第一話 モブヒロインを褒めまくって困らせたい
――話は少しさかのぼる。
二カ月前。
その日は夏休みを目前に控えた、猛暑日だった。
俺は図書室で、とある女子生徒を観察……いや、鑑賞していた。
「ん~っ」
彼女は背伸びして、高い位置にある本を取ろうとしている。
だが、小柄なので指先がわずかに届いていない。手がプルプルと震えてかわいかった。
少し枝毛の多い長い黒髪と、学校指定の紺色のジャージを常に着用していて、スカートの丈も長い。色気というものが一切ない。そういう素朴さが俺は好きだ。
そして何より――前髪が長すぎて、目が隠れている。
俺の大好きな「メカクレ属性」そのものだった。
(モブ子ちゃん……やっぱりかわいいな)
彼女の名前は最上風子。
俺がこよなく愛していた、打ち切り漫画『もうラブコメなんてこりごりだ(泣)』に登場するモブヒロインだ。
主人公を遠くから見守るだけの健気な子で、登場人物からは名前を間違われてばかり。
そのたびに小声で「もがみです……」と訂正する姿がかわいいんだよなぁ。
(転生できて良かった……!)
自分の幸運を噛みしめて、心からそう思った。
実は俺――佐藤悟は、転生者らしい。
ついこの前までは普通の男子高校生として生きていた。ここが漫画の世界だとも知らなかったが、ある日突然記憶が蘇って自分の正体を知った。
元の世界では、28歳の独身サラリーマン。趣味は漫画とゲームとアニメ。
そして今、大好きだったが打ち切られてしまった漫画の中にいる。
どうしてこうなったのかは分からないが……まぁ、せっかく大好きな漫画の世界で生きているわけで。
それなら、大好きなモブ子ちゃんに会いに行こうと思い立って、今日ここにいるというわけだ。
「と、とれない……」
おっと。つい感傷にふけっていたが、モブ子ちゃんは困っている。
彼女はまだ俺に気付いていない様子だが、手伝ってあげた方がいいだろう。
「俺が取ろうか?」
「……っ!?」
俺が近づいてきたことで、驚いたのだろう。
ビクンと体を震わせたかと思ったら、彼女は――体勢を崩した。
「あ」
先ほどまで背伸びしていた反動もあるのだろう。俺の方向に、前のめりになって転びそうである。
「危ない!!」
このままだと顔を打ちそうだったので、慌てて俺が彼女を受け止めた。
「うぎゅっ」
モブ子ちゃんの顔が、俺の胸に飛び込んでくる。
同時に、むにゅっという感触も伝わってきた。おお、意外と……って、そんなことはさておき。
とにかく、彼女が倒れないようにしっかりと支えてあげた。
「大丈夫か?」
「え? あ、あの……」
モブ子ちゃんは混乱している様子だ。
俺に抱きしめられて、おろおろしている。いちいち反応がかわいいのはやめてほしい。ニヤニヤしそうになるほっぺたを引き締めた。
「怪我がなくて良かった……気をつけてくれよ」
「そんなっ。ご迷惑をおかけして、ごめんなさい」
「いいよ。これくらい気にしないでくれ――最上さん」
「…………え?」
よし。我ながら、しっかりと自然体で振舞えている。
とりあえず今日はもう帰ろうかな。大好きなキャラを一目見られただけで満足……していたのだが。
「なんで、わたしの名前を知っているんですか?」
「それは……ほら、同級生だし」
「でも、わたしの名前を知っている人間なんて家族以外に存在しません」
そんな悲しいこと言わないでくれよ。
たしかに、作中で他のキャラから正式な名前を呼ばれたことはなかったけど。
俺はちゃんと、知っているよ。
「最上風子さんだろ。覚えてるけど」
まずい。何か怪しまれているのだろうか。
干渉しすぎたか? 会話を切って帰った方がいいかもしれない。
そんなことを、考えていたのだが。
「――ひぐっ」
「泣いてる!?」
何も触れもなく、いきなり彼女が泣きだした。
目は前髪で隠れて見えないけど、泣き声と頬を伝う涙が見えたので、間違いないだろう。
「ご、ごめんっ。何か変なことしたか? あ、もしかして名前を呼ばれることも嫌だったのか!?」
初対面から、距離感が近すぎたのか。
慌てて謝って、離れようとしたのだが……しかし、それは違うとモブ子ちゃんは首を横に振った。
「う、うれしくて」
「嬉しい? なにが?」
「名前……覚えている人が、いたと思わなくてっ」
……な、なるほど!
(モブすぎて、他人に名前を呼ばれたことがなかったせいか)
つまりは、そういうことだったのだろう。
でも、まさか名前を覚えられていただけで泣くほど喜ぶなんて。
「あ、あの、あなたのお名前は?」
「俺か? 俺はD組の佐藤悟だ。よろしくな」
「はい。よろしくお願いしますっ」
モブ子ちゃんは、やっぱりとても嬉しそうだ。
「あ、ごめんなさい。いきなり泣いちゃって……名前を呼んでくれる人がいて、すごくびっくりしちゃいました」
「覚えているに決まってるだろ。こんなにかわいいんだから」
「――っ!?!?!?」
しかも、かわいいという一言で彼女は面白いくらいに顔を真っ赤にした。
耳まで赤くて、ゆでだこみたいである。
こ、こんなところを見せられたら、我慢できなくなるな。
(もっと褒めたくなってしまうだろ……!)
俺の存在は異質なので、あまり彼女と絡まない方がいいかなとも考えていたのだが……でも、そんなことはいいや。
とりあえず、モブ子ちゃんを褒めまくって笑顔にしてあげたいと思った――。
【あとがき】
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