仕方ないから乗ってあげる
「オフィーリア嬢。どうか私と結婚してください」
「……は?」
あまりにも当然で、流石の私も理解が追いつかない。互いの利益の為に手を組むところまでは納得出来るが、それがなぜ結婚という話になるのだろう。
「すみません、プロポーズが少々急でしたね」
「い、いえ。そういうことではなく……」
「おや?先ほどはとても強気に見えましたが、怖気付かれてしまわれましたか?」
この男はやはり、いちいち私の勘に触る。額に青筋が立ちそうになるのを堪え、なんとか口角を上げた。
「瞳孔が開いていますね」
「殿下の見間違いでは?」
「金色の瞳がとても綺麗です。まるで満月のようだ」
和かな笑顔が無性に腹立たしく感じ、相手が王子であることも失念してふんと手を跳ね除けた。
「私の瞳は金色ではなくヘーゼルですので、お間違いなきよう」
「それは失礼いたしました」
恭しい態度を見せながらも、翠眼が回答を催促している。私は深い溜息と共に、肯定と取れる言葉を口にする。
「ご存知の通り、私には既にヴィンセント殿下という婚約者がいます。それを一人で解決しろとおっしゃるのであれば、このお話はどうぞ白紙に」
「まさか。こちらの条件を呑んでいただけるのであれば、貴女の振りとならないよう助力しましょう」
「誓約書の作成を」
何が面白いのか、クリストフは微かに肩を震わせている。ヘレナに対する冷ややかな態度とは違い、意外と感情が表に出る質らしい。やはり私の嫌いな人種だと思いながら、この男から漂う香りだけは好みだと無意識に鼻をひくつかせる。
母サラやヘレナの好むハーブティーは論外、ヴィンセントの衣服からも柑橘系の強いの香りがして、非常に不快だ。けれどクリストフだけは、出会った瞬間から体が勝手に反応していた。薔薇のように華やかで、微かに汗の匂いも混ざっている。
もしもアレクサンドラなら頬を叩いているところだが、猫としての本能がこの男の匂いを気に入ってしまったらしく、自分ではどうすることも出来ないのが腹立たしくて仕方ない。
まぁ、クリストフとの縁もヴィンセントを片付けるまでの間だけのことで、それ以降顔を合わさなければ済む話。どうせ結婚といっても口だけか、離婚日が予め決まっているものだろう。
目的遂行の為オフィーリアを利用するつもりだろうが、使い捨てなどするつもりならばこの私が黙っていない。そうならないよう、徹底的にこの男の弱みを調べてやる。
「どうやら僕は、すでに嫌われているようだ」
「私は表情管理が得意なので、どうぞご安心ください」
「ははっ、そうですか」
こんな風に柔和な態度を取られると、捻くれ者の私は試したくなってしまう。わざと腹を立てさせて相手の許容範囲を測り、そのラインぎりぎりまで我儘な振る舞いを繰り返し、さも感謝しているかのように「貴方は心が広い」と褒めそやす。
そうしていれば、相手は大体のことは許されざるをえなくなり、使い道がなくなった頃合いで人目の多い場所で激怒させ私が被害者ぶるのも容易だ。
まぁ、最後には誰の信用も失い地に落ちてしまったわけだが、それはそれで箔がついたと思えばいい。世に名を残す稀代の悪女アレクサンドラとして、白日の下で斬首された稀有な存在なのだから。
「詳しい話は後にして、とりあえず部屋で寛いでください。もちろん、妹君とは別の個室を用意してあります」
「お気遣い痛み入ります、殿下」
ソファから立ちあがろうとした私に、クリストフは慣れた動作で右手を差し出す。払い除けてやろうかとも考えたけれど、それでは相手の思う壺。いっそ頬を染めてしなだれかかり、オフィーリアの美しさで虜にしてしまった方が話は早い。
「どうぞ、掴まって」
「……ありがとうございます」
ああ、愛とは本当に厄介だ。男を知らぬままこの世を去った彼女の体を汚したくないという思いが、合理性という戦略を簡単に捨てさせてしまう。結果適当にクリストフの手を取り、そっけない態度のまま部屋の前で別れただけとなった。




