分になった。
「そうか、問題ないな?」
「はっ。この戦略差です、万に一つも負けることはないでしょう」
クゥイントンはフンと丸い鼻を鳴らして、また窓の外に目をやった。
馬車が止まり、ラッパの音が響いた。
「始まりますな、様子を見てきます」
スペンサーがそう告げると、クゥイントンは窓の外を見たまま、黙って頷いた。
スペンサーが馬車を出て、自分の馬に騎乗すると前線が動き始めたのが見えた。
その時、殿の兵達のざわつく声がしたと思うと、大きくうなるような音が軍の動きを支配した。
熱く強い風を背中に受けた。
振り返ると、そこには見たこともないような炎の柱が立ち上っていた。
一瞬時間が止まったように固まっていた後方の兵たちは、その熱に追い立てられるようにこちらへ集まってくる。
「なんだ……これは」
炎の明るさに影が差し、肌を焼いていた熱が少しだけ和らぐ。
その違和感に視線を上げると、必死に前に集まろうとする兵たちをすっぽり覆うように黒い雲が広がっていた。
「雲……? 近すぎる……」
呟き終えたかどうかも分からないほどの間で、轟音が響き渡る。
目の前が何度も光り、稲妻が無数に走るのが見えた。
焦げた臭いが鼻を突き、兵だったものがみるみる炭に変わっていく。
金属が転がる音が雷の轟音に紛れて頭に響く。
助けを求める兵の伸ばした手が炎に包まれる。
地獄のような光景が広がっていた。
「これが……黒炎の魔女」
クゥイントン軍――全軍の時が止まっていた。
やがて、その地獄から逃げ出すように前線の兵たちが前進をはじめる。
兵たちが動き始めてから遅れるように、進軍の旗が上がった。
その様子は、兵たちの心情が伝わってくるようだった。
「まて、フィンドレイ卿に伝令を!」
スペンサーは叫んだが、フィンドレイ部隊の後ろに控えていたクゥエイフ卿の部隊も進軍の旗を上げた。
「まずい、軍はもう止まらない」
この軍の大将である、クゥイントンを守る者がいない。
そんな状況が生まれたことにスペンサーは焦っていた。
確かに、まだ数の上では有利だ。
ここで相手の部隊を叩いてしまえば、勝てるかもしれない。
いや、勝てなければ困るのだ。
◇ ◇ ◇
「やっぱりエグいな、あいつの魔法」
アイザックは敵部隊の後方に立ち上った炎を見ながら呟いた。
「あんたの攻撃力も、大概だけどな。ザックさん」
「そろそろ前に出てくるぞ、ここは任されてんだ。しっかり仕事しろよ?」
アイザックの煽るような言葉に、口元を緩ませてレオンが騎馬で駆け出した。
レオン騎馬部隊が左へ、アイザック遊撃部隊が右に展開する。
山穿が大地を抉り、敵兵をまとめて吹き飛ばす。その衝撃に乗じて、レオン騎馬部隊が一気に敵陣を切り裂いていく。
「やべえ、メイジ部隊がいやがる!」
レオンが叫ぶと、レオン騎馬部隊が後退する。
「大盾部隊、前へ!」
カシムの号令が響く、大盾部隊が横一列に展開した。
大盾がファイアーボールを受けて崩れる。
「弓、放て!」
バートの声が響いて、敵に矢の雨が降る。
前進する敵の動きが鈍った。
その隙を突くように、エルマーの長槍部隊が横槍を入れる。
「お前ら、あんまり無茶すんな!」
山穿を振りながら敵軍を弾くように進むアイザックの後ろから遊撃部隊が飛び出す。
後退していた、レオン騎馬部隊も前進してくる。
「調子に乗るな!」
フィンドレイの怒号が飛び、三人のメイジがアイザックに向けてファイアーボールを詠唱し始める。
「くそ、メイジまでは届かねえか」
アイザックがその距離に喉の奥で毒突いた。
ファイアーボールが放たれようとしたその瞬間――
乾いた音が複数響いた。
メイジたちが次々と倒れていく。それを守っていた兵たちも、その場に崩れ落ちた。
「アスペンか、助かった」
森の中で魔法筒を構えた部隊がいることを、知っているのはリライアンス兵だけだった。
何が起きたのかわからないクゥイントン軍は、士気を失いかけていた。
「や、やっべぇなぁ! おい!」
ソーメルスの甲高い声が響いた。
ソーメルス率いるグラン・ナイカ第三遊撃部隊が後退しはじめると、クゥイントン軍は誰も前へ出ようとしなかった。
◇ ◇ ◇
動かなくなった兵を見て、スペンサーの顔は青くなっていた。
馬車の扉を開けて、転がるように中に入る。
「クゥイントン卿! て、撤退命令を!」
顔を上げた瞬間、腹部に激痛と圧迫感が走り、視界が明滅した。
「クゥイントン卿……なぜ?」
馬車の床に崩れ落ちながら、クゥイントンを見上げるがうまく焦点が合わない。
「いやぁ、悪いね。僕の仕事なんだよね、これ」
これは、クゥイントン卿の声じゃない。
少年のような声、この状況に似つかわしくない明るい声がする。
「大将が馬車から逃げ出したら、変に思われるだろう?」
半分くらいしか、何を言っているのか理解できない。
クゥイントン卿……この男は違う……。
「だからさ、君の姿。借りるね」
その言葉はハッキリ聞こえた。
だが、それを最後に。
スペンサーの意識が戻ることはなかった。




