猫と犬は頗る相性が悪い
その後充てがわれた客室にて、私は優雅に薄いジンジャーティーを嗜む。今後もう二度と癖の強いハーブティーを飲むことはないのだと思うと、胸のすく思いだった。
「ねぇ、ユリ?私は酷い姉かしら」
「いいえ、とんでもございません。あれだけの仕打ちを受けながらも、オフィーリア様は一度もヘレナ様に報復をなさりませんでした。それは、他の誰にも到底真似出来ません」
てきぱきと給仕をする侍女ユリは、うっとりとした瞳をこちらに向ける。彼女もまたヘレナが生み出した被害者であり、長きに渡る不当な扱いに耐えてきた。そこから救い出した私のことをまるで女神のように崇め、私の為ならば命をも投げ出さんばかりの崇拝ぶりを見せている。
私からすれば、ヘレナもユリもさして違いはない。オフィーリアの意を汲み妹を殺さないと決めた瞬間から、あの女の価値はなくなった。復讐というものはある意味、その相手に関心がなければ成立しないのだ。
歩みを進めるにあたり、目の前の石ころが邪魔をするから横に蹴飛ばす。ただその動作をするだけで、石に報復を誓う人間はいない。
それと同様に、どれだけユリが私を慕おうともこちらが求めていない以上、私達の間になんらかの絆が生まれることはない。
ごちゃごちゃと御託を並べても結局、私はオフィーリア以外の人間に興味が湧かないのだ。
「そういう意味では、ヴィンセントには感謝してもらわないとね」
口内でゆっくりと紅茶を喰みながら、左指でくるくるとツインテールを遊ばせる。だって私は常に、あの男を縊り殺したくて堪らない衝動を抑え込んでいるのだから。
――この私を、生きる理由になさっては?
なぜ、クリストフにあんな台詞を投げてしまったのだろうと、今もなお解せないまま。懐柔する為だとしても、他にいくらでもやりようはあっただろうに。この体では色仕掛けなどという低劣な行為はしないと誓ったはずだが、あの時それとは違う何かが私の心臓を叩いた。
自身の命を枯葉か何かと勘違いしている、可哀想な男。己を顧みず他者を救おうとするその姿勢に、あの子を重ねたからか。それとも本当は心のどこかで、その愚かな優しさと正義感に強烈な憧れを抱いている私の、嫉妬心の表れか。
「……クリストフは、オフィーリアではないのよ」
そう、事実はたったひとつだけ。
「オフィーリア、君は無事か!」
今この瞬間、脳裏にこびりついていた男が突然部屋にやってくることは、非常に不愉快極まりない。私が可愛らしい乙女であるならば、これは運命かしらと頬でも染めてみせたのだが。
「いかがされましたか、殿下」
不快感を隠そうともせず、というよりもほとんど無意識のうちに私の眉間はぐうっと中央へ寄る。一国の王子になんたる不敬かと咎める者は、今この場に一人もいなかった。
ノックもなしにずかずかと大股でこちらに近付いたかと思えば、不躾に両肩を掴まれる。手にしていたカップがぐらりと揺れ、僅かに残っていたジンジャーティーがテーブルクロスに染みを作った。
「……飲みたかったのに」
可哀想な私の呟きは、眼前の大男の声に掻き消される。
「怪我はないか?どこか痛むところは?心なしか顔色が悪いように見えるが」
「はい?一体何をおっしゃられているのですか?」
突然やって来て、高貴な令嬢に向かって顔色が悪いとは失礼な。健康状態はいたって良好どころか、なんなら晴れやかな気分でティータイムを楽しんでいたというのに。ベッセルの気候と食事が合っているのか、肌もぴかぴかと光り髪は艶やかに煌めいている。
今のオフィーリアは、誰がどう見ても非の打ちどころがない美しいレディなのだ。
「僕の付添もなしにヘレナ・デズモンドの牢へ乗り込むなど、なぜそんな無謀なことを!」
「無謀?看守は幾人もいましたし、レオニルも控えていましたが」
彼の名前を出すと、いつもこうだ。途端に不満げな空気が漏れ出して、私を不愉快にさせる。そもそも、最初にレオニルを私の護衛につけたのは自分自身のくせに。
「殿下の手を煩わせたくなかったのです」
時には、意に沿わない方便も必要。しれっと嘯いてみせたが、どうやらクリストフはすでに私という人間の性分を把握しているらしい。その証拠に、先ほどから手を離そうとせずますます距離を縮めてくるのだから。
「殿下ではなく、名前で呼んでほしいと言った」
「そんな、畏れ多いですわ」
「いずれは添い遂げる仲だ」
どうでもいい事柄について頑なに譲ろうとしないクリストフに、私の全身の毛穴から溜息が漏れる。
「承知いたしました、クリストフ様」
たったこれだけのことで頬を緩めて、まるで尻尾でも振りそうな勢い。
――知ってる?犬と猫ってとっても仲が悪いの。だから私と貴方の相性も、きっと最悪よ。
真実はどうか知らないが、少なくとも私はそう確信している。




