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第三十七章 旅立


「これは美味しいですが……こちらは失敗しました。匂いに騙されました」


「……本当だ。癖が強いね」


スープを口にして感想を述べる彼に、私は自然と笑みを浮かべた。食卓に漂う湯気が、途切れかけていた対話を結び直すようだった。


ぎこちなくも少しずつ会話が重なり、やがて彼は真剣な眼差しを向けてきた。


「今後のことを話したい」

「では、お茶を入れますね」


後片付けをしながら、私は彼が口にするだろう決意を思案した。


「ヴァイスさんのことがきっかけじゃないんだ。ナリエルさんの時から思ってた」

「そうでしたか……良いと思います」

「そうかな?」

「はい。その回復の正しい認識を後世へ残すのは立派なことです」


彼には私が教えた知識が根付いていた。


人の身体の構造や、肉眼では見えない菌の存在。自然界の微生物は生命の循環を担い、その存在を無視しては癒しも病も理解できない。魔力による回復を単なる祈りではなく、理に基づき行うことの大切さを理解している。


私がヴァイスを回復させたとき、彼の魔力が私よりも温かいと言われた日以来、私は回復を彼に任せるようになった。


魔物の解体で骨や臓器を学ばせた日、怯えるヴァイスと絶句するコリンの表情は今も鮮明に思い出される。学びは時に残酷であるが、それこそが真実を支える基盤でもあった。


「じゃあ、私は魔術師の道に進むよ」


青年の姿をしたまま五十を越えたコリン。その決意に満ちた声音には、大人としての確固たる意思があった。時間の流れに抗い続けた彼の言葉は、未来を切り拓く力強さを帯びていた。


――数日後。イリスの背には私とコリンが乗り、大陸最大の都市ネオンベルベへと向かっていた。


都市の外郭は遠方からでも陽光を反射し、白い城壁が煌めいていた。そこから彼の新たな旅路が始まる。


「では、ここまでですね」

「ありがとう。これまでもずっと……」

「その話は昨夜したじゃないですか。頑張ってください。近いうちに訪ねますから」


振り返る彼の背筋はまっすぐに伸び、かつて怯えて私の影に隠れた姿はもうない。大地から吹き上がる風がその背を押し出すように流れていく。彼がいずれ大陸を代表する治癒師となるだろうことを、私は疑わなかった。


「イリス、帰りましょう」


門の外から遠ざかる彼の背を、見えなくなるまで見送った。街の喧噪と鐘の音が遠くに響き、やがて静寂へと溶けていった。


「なんだか……切ないですね」


昨夜、彼は私に全てを語った。私の意識が体に宿った日からの歩み、共に生き抜いた時間、そして別れ。ヴァイスやナリエルとの思い出も、すべてが重なり胸を締め付けた。記憶は時間の中で結晶のように残り、触れるたびに温度を持って蘇る。


「私たちの旅立は終わりましたね」


声に出した言葉は誰に向けたものでもない。ただこれからは別々の道を歩くのだと、誇らしさと寂しさを抱きながら、雲ひとつない青空を仰いだ。風は穏やかで、陽光は肌を柔らかく包む。


その澄んだ空は、未来が無限に広がっていることを告げているようだった。


第一部 完


魔法に抗う理論をお読みいただき、ありがとうございました。


素人が読むから書く側になり、作品を書く難しさを思い知りました。


読み返せば赤面するようなミスも多々ありましたが、ありのままを残そうと思います。


素人の拙い作品にお付き合いしてくれた皆様には感謝の気持ちしかありません。

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