契約成立の戯れ
「殿下にとっては、誰からも必要とされないままのオフィーリアであった方が好都合だったのでしょうが」
「ははっ、これは手厳しい。だけどあながち間違いとも言えないのが、僕の狡いところだ」
先ほどよりも随分砕けた物言いなのも、策略かもしれない。ヘレナの前では決して浮かべなかった笑顔は、想像していたよりもずっと幼く見える。
「貴女が正直に話してくださるから、僕も出来るだけ誠実でいたいと思います」
「扱いづらいと思うのならば、私でなくとも良いのでは?」
「いいえ、そんな風には考えていません」
つい攻撃的な口調になってしまうのは、話せば話すほどクリストフが悪人でないと分かるから。こういう手合いは、妙に私の癇に障る。思えば最初はオフィーリアもそうだったと、あの儚い笑顔を瞼の裏に映した。
土砂降りの雨に打たれながら、自身がどれだけ泥まみれになろうとも、私を胸に抱えて離そうとしない。暴れても引っ掻いても、ただ「ごめんね」と謝罪を繰り返す彼女を見て、こんな偽善者とは永遠に分かり合えないと腹が立って仕方なかった。
痩せ細った非力な野良猫を構ったところで、なんの得もない。それどころかそんなものを拾ってくるなと、家族から非難されていたのに。
――大丈夫よ、猫ちゃん。何も心配いらないわ。
土気色の顔をして、安っぽい素材のドレスを身に纏い、部屋には煌びやかな装飾品など一切ない。何度噛みつかれても、穏やかに微笑みながら私の背中を愛おしげに撫でるオフィーリアに、全面降伏したのはいつだっただろうか。
もう二度と、あの手に触れてはもらえない。か細く艶のある声で呼んではもらえない。最愛の主人が殺されても、ただの猫にはどうすることも出来ない。
「……今死んだら、もう一度会えるかしら」
ずっと考えないよう努めていたことを、無意識のうちに呟いていた。どうしてだか、この男を見ていると彼女を思い出してしまう。感情が引き摺り出されて、滅茶苦茶に暴れたい衝動に駆られる。
生まれ変わりたくなどなかった、あのまま死んでいれば一緒にいられたかもしれないのにと。
――いいえ、違うわ。私の逝く先は地獄しかないもの。
「オフィーリア嬢、どうかしましたか?」
「……申し訳ございません。少し感慨に耽っておりました」
これ以上馬鹿な妄想をするのはよそうと、無理矢理心に蓋をする。これだから、愛というものは厄介なのだ。好き勝手に溢れてきて、とどまるところを知らない。とにかく今は、取引を優位に進めることだけに専心しなければ。
「以上が、私の率直な意見です。ロイヤルヘルムには心から信頼出来る者がいない為、殿下を頼らせていただきたいと」
「ちなみに、その『真実の愛』のお相手が誰かお聞きすることは?」
「話すつもりはありませんが、殿下の害にはならないと断言出来ますわ」
きっぱりとそう言ってのけると、クリストフは顎下に手を当て一考するような仕草をとる。もしも逆の立場なら、考えるまでもなく鼻で一蹴して終わるだろう。真実の愛などという幻想を抱く人間に付き合っている暇などないと。
一方で、クリストフのような男には効果的な方法だとも踏んでいる。色々と策は練ってきたが、感情論抜きでいきなり徳のある話をしても、恐らく受け入れてはもらえない。
ヘレナやヴィンセントとは、そもそもの思考から違う。この男と対峙するならば、視野に入れるべきはあれらではなくオフィーリアだ。
「分かりました。では、契約成立ということで」
どこかすっきりとした顔を浮かべたクリストフは、音もなく立ち上がると私の傍に立つ。そして流れるような所作で膝を突き、私の手を取った。




