第70話 魔術書探究クラブ(24) ※完結
「ソフィア!」
愛らしい声で名前を呼んだ声の主の姿を認めて、ソフィアは緑の草に覆われた地面を急ぎ足に進んだ。
着慣れない黒の絹クレープのツーピースドレスに、足を取られそうになる。
アルドリッジ工房の追悼式は、ここ首都では珍しく清々しく晴れた日になった。
秋の高く澄んだ青空に、黄金色に色づく木々の色が映え、工房のクリーム色に塗られた建物との調和が美しい。
工房の広い中庭には、創始者の偉業を讃える、翼を模した記念碑が建てられていた。
亡くなった創始者夫人の功績を偲ぶ、長方形の石碑はその隣に設置され、今日はそのお披露目と哀悼の意が捧げられる。
「アシュリー、今日は大役ですね」
黒のワンピースにボンネット姿で、石碑のそばに立っていたアシュリーにソフィアは話しかけた。
立派な花輪を両手に抱えている。
直系の遺族として、哀悼の花を捧げる役なのだろう。幾本もの蔓を苔と絡げて、緑の葉と大輪の百合を隙間なく挿して作られた、細い腕には重そうな花輪だった。
あとを追ってきたコンラートも、アシュリーを気遣うように問いかけた。
「ホテルからアルドリッジ邸へ移ったり、慌しかったね。大丈夫かい?」
「はい、シュタウヘンさまも……お気づかいありがとうございます」
アシュリーは答え、花輪を抱えたまま、軽く膝を曲げるように挨拶する。
それ見て、慌ててソフィアも淑女の礼を返した。
年の違う少女二人が交わす挨拶の微笑ましさに、今日は黒衣に黒ローブを羽織っているコンラートが目を細める。
「少し元気になりましたね」
「はい」
十歳の少女のふっくらした頬の血色が良く、その表情から憂いの影が薄らいでいることに内心ほっとしていた。
父親が拘束されて、アシュリーはホテルからアルドリッジ家の首都屋敷に居場所を移していた。親身に気遣われ、世話されているのだろう。
「……なんてことだ! アシュリー!」
アシュリーと会話を交わす間もなく、少し離れた紳士達の集まりの中にいた中年男性が大慌てにやってきた。
「おじさま!」
「アシュリー、どうして一人で……マーサはどうした? 今日は人が多いから離れないよう言いつけていたのに」
アシュリーと目線を合わせて身を屈める、灰色の混じりのダークブロンドを撫でつけた頭に黒のシルクハットを被った、モーニングコート姿の紳士。
アシュリーの大叔父、現アルドリッジ子爵であった。
「マーサはお水をとりに行ってくれたのよ。お花をおく、お祖母さまの“せきひ”を見ておきたかったの」
「だからって黙って一人になっては心配する。花輪も重いだろう」
「あの、おじさま……」
花輪を持とうとする子爵をアシュリーが促して、ようやく彼はソフィアとコンラートに気がついた。
「貴方は……シュタウヘン卿! 私としたことが挨拶もせず、なんて失礼を!」
「とんでもないことです。お目にかかれて光栄です。アルドリッジ子爵」
貴族だというのに、政府顧問で第三王子と懇意のコンラートのことが目に入らないほど、子供のアシュリーが一人で離れていたことが一大事の様子でいた。
彼女のことを本当に心配し、大切にしているとすぐにわかった。
「かの高名な大魔導師に参列いただけるとは、天に召された義姉や兄も喜びます。では、こちらのお嬢さんがアシュリーの話していたミス・レイアリング?」
「ええ、私の弟子です」
「ソフィア・レイアリングです。子爵様」
「この度はアシュリーをお救いくださり、アルドリッジ家当主としてお礼申し上げる。魔術研究でお力になれることがあれば、なんなりとご相談ください」
「そっ、そんな……っ」
立派な紳士から畏って礼を言われ、ソフィアはたじろいだ。
たしかに、ソフィアが聖魔術の儀式を止めなかったら、手の傷からの感染で破傷風などを発症し、今頃は危険な状態だったかもしれない。
しかしソフィアは魔術職の端くれとして、政府嘱託の検屍官として職分から事件に首をつっこんだだけだ。
「よかったね、アルドリッジ家が支援してくれるなんて心強いことこの上ないよ」
「師匠までっ」
「ふふ、冗談だ。お気持ちはうれしいですが子爵。我々は己が職分の務めを果たしたに過ぎません。感謝いただけた事実だけ頂戴いたします」
「なんと高潔な……しかしアルドリッジは受けた恩は忘れません。どうかそれだけはお留めおきください」
中庭には、黒衣に身を包んだ参列者達が集まりつつあった。
マーサと呼ばれていた乳母が戻ってきて、子爵は彼女にくれぐれもアシュリーから目を離さないように言って、挨拶へと戻った。
当主として、ひと所にずっと留まっているわけにもいかない。
経営陣や企業関係者も多く来ているが、あくまで工房の創始者夫人を悼む会で、身内の集まりといった雰囲気ではあった。
故人の死を沈鬱に哀しむより、生前の活動を讃え偲ぶのは、工房とアルドリッジ家の気風なのかもしれない。
「シュタウヘンさま……わたくし、アルドリッジのお屋敷に行くことにしました。お母さまの選んだ“かんざいにん”の方と、おじさまと一緒にお話ししました」
子爵は、子供は大人の庇護が必要で、アシュリーの財産が大きすぎることや、父親のことがアシュリーの将来に与える影響をとても心配してくれたそうだ。
そのために、子爵は後見人として彼女を引き取って、アルドリッジの籍に入れる相談をしたと、アシュリーは子供ながら耳にした言葉も使って話してくれた。
子爵にはすでに成人した息子がいるらしい。
「“こうけいしゃ”のことは、“せけんてき”にも気にしなくていいのですって……だから、お母さまの学校も、いきたいと思うならいってもいいって……」
アシュリーの財産についても、彼女の財産として、子爵はアシュリーの意思を尊重してくれるそうだ。
「いろいろ、むずかしいことはあるけれど……“かんざいにん”のおじさまも、アルドリッジのおじさまも、アシュリーの一番を考えるって」
「それはよかった。慌てることはないと思うよ」
「はい」
本当にアシュリーは聡明な少女だ。明るく返事をしたが、数万ポンドもの母親からの遺産をめぐり、父親に殺されかけたという事実は消えない。
周囲の大人達が、彼女がもう少し成長するまで見守ってくれるよう願うしかない。
ソフィアは、アシュリーの側まで近づくと彼女と目線を合わせて屈んだ。
「アシュリー、大好きな人とお別れするのは悲しいし寂しいです。わたしも同じ十歳の時に大好きな人とお別れしたことがあるから、わかります」
「ソフィア……?」
「だけど、その先も素敵なものと沢山出会えます。好きなものや大切なものがたくさんできて、悲しさや寂しさも少しずつ小さくなります」
「本当?」
「はい。よかったら、お手紙で教えてくれたらうれしいです」
「本当っ? お手紙書くわ……ソフィアも書いてくれる?」
「もちろんです! アシュリー」
アシュリーの細い腕が伸ばされて、ソフィアに抱きついた。
「お父さまっ……と、お別れするの……っ……」
ぐすっと涙声でそう言ったアシュリーを、ソフィアはぎゅっと抱きしめた。
アシュリーは、彼女の父親を慕っていたのだ。
ソフィアは大好きだった魔法使いと再会できたけれど、きっとアシュリーとその父親が再び交わることはない。
この先、沢山の幸せがアシュリーに降り注いでほしいとソフィアは願った。
「とっても辛い思いをした分、きっとこれからアシュリーは幸せいっぱい、です」
「うん……」
少しだけ、ソフィアを残して粛清されてしまった家族やコンラートが、幼いソフィアに言っていたことの意味が、わかったような気がした。
◇◇◇◇◇
追悼式は粛々と行われ、子爵は参列者に感謝のスピーチを行い、アシュリーもまた立派に孫娘として、石碑に花輪を捧げる役を務めた。
「どこかで聞いたことがある言葉を、言っていたね」
アシュリーが石碑に花輪を置く姿を見つめながら、ソフィアの隣でコンラートが囁いた。聞いたことがあるもなにも、幼い時の別れに大泣きしたソフィアを宥めるのにコンラートが言った言葉だ。
「弟子が、立派で誇らしいよ」
式を見守るコンラートの横顔を、少し見上げてソフィアは小さく微笑んだ。
「師匠は、とてもいい師匠です」
「そうかな」
「はい」
魔術界の大いなる発展に貢献した故人へ敬意を込めて黙祷し、追悼式は終わった。
「ミス・レイアリング! 君も来ていたの!」
「あれ、ウィリアムも来ていたんですか?」
追悼式の後は、中庭の周囲に準備されていたテーブルに、軽食や飲み物が運ばれて故人を偲び交流する場となった。このあたり企業主催の式といった感がある。
せっかく集まった産業界の人々や支援者達、他参列者とのパイプを太くするのもまた、故人が残した工房運営のためには重要ということだろう。
「休日だけど、学校はどうしたんだい?」
「もちろん、泊まりがけの外出許可です。シュタウヘン先生。父のお供です……」
そういえば、ウィリアムは大商会を経営する資産家の息子だ。おそらく将来の顔つなぎのために父親の指示で来ることになったのだろう。
「ウィリアム、どうした。こんなところで知り合いか……なんということだ! さすがはアルドリッジ工房、大魔導師様とお目にかかれるとは! ぜひご挨拶を……」
「と、父さん……」
はああ、と肩を落としたウィリアムに、ソフィアは苦笑した。
気持ちはわかる。先ほどから似たような挨拶を何度もコンラートは受けている。
「おやおや、君たちは……さすがアルドリッジ工房だな」
背後からの笑い声を滲ませた言葉に振り返れば、教員の黒ローブではなく、他の紳士達と同様に黒のモーニング姿のレディントン教授がグラスを片手に立っていた。
「わっ、れ、レディントン先生っ」
「なんだね、その挨拶は。我が校の生徒たるもの毅然と振る舞いたまえ」
「は、はい! あ、えっと……僕、いまのうちにアシュリーに挨拶してきます!」
大人の交流の場なので、子供のアシュリーはテントが張られた貴賓席で、乳母と軽食を取っている。父親に連れまわされていたウィリアムは近づけなかったのだろう。
「まったく……。君、彼女の飲み物を」
控えめな働きで会場を周回している黒服の給仕を呼び止めて、レディントン教授はソフィアの飲み物を取ってくれた。
「ありがとうございます」
炭酸水にレモンとミントの葉を入れた飲み物だ。
しゅわしゅわと爽やかで、喪服に秋の陽気が暑いくらいだったのでさっぱりする。
「大変な事に巻き込んでしまい、すまなかったね、ソフィア」
「いいえ。アシュリーが無事なのも、元はといえばレディトン教授のおかげです」
「そう言ってもらえると……まさかあそこまで大それたことを目論んでいたとは」
「あの、ウィリアム達には……?」
「コリガン講師は、急な体調不良で辞めたことになっている」
それでウィリアムがあまりに普通だったのかと、ソフィアは納得した。
魔術儀式を止めた時、未確定要素が多かったこともあるが、不用意なことを言わなくてよかった。
周到なジェフリー・コリガンの計画が幸いして、少年たちは自分達がなにをしようとしていたか気付いていない。
レストラードから事情聴取は受けただろうが、彼らはただ魔術の知識を教わっていた一般生徒なので、事実関係を確認する質問で済んだだろう。
少年たちとっては、レプリカの短剣が実は危険な魔術道具だったと、ソフィア達に没収されただけだ。
「君とシュタウヘンのおかげで、例の羊の儀式の犯人というだけだからね。学校内部には、コリガン講師の個人的思惑で学校の評判を傷つける行為をした説明だ……嘘ではないが、まあこれも方便だ」
話を端折りすぎて、もはや嘘だと思う。
しかし、魔術協会と連携する立場もあるのだろう。
アシュリーため、魔術の悪用防止のためにも、全部を表に出す必要もない。
すべき裁きは実行するが、真相はごく一部の関係者で止まり、処理されるのだろう。その是非はソフィアには判断できない。
「中等教育への魔術科目の導入はしばらく停滞するだろう……魔術協会も慎重姿勢となった。近く儂もあの学校ではお役御免さ。残念だが、君が実演助手の課外授業も取りやめの知らせが週明けには届くだろう」
「そうですか」
本当に残念だ……ソフィアにとっては魔術職として、まともな仕事だったのに。
「レディントン教授、やはりいらしてましたか。探していました」
「君と違って、隅でひっそりと参加していたのでね。シュタウヘン」
「そういうこと言いますか……魔術界の重鎮のお一人が。フィフィ、サーモンサンドがあったよ。好きだろう? 一緒に取りに行こう」
「儂を探していたのじゃなかったのかね?」
「もう顔を見て、言葉も交わしたので済みました」
「まったく、不敬な教え子め」
「文句を言わないだけ出来た教え子では? 魔術科の監査書類が週明けには届くでしょう」
恩師と似た物言いをしたコンラートに、くすりとソフィアは笑った。
「なんだい、フィフィ」
「いえ、別に。あ、そうだ! 監査書類はどう書いたのですか?」
「どうって、魔術科への評価だよ。中等教育で魔術教育を位置付けるにあたっての見解と人選に対する提言も。頼まれたのは監査であって、個々の事象の究明じゃない」
「可愛げの欠片もなく、如才ない」
「調べて欲しいことはともかく、望まれたのはそうだと理解していましたが?」
「問題ない」
「では、失礼して。あっちだよフィフィ」
これはこれで良好な師弟関係なのだろう。
むっすりと顔を顰めてから苦笑した、レディントン教授にぺこりと頭を下げて、ソフィアはコンラートのエスコートに従った。
コリガン講師の余罪について、取り調べはまだ続いている。
だがひとまず、『魔術書探究クラブ』への疑惑を巡る、レディントン教授からの依頼は完遂し、アシュリーと少年たちの未来は守られたのだった。
<魔術書探究クラブ・完>




