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生まれて初めて、悔いるということ

 この部屋にはただ二人きりではないのだが、私達が無駄な戯れをしている間はユリとレオニルは完璧に家具の一部と化していた。物音のひとつも立てないその振る舞いは、私にとって非常に気に食わないものだ。

「とにかく、今後私がヘレナと面会することはありませんのでご心配なく」

「確かに彼女もそうだが、本当に危惧しなければならないのはヴィンセント・セルゲイ・ロイヤルヘルムだ」

「……ええ、その通りです」

 もともと存在感を消していた侍従二人は、クリストフの目配せによりすぐさま部屋を出ていく。溢したジンジャーティーの代わりは、第二王子が手ずから淹れ私の前に置いた。彼自身の分はなく、そのまま正面にどかりと腰を下ろす。

「僕の心の内は、すべて余すところなく貴女に暴かれた」

「……そんな気はさらさらありませんが」

 いちいち含みを持たせた言い方が癪に触るが、今はもう指摘することは諦めた。

「どうか僕に、貴女の抱えているものを打ち明けてくれないか?」

「理由は以前ご説明いたしました」

「もっと深く、オフィーリアのことが知りたいんだ」

 普段こういった物言いをする時は決まって捨てられそうな濡犬の真似をする癖に、眼前のクリストフは真摯な瞳でこちらを覗き込む。まるで本当に、私の心に寄り添いたいとでも言いたげに。

 濁りのない緑水晶の瞳を向けられれば向けられるほど、その神秘的な球にアレクサンドラの醜い本性が映っているのではと、なぜか顔を背けたくなる。

 この男に幻滅されると都合が悪いと感じるのは、私利私欲の為意外に理由はない。私の唯一は未来永劫、オフィーリアただ一人なのだから。

「……ええ、分かりました。貴方がそれを、望むのなら」

 銀製のカップをゆっくりと持ち上げると、私はにこりと微笑む。いや、微笑んだつもりで実際はどうか知らないが、クリストフの反応を見るにどうやら上手く繕えてはいないようだ。

「ですがきっと、信じてはいただけないかと」

「いや、僕は貴女を疑わない」

「まぁ、私は随分と懐かれたのですね」

 先ほど自省したばかりだというのに、私はまた懲りもせず面倒な発言を。我ながら愚かだと思いながらも、湧き上がるこの感情を無視出来なくなっていることもまた事実。


――私はきっと、()()()の真似事がしたいのね。

  オフィーリアもクリストフも、明確に引かれた白線の向こう側。どんなに足掻いても、この私がそれを超えることは出来ない。塗り潰してきた悪魔の色は、たとえ肉体を作り変えようが魂に染みついたままなのだ。

 一分一秒を過ごす間、微かな吐息の隙間にさえ感じるのは、アレクサンドラであった頃には微塵も浮かばなかったそれ。

「……後悔、なんて。ああ、馬鹿げているわ」

 違う、あり得ない。稀代の悪女アレクサンドラ・レイクシスは、己の振る舞いを悔いたことなどただの一度もなかった。我さえ幸福であれば、誰が苦しんで死のうが視界にも映らなかった。

 オフィーリア・デズモンドは、私の心臓に刺さった小さな棘。そこから少しずつゆっくりと鮮血が漏れ出し、やがて命の灯火は消える。それこそが、私が望んだ幸せだと。

「どうしてそんなに、悲しげな顔をするんだ?」

「私が?そんな、この通り笑っていますわ」

「いいや、僕には泣いているように見える」

 不意に伸びてきた同情の指先を払い除けた拍子に、手からカップが滑り落ちる。それは割れることなく絨毯に転がり、ただ無様に中身を散らせただけだった。

「……オフィーリア、僕は貴女を」

「望み通り、私の心をお見せいたします」

 クリストフの想いなど心底どうでも良いが、この男は確実にアレクサンドラであった私を掻き乱す存在。遠ざけることが出来ないのならば、向こうから数歩歩むくらいは許してやっても良いのかもしれない。そう、ほんの数歩だけ。

 高価な絨毯にじんわりと滲む紅茶に人差指を這わせれば、それはぴちゃりと微かな音を立てる。それを何の躊躇いもなく口に含めば、緑水晶の瞳が微かに揺らいだ。

「ご覚悟を、クリストフ様」

 オフィーリアの皮を借りにちゃりと妖しく頬笑むのは、果たしてどの私なのだろうか。なぜかその答えは、眼前のこの男の掌に刻まれているような気がしてならなかった。

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