6話 そして聖女はいなくなった
リリアーヌの誕生日、マルグリットは彼女に東洋の珍しい扇をプレゼントしようと彼女の部屋に向かった。しかし、部屋には先約がいて、リリアーヌの楽しそうな声がドア越しに聞こえる。嫌な予感がして、ドアを少しだけ開けて中の様子を見ると、そこには信じたくないような光景が広がっていた。
「本当に嬉しい! ありがとう、エド」
百合の花束を抱えたリリアーヌと一緒にいるのはエドワールだった。マルグリットの最愛の人だった。
マルグリットは足音が聞こえないように静かにその場を去ったが、リリアーヌの部屋から遠く離れてから、ハイヒールで廊下を走った。
落ち着いて。落ち着くのよ。
エドワールが愛人を作ったのは初めてじゃないでしょう?
フェリシーとかいう令嬢のことを忘れたの?
あの子にエドワールが夢中になっていた時も、最後には戻ってきたでしょう?
でも、ああ。あのエドワールの愛おしそうな顔!
リリアーヌの嬉しそうな顔!
マルグリットの頭にエドワールの思い出が呼び起こされる。そのどれもが幸せで素敵な思い出だったのに、踏みつけてしまいたいぐらい、全てを掻き消してしまえるならそうしてしまいたいぐらいの虚無感に襲われた。
小さい頃は良かったとマルグリットは思う。
理想の王子様のようなエドワールが婚約者になって、彼は幼いながらもマルグリットを素敵にエスコートしてくれた。
ところが、兄のアルフレッドへのコンプレックスから剣を止め、勉強も疎かになり、マルグリットが毒で寝込んでいる間にマルグリットの幼馴染のフェリシーと浮気をした。それどころか、フェリシーと別れてからも浮気を重ねて、遂にはマルグリットの侍女であるリリアーヌにまで手を出した。
挙句の果てに、ちっぽけな脳みそで、彼はマルグリットに濡れ衣を着せて婚約破棄を実行しようとした。
理想の王子様は十年でナマケモノの浮気男に大変身。こっちから願い下げなのに、向こうが私を捨てようとしている?
冗談じゃないわ。
だから彼女は、エドワールに素敵な誕生日プレゼントを準備することにした。
あなたが何をしたのか全て知ってるのよと教えるために、リリアーヌと彼女が誕生日に貰った百合の花束をマルグリットは絵に描いた。
彼は驚き、青ざめ、婚約破棄しようとしていたことを認めた。
マルグリットはエドワールが想像するよりもずっと冷静だった。エドワールが望むなら浮気しても良いと思っていたし、愛人の1人や2人、貴族ならばいてもおかしくないと昔から親戚に耳にタコができるほどたくさん言われていたからだ。
だから、リリアーヌを愛人にすればいい。でも婚約破棄は違う。マルグリットに悪役令嬢という不名誉な称号を与え、全てを奪うような行為。それを彼は平然と行おうとしていた。
それでも、マルグリットは彼に温情を与えた。婚約破棄を考え直してくれるなら、やり直す必要はない。愛のない結婚でもいいと。
そこまで譲歩したにもかかわらず、時間になってもエドワールは部屋には来なかった。彼はマルグリットを捨ててもいいと判断したようだ。
彼女は2つの計画を立てていた。プランAは、エドワールが婚約破棄をやめた場合、彼といつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしで終わる計画のことで、プランBはエドワールがマルグリットを捨てると決意した場合に行う計画のことだ。
プランBにはたくさんの準備が必要だった。
まず、影響力のある友人、フーシアに計画を相談し、彼女経由で協力者を用意した。彼女には絶好のタイミングで護衛の悪事をバラしてもらうよう頼んだ。
ほとんど正確に書いた日記にエドワールへの不信感を何度も訴え、彼の護衛が行った悪事の全容を暴露。それを全てエドワールのせいにした。大事なのは、日記の場所がバレるのがフーシアの暴露よりも後であること。だから、リリアーヌにしか分からないような場所に置いておき、彼女に自分のことが書かれていないか確認させた。リリアーヌはベルトランのことが嫌いなので、自分のことが全くバレていないどころか、嫌いな人物の悪事の全容が書かれていると気づいた彼女は、それを自分が見つけたと言って公開するだろう。そこで主人であるエドワールへの疑惑が生じる。
眠れないことを何度も周囲に訴えて睡眠薬を入手。男爵令嬢のフェリシーに、聖女だと判明したから家を出る準備をし、婚約発表の日にマルグリットの部屋に来るようにと手紙を送り、協力者にその手紙をすぐに回収して破棄してもらう。
全てが入念であり、大変な準備だった。
マルグリットは睡眠薬を混ぜた紅茶をティーカップに注いだ。
「紅茶とお菓子をどうぞ、フェリシー」
ティーサロンで待つ男爵令嬢にマルグリットは紅茶とお菓子を運ぶ。彼女はいつものように満面の笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます。マルグリット様、今日は部屋に呼んでいただけて光栄です。私が聖女になるなんて、とても信じられません。色々ありましたけど、これからも仲良くしてください!」
「ええ、もちろんよ」
マルグリットは貼り付けた笑みを浮かべて、彼女のティーカップに紅茶を注ぐ。
色々?
あなたが私の婚約者をたぶらかしたことをそれだけで片付けられるの?
聖女がこの世に2人以上存在しないと彼女は知らない。彼女が本物で、マルグリットが偽者だということも。聖女は前の聖女が亡くなってから一番最初に生まれた女の子が聖属性を得てなるものだ。フェリシーはマルグリットの父親である聖皇と彼女の母親との間に生まれた子で、たった1ヶ月早く産まれただけで、彼女は聖属性を手に入れ、マルグリットは聖女と周りに勘違いされるただの少女に成り下がった。
フェリシーはソファの上で気持ちよさそうに寝てしまった。
マルグリットはぐっすりと眠る少女を寝室に運ぶ。とても良いタイミングで、ノックの音がして、マルグリットは嬉々としてドアを開けた。
「あら、プランBですわね」
部屋の中にいるフェリシーを見るなり、フーシアはとても面倒そうな顔をする。
「眠っていると本当にマギーそっくり」
「あなたがそう言うなら、周りにも見分けがつかないでしょうね。ねえ、ドレスを脱ぐのを手伝ってくれない? できれば着せる方も」
「いいですわよ」
フーシアは手際良くマルグリットのドレスを脱ぐのとフェリシーのドレスを脱がすのを手伝った。そして、マルグリットにフェリシーのドレスを、フェリシーにマルグリットのドレスを着せていく。フェリシーにはマルグリットの装飾品も全ておまけで付けておいた。
「こんな面倒な作戦手伝うなんて言うんじゃありませんでしたわ」
「それでも手伝ってくれるあなたが好きよ」
「全く。調子が良い女ですわね。刺すのは自分でやっていただけるかしら」
「ケーキを食べるより容易いわ」
フーシアに渡された剣で、マルグリットはフェリシーを何度も刺した。床中に聖属性の血が沢山残るように、何度も何度も刺した。顔の判別がつきにくいように、顔は床に叩きつけて潰した。
その間にフーシアはマルグリットの部屋にある宝石や装飾品をあさり、わざと乱暴に散らかしていく。男の荒い犯行のように見せかけるためだ。もちろん、そういう風に見せかけたのがエドワールだと疑われるのは目に見えているが。
「あら、まあ。白いドレスが台無しですわね」
「いいのよ。白はあまり好きじゃなかったから」
「ふぅん。早く行きましょう」
血塗れの死体を2人がかりで運び、マルグリットの部屋とエドワールの部屋を結ぶ隠し通路を通る。エドワールの部屋の床に落ちた血痕は肉眼で見えない程度に拭き取り、彼の部屋の窓を開けた。
気持ちの良い風が窓から流れてくる。
この時間は皆が大広間に集まっていて、王宮の使用人たちも皆駆り出されている。だから、2人が死体を運んでいても、それを目撃する人は全くいなかった。
チラリと自分の部屋を見やると、窓から誰かがこちらを見ていた。この距離でこの暗い中だと、マルグリットたちが誰なのか向こうには分からなかっただろう。しかし、マルグリットには窓の側にいる人物が誰なのかすぐに分かった。
「早く埋めますわよ」
「ええ、そうね」
フーシアの協力者が既に開けたと思われる穴にフェリシーを仰向けに置き、土を被せていった。エドワールの部屋に置いてあった絵も忘れずに入れる。
こうして、聖女の死体が出来上がった。
聖属性を持つ本物の聖女の死体。同じ金髪碧眼で、これを皆はマルグリットのものと疑わないだろう。
そして、聖女の死体が発見されれば、マルグリットの母国であるルナーリア聖国はその犯人を自国で裁こうとする。エドワールの住むこの国にも死刑はあるが、首吊りで残酷さはない。ルナーリア聖国の死刑はギロチン処刑。なんて愉快なのだろう。ざまぁみろ。
マルグリットはフーシアの馬車に乗って彼女の屋敷へと向かった。聖女という呪縛から解放されて一番最初に行ったことは、髪を染めることだった。
貴族は基本的に髪を染めない。髪を染めるのは、フーシアのような高級娼婦だけだ。でも、マルグリットは彼女たちの髪色に憧れた。自分の好きな色に髪を染めてみたかった。清純なイメージを持つ聖女だった自分を違う色で塗り潰したかった。
だから彼女は髪色を紫に染めた。
マルグリットが娼婦のようならば、誰も彼女が聖女だったとは気づかない。いや、娼婦になってしまえば、もう誰も彼女の正体を疑わないだろう。
「誕生日おめでとう、エドワール。そして、さようなら」
彼女は処刑台の下で、民衆と共に、エドワールの首にギロチンの刃が落とされる瞬間を見て呟いた。
エドワールは最期にマルグリットを見つけたようにこちらを見ていた。そして、全てを諦めたように目を閉じた。
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